日下部保雄の悠悠閑閑

出戻りのアイちゃん

フロントのユニークな造形。大きなウィンドウに大きな1本ワイパーも面白い。前のアイの時、イギリス人に写真を見せたら「なんで虫みたいなクルマに乗ってるんだ?」と言われて価値観の違いから文化的な背景に至るまで思索が広がりました

 いろいろな思いが詰まるわが家にあったクルマの中で、最近気になるクルマがあった。町で見るチャンスの少なくなった三菱自動車「アイ」だ。EVの先駆者、i-MiEVを連想するが主力だったのはガソリン車のアイで、当時の軽自動車の中では高価格帯だった。またあまりに斬新なスタイルとメカニズムのため、本流の軽自動車群とはかけ離れた存在で商業的には成功とは言えなかったと思う。それでもその志の高さは大きな魅力だった。事実クルマ好きが多いCOTYのメンバーはアイがデビューした年、2006年に Most Advanced Technology賞を与えている。

 その好奇心に負けて実はその翌年に購入したのでした。その時はわが家には2シーターのスポーツカーが居たので4人乗れる軽自動車のアイとはちょうどよいコンビだった。

 で、もう一度アイに乗りたくなってクルマの販売も手掛けている友人で元ラリードライバーの片岡良宏君に探してもらったが、希望のアイがなかなか出てこないので自分が愛用していたアイを譲ってくれるという。

 ちょうど今、試用期間でわが家にきているところだ。発表以来15年も経過しているが未だにデザインは秀逸。リアミッドシップというレイアウトでタイヤをボディ四隅に配置したことで2550mmというロングホイールベースは今のFFの軽自動車にはできない。

アイのサイドビュー。この向きのカットが一番好きで、ホイールベースの長さがよく分かります。秀逸なデザインとパッケージングも分かりやすい

 卵型のボディデザインでドライバーシートが前に出ているので室内長は長かった。ミッドシップに置かれたパワートレーンがキャビンを邪魔しているかと言えば、床下にうまく収めたことでラゲッジルームの床が高いぐらいだった(夏場は生ものを置かないようにしていた)。そしてフロントにエンジンがないのでハンドルの切れ角が大きく、小回りがよく効いた。最小回転半径は確か4.5mだったと記憶する。

 当時わが家にあったのはターボで元気よく走ってくれたが、今度のアイも同じターボで、おなじみの加速フィールだ。ボディカラーも白で希望通り。しかも外装のへたりはほとんどない。

 だが何といっても16年前のクルマでいろいろ経年変化が大きいだろうと覚悟した。それでもウキウキしながらハンドルを握っている。ザクと乗るとサスペンションやステアリング系のブッシュ類は年相応のへたりがあって、直進状態でわずかに乱れがある、ショックアブソーバーも特にリアの減衰力が落ちているようだ。

 その代わりエンジンは快調で、4速ATも比較的しっかりしている。室内のデザインは合理的でシンプル。相変わらずいい意味で安っぽく、とても心地よく作られている。それにパーキングブレーキがサイドなのが安心だ。習性なんだろうか。

シンプルで分かりやすいインパネ。取説を見ながら最初にきたアイをニヤニヤしながら思い出しています

 安全装備は当時の軽自動車の平均以上だったが、最新の軽自動車のようなスマアシなんてないしバックビューモニターもない。その代わり視界が開けておりドアミラーも大きい。

 アイは当時のダイムラー・クライスラーとの提携関係のすったもんだの中で難産の末に誕生したが故に、三菱自動車の力を結集してアイコン的なクルマになった。これまでなかった軽自動車を作ろうとした野心的なクルマだったのだ。

 その後の日産とのアライアンスの中で生産コストの高いアイはNMKVの構想には入らず消えてしまった。経営的にインパクトを与えるまでには至らなかったが三菱自動車らしい1台で印象深い。

 さて、しばらくはこのアイに付き合って手当できるところはやっていこうと思う。最初に手を付けるのは特殊な前後サイズのタイヤを交換することだな。幸い横浜ゴムのブルーアース ES32という最新のベーシックタイヤにサイズがあるので、そのインプレッションから始めるか。

バックドアから見たところ、意外と広い荷室と安っぽいけど気持ちのいい室内
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。