日下部保雄の悠悠閑閑

HondaJetを見たい!

管制塔をバックにしたHondaJet。独特の形状のフロントノーズもHondaJetの特徴。カモが飛んでいるように見える

 HondaJetとの初対面は2015年だった。ホンダが開発したHF118をベースとしたHF120ターボファンエンジンが米国連邦航空局(FAA)の型式認定を取ったのは2013年。すでに2000年代後半にはプロトタイプが空を飛び、そのユニークな翼上エンジン、そして自動車メーカーであるホンダが開発したプライベートジェットは多くのユーザーの共感を呼び、販売の問い合わせが殺到したという。

 HondaJetは開発生産拠点を主要マーケットでもあるアメリカに置く。ホンダらしい地産地消だ。現地で多くのサプライヤーとも関係を深め、エンジンをGE(ゼネラル・エレクトリック)と共同開発する道を選んだのは賢い選択だった。こうした長い努力の末の日本への里帰りだ。プライベートジェットになじみがなく、見る機会もほとんどないが、この凱旋飛行は深く胸に刻まれた。

 実はこの年、羽田で本格的な発表が行なわれたが、残念ながら行くことができなかった。しかし次のチャンスがあると教えてくれたのはCar Watchの谷川さん。それが冒頭の岡山のローカル空港だった。

 それ以来、7年の歳月が経過しようとしているが、昨年暮れにホンダ エアクラフト カンパニーからライトジェットに進出する計画が発表された。HondaJetの属するのはビジネスジェットでも最も小さいベリーライトジェットになるが、ひとまわり大きい10人乗りクラスのライトジェットは需要も見込め、ホンダエアクラフトにとっても大きなステップとなる。

 そんなニュースが心に霧のように漂っている中で、今も印象深いHondaJetの写真を掘り起こしてみた。

 薄曇りの空の彼方からポツンと見えたHondaJetは見る間に上空にやってきて、音もなく頭上を通過して行った。会場からは期せずして歓声が上がる。

上空にポツンと見えたと思ったらすぐそこにいたHondaJet、静かで機敏でした

 大きく旋回して戻ってきたHondaJetは脚を出して一航過した後にスーと着陸してきた。短い滑走路だったが想像していたよりもはるかに短い距離で止まり、そのまま近くまで寄ってきて静止した。

ホンダジェット翼上のHF120エンジンの配置がよく分かります。フロントウィンドウのギザギザは何でしょうか?聞き忘れた

 HondaJetは低翼でエンジンを翼上に配置した独特のスタイル。機体は低くすぐに乗り込めそうだ。エアラインの大きな機体と違って、コンパクトにギュッと締まった小さな機体だが存在感は圧倒的だった。やがてドアが開いてそれを階段として乗員が降りてきたが、そのさりげなさにプライベートジェットの世界を垣間見たような気がした。

HondaJetのドアを開けたところ。人が大きいのか、HondaJetが小さいのか

 その後、格納庫でHondaJetの開発責任者で、ホンダエアクラフトカンパニーの藤野道格社長がインタビューに応じてくれ、エンジンレイアウトの着想やサービス、未来のホンダエアクラフトなどについて丁寧に語ってくれた。やはり藤野さんのような人がいてこそHondaJetが世に出たのだと感じさせてくれた。

 これまでデリバリーされた機体は200機ほど。4年連続でこのクラスでナンバー1の販売を記録している。飛行機の世界は息が長い。開発開始からの年月を考えるとまだ開発コストの回収は先になるだろうが、すでにベリーライトジェットで基礎を築き上げた後だけに、商用飛行にも対応できる次のライトジェットの意味は大きい。

 これからホンダエアクラフトはどのような発展をしていくのだろうか。そして世界の空が自由に飛べる世の中になっていてほしい。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。