日下部保雄の悠悠閑閑

スーパー耐久で見た川崎重工

レーシングスーツを着ているから、トヨタの豊田章男社長ではなくてモリゾウさんですね。右は川崎重工の橋本社長、2人とも熱いです

 スーパー耐久 第5戦は鈴鹿5時間耐久レース。カローラH2コンセプトの取材だが、久しぶりの鈴鹿はやはり楽しい。取材にあたってはPCR検査、レース前からの5回の問診票、ONLINEでのメディアMTGなど、コロナ禍ならではのハードルがあったが鈴鹿はやはり華やかだ。S耐は自分で走っていたころのN1耐久とは違って、体制がメチャクチャ大掛かりになっていた。走っているクルマもアストンマーティン、マクラーレンからフィット、ロードスターまでバラエティに富んでいる。クルマを眺めているだけでも楽しく、スターティンググリッド上では旧知のドライバーにも会うことができた。

 さて予選から始まった記者会見は豪華だった。すでに多くのメディアに詳細が報道されているので、ここでは川崎重工の雑感を記してみよう。

スターティンググリッドにつくカローラH2コンセプト。バンパーにさりげなく川崎重工のステッカーが

 モリゾウさんと川崎重工の橋本社長、GRカンパニーの佐藤プレジデントにCJPTの中島プレジデントをはじめとする水素についての話は濃かった。モリゾウさんの話題は興味惹かれる話ばかりで、大手メディアのレースを離れた質問にもユーモアを交えながら答えてくれた。「五輪で許されても4輪、2輪は~……」この中で出てきたフレーズだ。ブレないです。

 確かに世界選手権のタイトルがかかった3つの4輪レースとラリー、2つの2輪のビッグイベント。開催できないの当事者ならずとも無念だ。

 そして川崎重工の橋本社長。最初に出てきた時、失礼ながら若手の課長さんかと思った。モリゾウさんはレーシングスーツだったが橋本社長は川崎グリーンの半袖。この日鈴鹿にいた川崎軍団はすべてお馴染みの川崎グリーンで統一されおり、キビキビと動いていた。老舗・川崎重工を引っ張る社長のイメージはネクタイを締めた年配の方かと思っていたからビックリだ。

 橋本社長の話は熱く、川崎とトヨタの水素を通じた関係は急速に接近、むしろ意気投合という雰囲気だった。今回の川崎の分担はオーストラリアで褐炭から作られた水素を日本に輸送する実証実験を担うもので、褐炭はオーストラリアに無尽蔵のようにあり、コスト効果も大きい。将来大きな水素専用輸送船も建造する予定で、運べる水素の量は実証実験の128倍にもなるが、それでも40数名でオペレーションできる。簡単に言えばそれだけで水素の価格は3分の1になり、5分の1にすることも視野に入っている。水素には長期的な活動を目指しており川崎重工にとっても大きな投資環境にもある。

 文章にすると経済紙のようになってしまうが、橋本社長の水素に対する熱意は高い。水素カローラH2コンセプトに水素を供給することで、このところEVに押されて元気のなかった内燃機のエンジニア達の士気は大いに高まったという。そう語る橋本社長も語りは熱く、将来の夢を語る少年のように嬉しそうだった。さすがレーシングな会社である。川崎の尖がった商品群を思い出すとサモアリナン。会社のマインドをうかがい知ることができました。

 そういえば液冷倒立V12(ダイムラーライセンス)の三式戦闘機を作り上げたのも川崎重工。レストアされた三式戦は「岐阜かがみがはら航空宇宙博物館」に展示されている。当然行きました。

 トヨタと川崎重工、水素の生成や物流にとどまらず、燃焼技術にも熱い協力関係を築いていけそうだ。まさに化学反応ですな。

水素充填のための充填ステーションにピットインしたモリゾウさん。充填を左右から行なうことで、時間は半分の2分になった。左右からの圧力バランスが難しいという
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。