日下部保雄の悠悠閑閑

サファリラリー

勝田貴元選手。真摯にサファリを語ってくれました

 僕らの世代にとってサファリラリーは特別だった。悪路で知られるサバイバルラリーに日本のメーカーが挑戦するのはプロモーションの意味もあるが、ラリーファンにとっては日本のクルマが世界で通用するのかを固唾をのんで見守っていたという感じだった。特に石原裕次郎と三船敏郎、浅岡ルリ子といった大スターを揃えてサファリを題材にした映画「栄光への5000キロ」は空前のヒットとなるほどラリーは皆にとって身近なものだった。

 当時はまだヨーロッパのハイスピード耐久に挑戦するノウハウは蓄積されていなかったし、クルマも用意できなかったが、耐久ラリーでは日本人のメンタリティーに合うし、チーム力も得意な分野だ。

「栄光への5000キロ」は510 ブルーバードが主役。ライバルはフォード・エスコート Mk1 RSで最後まで接戦を繰り返すストーリーだった。映画の中で510は日産のワークスカーだったが、エスコートはノーマルで少しがっかりした覚えがある。

 スタートして市街地を抜けると「速度制限解除!」とコドラが指示して全開になる。この言葉も刺激的で、「速度制限解除!」なんて言って遊んでいた。気持ちは石原裕次郎である。

510 ブルーバードの後を受けて1971年から登場したフェアレディZ、ウィナーです

 さらにドライバーが疲れると、走りながらコドラとアクロバティックに運転を交代なんてシーンもあり、今だから言うけどこれに刺激されて実際にやってみたやつがいる。誰もいない原っぱでの冒険で、何の意味もなかったが、こんなことやっていることが若さだったんだろうな。

 リアバンパーに取り付けられたステップとトランクのハンドルも当時のラリー車の標準装備。泥濘地でスタックするとナビがこれに乗って上下に揺すり、荷重をかけるのだ。映画では浅岡ルリ子が石原裕次郎に渡した白い手編みのセーターをスタックした510のタイヤと路面の間に入れて脱出に成功! なんてシーンがあって、ラリー仲間は手編みのセーターをもらえるのを心待ちにしていたが、もちろん誰ももらえなかった。

 そんなサファリだったがあまりにも耐久色が強く、「こりゃセーターが何枚あってもスタック地獄から抜けられなんじゃないか」と思い、自分の中でサファリ遠征の野望は消えていった。でもサファリは1度出るとすべての人を魅了すると言われ、挑戦した多くのドライバーがまたサファリに帰っていった。

1982年のランチア・デルタ HF インテグラーレ。リカルデがハンドルを握った。ミラーフィルムを貼ったサイドウィンドウや頑丈なフロントバー、ウイングライトがサファリカーらしい

 岩下良雄選手や篠塚建次郎選手など多くの日本トップドライバーが挑戦したサファリ。優勝できたのはトヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)から参戦した藤本吉郎選手のセリカ GT4で、篠塚さんとの激戦を制しての勝利だった。ノンタイトル戦だったが優勝は大きい。先日見せたもらったレストアされたセリカ GT4は戦車のように頑丈で、どれだけサファリが大変かを物語っていた。

藤本さんのウィニングセリカ

 そのサファリで2021年はあわや優勝、2022年も3位という快挙を成し遂げた勝田貴元選手。GAZOOの育成ドライバープログラムで当初はF3の実績を積んだレーシングドライバーだ。本格的なラリー経験は7年ほどになる。昨年の2021年からWRCにシリーズ参戦し、TOYOTA GAZOO Racing WRTとともに世界を転戦して経験を積んでいる。今年はNext Generation Teamで全戦に参加して、すべてに完走しているのは素晴らしい。着実にポイントも獲得して現在はなんとドライバーポイント3位につける。

ヤリスラリー1。猛烈で細かいダストを巻き上げて快走する勝田選手(写真はプレスリリースから)

 サファリ直後にオンラインインタビューが行なわれたが、勝田選手のコメントからは着実に自信をつけている様子が感じ取れた。毎回ラリー後にインタビューで真摯に答えている姿勢に好感を持っていたが、回答の内容もどんどん濃いものになっている。特に今回はサファリの過酷さをクレバーに乗り切る術を身に付けたことも感じさせた。

 勝田選手の素養もあるが、GAZOOの教育プログラムの充実さもうかがえる。

 コメントからは前戦のサルディニアから時間もない中で、ヤリス・ラリー1は急速にサファリ用への適用が図られ、現地に入ってからも刻一刻と進化したという。事前のレッキでラジエターの前にある網が、水たまりに入った時の水圧でラジエターを押してしまうトラブルがあったが、現地で買ってきた頑丈な網に交換することでトラブルはなくなったと言っていた。システマチックに機動する現在のWRTでも現地現物調達は変わりがないんだなぁ。

 サファリで得たドライビングテクニックでは左足ブレーキの体得があったという。意外なようだがラリードライバーのすべてが左足ブレーキを使うわけではない。勝田選手も基本右足でのブレーキ操作だったが、滑りやすいコースで左足ブレーキによって姿勢をコントロールしやすくなったのは大きな収穫だったようだ。ますますその進化に期待が持てるし、表彰台の真ん中への野心を隠さないのは頼もしい。

 今年から本格的に育成プログラムで北欧に拠点を移した3人の若手ドライバー、大竹直生、小暮ひかる、山本雄紀の各選手も、勝田選手をはじめとするトップレベルのドライバーから多くを吸収して成長してほしい。楽しみに待ってるよ~!

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。