日下部保雄の悠悠閑閑

ナビゲーター

2017年のLegend of THE Rallyでの田口次郎と私。復活したシャルマンと。三好秀昌カメラマン撮影

 初めて田口次郎に会ったのは池袋にあったDCCS(ダイハツ・カー・クラブ・スポーツ)だった。すでに第一線のナビゲーターだった田口次郎をDCCSのボス、寺尾さんから紹介された。

 ボクも決まったナビゲーターがいなかったのですぐにコンビを組むことになった。田口次郎との最初のラリーはシャルマンでの四国アルペンだった。シャルマンはA20カローラをベースとしたダイハツ版だが、ちょっと豪華な4ドアセダン。ボスの寺尾さんがどうやってダイハツを説得したのか分からないが、とにかくシャルマンはスポーツイメージを打ち出そうとラリーにデビューした。そしてなんと初コンビ、初ラリーで優勝してしまった。しかも大先輩の浅川虎美選手との1-2フィニッシュだったから大成功だった。

たぶん1974年だと思いますが、1-2フィニッシュを決めたときの掲載雑誌が出てきました

 ジロサ(ウチの家内は親しみを込めてこう呼ぶ)はラリー全体のマネージメントも優れていた。

 ラリーはドライバーに焦点が当たりがちだが、ラリーにおけるナビゲーター(今はコ・ドライバー)の力量は大きい。指示速度どおりに自車の位置を計算するだけではなく、主催者がどんな運転で距離を計測しているかを推測したり、コース図を見て主催者の意図を読んでラリーを組み立てたり、そして当時はチェックポイント(CP)もルートも秘匿されていたので地図も見なければならない。もちろんドライバーも一生懸命ナビの指示に合わせて一緒に勝利に向かって戦う。それがラリーの醍醐味だ。田口とは最初から息が合った。

 ジロサは博識でいろんなことを知っていた。それによく喋った。ラリー中の会話にも雑談が多く紛れ込んだのは事実。ボスには言えなかったが、とあるラリーでお互い話に夢中になり、曲がるべきルートを外れてしまったことがある。気付いて大慌てで戻ったが、時すでに遅し、大量減点を食らって脱落なんてこともあった。

 スタート早々電気系でリタイアして、サービスがレスキューに来るまで深々と冷えるラリー車の中で一晩凍えていたこともある。

 そしてシャレードがデビューした翌年はシンガポールのダイハツディーラーがシャレードのプロモーションの一環でDCCSにお呼びがかかった。ツアー・オブ・マレーシアだ。3日間にわたってマレーシアの森林地帯やゴム農園のグラベルを走るスピードラリー。シャレードはわずかに1.0リッターしかない。

1979年のツアー・オブ・マレーシア、生意気に髭をはやしていました

 でも軽くチューニングされたシャレードの3気筒エンジンは軽快に回り、国内戦とは全く違う。それに軽自動車レース用に作られた超クロスミッションを使っていたので、パワーバンドは常に高回転を維持できた。ウェットで滑りやすいグラベルコース、それにフラットな路面はシャレードの独壇場だ。マーシャルランプに照らし出されるストレートではすぐにレブリミットに当たりつらかったが、田口も思いは同じで残り距離を端的に読み上げる。

 決定的だったのラリー後半の濃霧のロングSS。高速コースが続くが、田口は渡されたルートブックからまるでペースノートのようにコーナーの角度、ストレートの距離を指示し、お互い無我の境地でロングSSを突進した。軽い上にFFだったのが功を奏したが、真っ白な闇の中、突如ガタガタと衝撃があったときは驚いた。どうやら橋を渡ったらしい。ジロサは動じることもなく「橋!」と一言だけ。ここで一気に突き放すことができたが、他の参加者からは「あいつらショートカットしてるんじゃないか」と騒ぎになっていた。初めての海外ラリーでそんなルート知るわけもない。もう40年も前のことだがマレーシアのジャングルでの高揚感は今も鮮烈に覚えている。

同じく1979年のツアー・オブ・マレーシアのフィニッシュ直後。優勝してホッとすると同時にうれしかった

 シャレードではその後、926ターボにも田口と乗った。その頃はEP71スターレットの天下で苦戦したが、懐かしい思い出だ。さらにSHIFTの手によるTE71、TUSKでのAE86、ランサーターボ、4WDの三菱コルディアなど、田口とは10年以上コンビを組んで日本国中走り回った。

 酒もよく飲んだ。飲めばとめどもなく会話が続き、麒麟ラガーの瓶がゴロゴロ転がった。話は尽きず、どれもいい思い出だ。

全日本ラリー選手権のMCSCハイランドマスターでの名物川渡り。さすがにジロサと無駄話はする暇ありませんでした

 昔のラリーコースをたどるLegend of The Rallyでは20数年ぶりに田口とコンビを組んだ。同じラリーカーに乗れば時間はすぐに40年前に戻る。ラリー中もずっと喋っているのも昔どおり。おかげでラリーは疎かになって成績は残らなかったがそれでも楽しかった。

 今年もクラシックアルペンに向けてそろそろと準備を、と思っていた矢先、突如、次郎の訃報が届いた。ついこの間、電話したばかりなのに……。元気そうだったのに……。もう田口とうまい酒は飲めないのか……。少ししゃがれた声は聞けないのか……。ラリー中の減らず口は聞けないのか……。ただただ悲しく、これ以上綴るのはつらい。長い間ありがとう。ジロサ。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。