日下部保雄の悠悠閑閑

日本アルペンラリー 2021

スタート場所の安曇野 大王わさび農場で。S54スカイラインやスバル1100、510ブルーバード、サニー1200GX5から、なぜかGRヤリスまで出ています

 僕らがラリーを始めた頃は日本モータリストクラブ(JMC)が主催する日本アルペンラリーがビッグイベントだった。3日間にわたるラリーで乗鞍岳に上るのが恒例の過酷なラリーだ。当然メインステージのほとんどはグラベルで特に乗鞍は極めつけの悪路だったらしい。らしいというのはいろんな事情があって(?)実はそこまで行ったことがない。

 当時の国内ラリーはタイムラリーで、しかもシークレットラリー。コースもチェックポイント(CP)もオープンにされていない。コマ図を追いながらどこに出てくるか分からないCPのために常に指定速度に合わせて走り、その正確性を競うラリーだ。計測は分計時で行なわれるが、それでも勝敗が付くのは当時のコースはほとんどがグラベルで指示速度に乗せられずに減点を食らうからだ。いわばドライバーとナビゲーターの分業が等分になっていた。

 その日本アルペンラリーの名前を冠したクラシックアルペンに参加した。昨年はコロナ禍ですべてのイベントが中止になったので今年は2年ぶり2回目だ。クルマはいつものダイハツ・シャルマン。ナビゲーターもずっとコンビを組んでいた田口次郎。我が家ではジロサと呼んでいるが本人は知らない。

 シャルマンは小西重幸君のA/m/sで惰眠をむさぼっていたが、今年は小西君がパネルバンで運んでくれるというのでありがたくその話に乗ることにした。

 その晩はホテルで旧交を温めて……、と言うか現役時代と変わらない飲みっぷり。あのビール瓶の中身はどこに行くんだろう……。と同時にちょっと心配。いや本人じゃなくてラリーが……。

 翌朝のスタートはノンビリしたものだ。のんびりしすぎてホテルからスタートポイントの大王わさび農場までにミスコースして危うく迷子になるところだった。

 他のクルーはスタート地点の下見や予想されたコースを試走したりして、ぐうたらな我々とは気合が違う。

 篠塚健次郎さんのギャランA II GSを筆頭に20数台のラリー車がかつてのラリーコースに向けてスタートする。我がシャルマンはゼッケン4で、エンジンもいつになく快調だ。

 オフィシャルの計測車と自車とのトリップメーターを補正するオドメーターチェックも過ぎ、ノーチェック区間は終了。いよいよ山道に入りラリーが始まる。コースはほぼターマック。

ナビゲーターの仕事場。ツイントリップが2個、デジタル時計が2個、そして計算尺を丸くしたラリー計算をする円盤があります

 それでも指示速度はいつもより少し高め。1976年製のシャルマンは一生懸命走り、指示速度には乗っている。ツイスティなカーブの連続に重ステはこたえるがやっぱり楽しい……。が、どうもナビの出す指示がない。ビールの飲みすぎか? あれ! いつのまにか1CPが出てくる。ナンカアヤシイ……。どうも大量減点している気配。どうやらこのラリーの勝負権は1CPでなくなったみたい。後で知ったが1CPは90秒、2CPは72秒の誤差があり、序盤にして番外の外だ。やはりビールのせいだろうか。ちなみにこの夜はもっと飲んでました。

 SEC1を終了、落胆して中継点へ帰る途中、一瞬エンジンが失火したがそのまま復帰したので気にしなかった。現役の頃だったらサービスで点検してもらったに違いない。気の緩みだ。

 気を取り直して同日午後のSEC2。4CPに18秒も早着してシッチャカメッチャカなラリーには続いたが、シャルマンは元気だ。保福寺峠をウンウンと上る。高度が高くなったせいか燃料が濃く、エンジンがきれいに回らない。キャブ車の特徴だ。

 それでもドライビングは楽しいゾ……と思ったら突然、上り坂でT-B改エンジンが反応しなくなってしまった。ぐんぐん速度が落ちる。コーナーの少しだけ道幅が広い所で左に寄せた。後ろからはラリー車が来るので三角表示板を持って立てる。

 無駄と分かっていてもセルを回してみる。元気よく回るが、プラグに火が行っていないようだ。メカオンチな上にスペアパーツも積んでいないので万事休す……。

息を吹き返さないT-B改エンジン、平たく言えば2TBです。ツインカムの2TGのベースとなったOHVクロスフロー+ストロンバーグツインキャブです。1.6リッターですがパワーは知れてます

 SOSを出そうにも電話が通じない。藁をもつかむ気持ちで開いたWi-FiがかすかにつながりLINE電話で小西君にヘルプを頼む。ちょうど昼飯時だったらしくムゴムゴやっていたが、慌てた様子でこちらに来るという。でもここまで4t車が入るのは無理。何とか下まで降りる方法を考えないと……。

 困っていると追い上げ車が来て力を貸してくれた。ホントに人の力だった。狭い上り坂の中で軽いとはいえシャルマンを押してUターンさせてくれたのだ。見知った顔だが名前を聞くのは忘れてしまった。その内の1人は箕作さんの奥さん。ほぼ2人でUターンさせてくれたのだ。ご尽力ありがとうございました!

 後は約6kmの下り坂。上りがないことを祈りつつ下の集落まで無事にたどり着き、広い道に停車させた。待つこと久しパネルバンがやってきた。全滅寸前の騎兵隊に援軍を発見したかのように頼もしい(古いな)。シャルマンはイグニッションコイルの断線を確認してそのままウインチでパネルバンに積み込まれた。

保福寺峠の中で無理やりUターン。惰性で麓の集落まで降りてきて心細く助けを待っているところです。遠くで聞こえるチェックポイントのホイッスルが恨めしい

 余談だが今のクルマには純正工具はほぼ積まれていないが、約45年前のクルマは軽整備ができるぐらいの純正工具を積んでいた。もちろんプラグレンチも。不思議に思わなかったが、僕より二世代以上後のラリードライバー、小西君は大いに感激していた。

 2年ぶりの短いラリーは終わってしまった。後悔はたくさんある。コイルは怪しいと思っていたのに。ビールも怪しいと思っていたのに……。反省しそうもないけど。

A/m/sのパネルバンにやっと積み込まれておとなしくしているシャルマンです。このまま連れ帰られました……
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。