日下部保雄の悠悠閑閑

オートモビルカウンシル2022

今年で7回目となるオートモビルカウンシル

 自動車の歴史と文化にフォーカスしたオートモビルカウンシル。幕張メッセを会場としての開催は今年で7年目になる。1ホールだけのコンパクトな開催だが、普段見ることがない歴史上の名車に会えるのもオートモビルカウンシルの楽しみだ。すでに多くのジャーナリストや来場者が名車を掲載しているのでモータースポーツに関連のある展示を少しだけ取り上げようと思う。

 主催者テーマ展示は一世を風靡したDTM(ドイツツーリングカー選手権)の3台の立役者、メルセデス・ベンツ 190E 2.5-16 Evo.IIにBMW M3、それにアルファ ロメオ 155 V6 TIだ。比較的改造が少ないグループA車両でのスプリントレースで、いつもバチバチの超接近戦を展開していた。

 メルセデス・ベンツはコスワースチューンの2.3 Evo.Iを駆りAMGから参戦し、その後2.5 Evo.IIになったと記憶する。同様にBMWはシュニッツァーからの参戦で、2.3そして2.5に進化していった。両車、特にBMWはサービスが充実していたのでプライベートにも人気があり、DTM発展の原動力となっていた。展示のM3は1987年とあるので2.3リッターモデルの方だ。

メルセデス・ベンツ 190E 2.5-16 Evo.II。黒いKonig Pilsenerもワークスカラーでした

 BMW M3には1989年、1990年と全日本ツーリングカー選手権でドライブさせてもらい、1990年シーズン半ばにバージョンアップしてEvoになった。トルクがあって楽だったけど、すぐに他チームも対応してアドバンテージを持っていたのは短時間だった。

DTMのGr.A BMW M3。こちらは2.3リッターの初期モデル。私もお世話になりました。Warsteinerビールの懐かしいロゴはワークスカーの象徴でした。ドイツらしくビールの戦い、どちらが苦かったんだろう?

 当時のマシンはハンドルが重くて、グローブはすぐに穴が空いてしまった。富士スピードウェイの最終戦では超高速の300Rでリアが流れ、とっさに逆手でカウンターをあてて事なきを得たが、冷や汗をかいたのを思い出した。それほどハンドルは重かった。

 アルファ ロメオ 155 V6 TIは現地のDTMで見学したことがある。ローカルサーキットだったのでテントでのメンテ。プレスもそばで見学させてくれるおおらかさだったが、アルファコルセのメカたちは無駄のない動きで間違いなくプロ集団だった。1993年はニコラ・ラリーニがチャンピオンを獲ったはずだ。

アルファ ロメオ 155 V6 TI。アルファコルセのプロ集団の仕事はさすがでした

 メルセデスはハンス・シュトックが1990年にチャンピオンを獲っているが、DTMの各チームにはフランク・ビエラ、クラウス・ルートヴィヒ、ローランド・アッシュ、ロベルト・ラヴァ―リア、etc,etc……ドライバーも腕っこき揃いでギリギリのバトルは面白いという言葉以上だった。

 そのM3やメルセデスがしのぎを削っていたころのDTMより少し遡って1970年代後半から始まった富士グランチャンピオンシリーズ(GC)のサポートイベント、マイナーツーリングもメインイベントに劣らず人気だった。ちょうど、DTMのように各チューナーとドライバーが技術の粋を競ってスプリントレースを戦っていた時代。B110 サニーやツインカムヘッドの3K-Rを搭載したスターレット、そこに割って入るホンダ社内チームのシビックという構図が見られた。

 マイナーツーリングは職人揃いのレース。最終ラップの最終コーナーで何番手にいるかによって勝負が決まる。ドライバーはその間合いを取りながらレースを組み立てていた。最後の直線でスリップから抜け出して前に出る作戦だ。誰が勝つかは予断を許さず満員のグランドスタンドは沸くに沸いたレースだった。

 シビック誕生50周年を迎える今年、ホンダは初代シビックと共にヤマト・シビックを展示した。いわゆるワークスではなく社内クラブの活動で、1978年から参戦した当初は職人たちの中で苦戦していたが、マシンやドライバーも技術を徐々につけ、シリーズが幕を閉じる直前の1983年に念願のチャンピオンを獲得した。今見ると手作り感満載で当時の雰囲気が蘇る。現在のS耐にもホンダ社内チームが参戦しており、いつかその努力が結実しますように。

ヤマトシビック。ホンダの社内クラブ、チームヤマトのシビックなのでこう呼んでました

 さて東和不動産からは富士モータースポーツフォレストが展示された。東和不動産といってもピンとこないが、富士スピードウェイや名古屋のミッドランドスクエアなど、トヨタの不動産管理をする会社で、間もなくトヨタ不動産と名称を変えると言えば分かりやすい。富士モータースポーツフォレストは富士スピードウェイに今年の秋からホテル、ガレージ、ミュージアム、オフロードコースなどを順次オープンするビッグ・プロジェクトだ。

 ミュージアムに展示されるのは、モータースポーツに深いかかわりのあるマシンばかり。その中で2台が展示されていた。自分でも名前だけは知っているアルファ ロメオ6Cと幻のトヨタ7ターボである。

富士モータースポーツフォレストのブース。赤いのはアルファ ロメオ 6C グランスポーツという1930年製のレーシングカー。左側に静かにトヨタ7ターボが置かれていました

 トヨタ7ターボはアルミ鋼管スペースフレームに5.0リッターV8+ギャレット製ターボを装着して800PSを出すモンスターだ。よく知られているように当時隆盛を誇っていた北米CanAmシリーズに参戦予定だったが、不幸な事故でプログラムそのものが中止になってしまった幻のマシンでもある。改めてみるとマグネシウムやチタンが随所に使われた軽量マシンで、もし実戦に出ていたら高い経験値を得てその後のトヨタのレース活動に大きな影響を与えていたと思う。

トヨタ7ターボのコクピット。現代のレーシングカーに比べるとシンプルな操作系でした
トヨタ7ターボのリアエンド。造形美が美しい。アイシン製の5速ギヤボックス。もちろん3ペダルです

 どれも心惹かれるクルマばかりで、今年も存分に楽しんだオートモビルカウンシルでした。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。