日下部保雄の悠悠閑閑

マセラティ

代官山T-SITEで展示されたマセラティ「グレカーレ」。来場者が引っ切りなしで、ドアが閉まることはほぼなかったです。若いカップルも少なくなかったのは驚き

 クルマのイベントが開かれることの多い代官山T-SITEでマセラティ「グレカーレ」のお披露目会が行なわれた。

 マセラティの数奇な歴史をたどってみると、1914年にマセラティ兄弟によって設立されたレーシングガレージが花開いたのが1926年のタルガ・フローリオだった。2つの世界大戦や大恐慌時代を経て、第二次世界大戦後はオルシ財閥の傘下で「3500GT」や4ドアサルーンの「クアトロポルテ」、モータースポーツではF1へのエンジン供給や、バードケージと呼ばれる細い鋼管を組み合わせた工芸品のようスペースフレームで軽量なFRマシン「Tipo60」も衝撃的だった。

 オルシ財閥の後に大きな後ろ盾となったのはシトロエン。奇跡のクルマ「GT」「シトロエンSM」もマセラティのエンジンなくしては成立しなかったが、折しもSMの北米進出とオイルショックが重なって販路を失ってしまい、同時にシトロエンはプジョーに売却されマセラティは分離されてデ・トマソの傘下に入った。

「パンテーラ」の成功体験を元にデ・トマソの手で作られた「ビトゥルボ」。コンパクトで実用的なクーペは念願だった北米で受け入れられたものの、熱対策などに頭を悩まされて撤退せざるを得なかった。

 紆余曲折を経てクライスラーの資本が入ったが、ご存知のようにクライスラーとフィアットとの合併でマセラティはFCAの一員となった。フェラーリと同じグループだ。その流れでフェラーリマネジメントの下でエンジンもフェラーリ製を搭載して北米にも再参入するなど、フェラーリ時代は品質も含めて大きな転機となっていた。

 フェラーリがFCAから分社化した後はFCA内でラグジュアリースポーツカーブランドとして再評価が行なわれ、「モデナのマセラティ」を旗印にエンジンもマセラティ専用とした本格的なミッドシップスポーツカー「MC20」が発売され、一味違うSUVの「レヴァンテ」もラインアップに加わって躍進著しいのが今日この頃だ。

 こうやって振り返ると何度も危機に見舞われながら、フェラーリとは少し違った立ち位置で独自の世界観を切り開いてきたことが分かった。ブランドが築き上げてきた名声は何物にも代え難い。

 そして今年3月、新たにSUVの「グレカーレ」が本国で発表され、4月1日には早くも日本で初公開され、冒頭の話になる。

展示車のトロフェオのエンジンはV6 3.0リッターの530PS/620Nm。ベースグレードは2.0リッターターボのマイルドハイブリッド

 マセラティの中ではレヴァンテよりコンパクトなSUV。といってもホイールベースは2900mm、全長4845mm、全幅2160mm(ドアミラー含む)とマセラティらしいサイズだ。もっとも全幅は実質的にはドアミラーを除くと2mを切っている。

 実車は写真で見るよりもはるかにダイナミック。ノーズを下げたスタイルはMC20にも通じるデザインだった。

 マセラティに派手さはないが、日常の足として使いやすいのが特徴だ。特にグレカーレは広い後席を持ち、あらゆる用途に適応して子育て世代にも訴求したいとのことだった。

グレカーレのコックピット、上品で刺激的でした

 価格は800万円後半からとされており、マセラティとしてはかなり魅力的な価格だ。為替や国際情勢が不安定だが実現すると素晴らしい。

 エンジンは2種類の4気筒2.0リッターターボ+マイルドハイブリッドと、MC20にも搭載された530PSを出す3.0リッターV6ターボの3機種からスタートする。今後はBEVも登場する予定だ。

 デリバリーは2023年上旬だが、上品なインテリアのキャビン、新開発のマセラティの4輪駆動システム、マイルドハイブリッドやMC20のパワーコンポーネンツなどどんな仕上がりなのだろうか、秋に向けて楽しみな1台だ。

グレカーレの後ろ姿。前後のまとまりもバランスがとれていました。今回のコラムは、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン代表の越湖信一さんが企画構成著作を担当した「MASERATI COMPLETE GUIDE II」を参考にさせていただきました
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。