日下部保雄の悠悠閑閑

一式双発高等練習機

キ54・一式双発高等練習機の模型。アシェットの日本陸海軍機大百科からです。多分甲型をイメージしてます

 1943年、十和田湖に沈んだ一式双発高等練習機。2012年に引き上げられたというニュースがあった。搭乗していた乗員はどうなったのか気になったが、機体の状態は非常によいということから不時着して救助された乗員もいたようだ。

 一式双発高等練習機は立川飛行機が開発生産した多目的練習機で、陸軍機に勤務する空中勤務者にとっては欠かせない機体だった。この一式双発高等練習機が生まれ故郷の立川に戻って展示されるという情報を得て展示最終日に立川に行くことにした。

 思い立ったのが遅かったので午後になってしまったが、零戦などのように知られた機体ではないので見学できるだろうと思っていたのが甘かった。立川飛行機を前身とする立飛ホールディングのリアルエステートに着いたときは大きな敷地にびっくりしたが、それほどの混雑には見えなかった。ホッとしたのもつかの間、展示されている倉庫はずっと奥にあり、人並みが見えなかっただけだった。

 すでに多くの見学者が行列を作っており、今からだと1時間半は待つという。その言葉にへこたれて、スゴスゴと今来た道を引き返すことになったが、収穫だったのは初めて訪れる立川の発展ぶりと立飛の大きな敷地を知ることができたことだ。

 悔しいので一式双発高等練習機を少し調べてみると、何と戦時中に1342機も作られた傑作機だった。この傑作機を開発したのは陸軍の練習機を一手に引き受けていた立川飛行機。目的は操縦、航法、射撃、爆撃、通信などの多目的練習機の開発だ。1941年に正式採用になると実用性の高さから連絡、輸送はもちろん、終戦間際には安定性と視界のよさから爆弾を積んで対潜哨戒機としても使われたと知った。

 エンジンは信頼性の高い日立ハ13甲で空冷9気筒、離昇出力510PS×2を装備し、最高速は376km/h(高度2000m)だから練習機としては十分な速度だっただろう。まだ布張りの機体もある中で全金属製引き込み脚のスマートな双発機で用途に応じて5つのタイプが作られた。

 甲型は操縦と航法、無線の練習を主目的として機体上部には天測ドームが付けられているタイプ。最多数の乙型は機体上部に旋回銃の銃座が2つあり、空力の問題かその2つの銃座をつなぐ風防が設けられていたようだ。銃座のない乙型もあり用途に応じてその場に応じて改修が加えられていたと推察される。

 丙型は8人の人員輸送ができる輸送機タイプ、丁型は磁気探知器を取り付けた対潜哨戒機型となっている。

 民間用に少数のY39も計画されたが、戦争中のことですべて陸軍に徴用されたため実質的に民間に販売された機体はなかったらしい。

 資料を見るほど太い胴体による多目的使用を可能にし、空力特性に優れた安定性、信頼性の高いエンジンなど数多くの陸軍の空中勤務者を育てたことが分かった。使い勝手のよい傑作機だっただけに次期双発高等練習機は計画されなかったと言われる。

 立飛リアルエステートに展示されたキ54・一式双発高等練習機は引き上げられてから青森県の三沢航空科学館に展示されていたものを2020年に立飛ホールディングスが譲り受け、立川の歴史的な遺産として一般公開されたものだった。2016年重要航空遺産に認定されている。

 展示は引き上げられた状態で行なわれていたという。Facebookの情報では当時の状況を彷彿とさせる背景になっていたらしい。多くの人が当時に思いを寄せられたことはうれしい。

 知れば知るほどやっぱり見学できなかったのは残念。航空機は大きいだけに保存は大変だが今後も見るチャンスが来るといいな。

立飛ホールディングスが一般公開しましたが、出遅れて見られませんでした……残念
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。