日下部保雄の悠悠閑閑

5年間を振り返って

サスケさんが舌を出して寝ているのが懐かしい

 長い間マスク生活が続いてウンザリだが、ピークアウトの気配も感じられるようになった。新型コロナとそれ以前の5年間の3月を振り返ってみた。

 5年前の2017年3月で一番大きな出来事は長女の結婚式だ。式は庭園が美しい白金の八芳園。八芳園のルーツは大久保彦左衛門の屋敷から始まったと聞いていたが整備されて結婚式場や料亭として使用されたのは戦後になってからという。実は息子達も含めて親子でお世話になっていたので安心できたのも大きい。

 結婚式の直前まで打ち合わせを繰り返し行なう姿を見ると大変だなと思っていたけど、当日の丁寧で行き届いたサービスはやはり感動的だった。その娘も今や一児の母。大事に育ててほしい。

八芳園での長女の結婚式。一生のハレ舞台です。少し家内が寂しそうに見えるけど

 4年前、2018年。気まぐれでお正月に申し込んだ行き先不明のミステリーツアーに夫婦で参加した。2泊3日の日程だけ空けてはいたが直前まで分からなかった行き先は九州佐賀空港。団体バスで柳川、人吉と観光地に寄りながらのオマカセツアーは結構楽しかった。

 翌日は人吉から吉松まで「いさぶろう・しんぺい」というディーゼルの観光列車に乗って移動した(この列車に乗るのが目的)。その時ツアーに参加していたご夫婦が席にやってきて「飲みましょう」とお酒を出してくれた。袖振り合うも他生の縁、喜んでご相伴にあずかり、車窓に揺れる景色が春霞のようにのんびりと流れていくなんともいい時間だった。おいしそうにオチョコを傾けていたご夫婦は元気かなぁ。コロナ禍ではこのような旅の楽しみも味わえない。

ミステリーツアーのいさぶろう・しんぺい号。なぜいさぶろうだったか聞き忘れてしまいました。お酒に誘ってくれたのは旅のいい思い出です

 3年前の2019年。モータースポーツ記者会(JMS)のツアーで香港のフォーミュラEの取材に行った。いつか見たいと思っていたところにCar Watchの谷川さんが誘ってくれたのだ。総勢18名のJMSツアーで、パドックでの取材もすべてJMS側で手配してくれた。

フォーミュラEのパドック。市街地で行なわれるので、ちょっとした広場がパドックになる

 決勝は小雨が降る天候。プレスルームから外に出てもいつものレースの喧騒がない。エキゾーストノートがないのはこれほどレース環境が変わるのか!

 併催のジャガーI-PACEのワンメークレースもフォーミュラEも、いつスタートしたか分からないし、ミシュランの市販ラジアルタイヤからもスキール音は聞こえてこない。

Mr.ミシュラン。タイヤはミシュランの市販ラジアルが供給されます

 狭い市街地、荒れて滑りやすい路面、しかもウェット。何とかノーズをねじ込もうと接触が絶えないが、さすが猛者ばかりで「ウマイナー!」と感心させられるばかりだ。

 このコロナ禍でもフォーミュラEは行なわれているが、中国に飲みこまれた香港に行くことはもうないだろう。上海とも北京とも違う熱気と活況が香港だったのに。

 そして2020年、新型コロナが猛威を振るい出し、毎日が感染者のニュースばかり。試乗会も次々に中止となる。これに引っ張られるように自分のまわりでは暗いニュースが多かった。ついお正月に飲み会をやったばかりの高校時代の友人の訃報、鉄人ラリーメカニックの東海林哲郎さんが旅立ったのもこの月だった。

 そんな中でVOLVO KLASSISK GARAGEで1970年製アマゾンに乗った。子供の頃アマゾンのミニチュアカーをよくいじっていたのを思い出しながら古いクルマに触れるのも心が安らぐ。今のクルマのように簡単で便利ではないけれども、頑丈なボディと大きなハンドルはドンとした落ち着きがありホッとさせるものがあった。今、KLASSISK GARAGEは目立った活動をしていないので古いボルボに乗るのは難しい。

ボルボ アマゾンのエンジン。ツインのSUキャブレターです

 そして昨年は東京オートサロンもオンラインになり、大規模なイベントは開催できなくなってしまったが、できることからやろうと動き始めた時期でもあったと思う。おかげで最新のボルボで北陸の雄、朝倉氏が栄華を極めた一乗谷を訪ねることができた。長い間なぜここが栄えたのか分からなかったが、資料館とガイドさんのおかげでよく理解できた。やはり行ってみないと分からないことは多い。結果、一乗谷は交通の要衝だったこと。応仁の乱で都から文人が多く逃れてきたために「北の都」と言われるようになったことが肌で感じられた。一乗谷は戦乱で焼き払われてすぐに田んぼにされてしまったためにポンペイのように遺跡が残ることになった。

一乗谷の復元された武家屋敷、なんの相談しているのやら

 振り返るとたった5年、されど5年である。いろいろなことが起こっていたんだと改めて思い出した。コロナの影響は大きいが人の活動は絶えまない。今もウクライナから目が離せないのは悲しい。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。