日下部保雄の悠悠閑閑
富士モータースポーツミュージアム
2023年1月2日 00:00
富士モータースポーツミュージアムは、富士スピードウェイホテルに併設されたモータースポーツ専門の博物館。トヨタ博物館のスタッフを中心に、モータースポーツの歴史を辿った展示は内容が濃く、トヨタ博物館が所有する豊富な車両以外にも、各メーカーから貸し出しされた貴重なレーシングカーやラリー車も展示され、内容もバラエティに富んでいる。
入口にでんと立てかけられていたのは、幻の「トヨタ7」。ひらぺったいCan-Amカーはこれほど大きいのかと驚くというか、大きすぎて目に入らなかった。大きなリアウイングにオレンジで入ったTOYOTAの文字がひときわ目につく。当時のFIAグループ7規定に則って開発され、最終期に入った1970年のトヨタ7は5.0リッターV8ターボ。一説には1000PSを出していたというからすさまじい。しかもインタークーラーは装備されていない時代だった。トヨタ7のコクピットからの1000PSの光景はどんなだったんだろう? 1970年のこのマシンは実戦で走ることはなかった。
そして、そのトヨタ7のルーツとも言うべき「トヨペット・レーサー」が展示されていたのは驚き。トヨタ自動車の創業者、豊田喜一郎がユーザー向けのパンフレットに自動車メーカーにとってレースの意義を寄稿した頃のこと、まだメーカーが直接手を出す余裕はなく、販売店の愛知トヨタが中心になって作り上げたレーシングカーだ。1950年代、日本の乗用車の黎明だった。ラダーフレームにクラウンのエンジンを搭載したレーシングカーからは、それに携わった人々の熱意が伝わってくる。
1stフロアは自動車の黎明期からの展示となり、クルマが誕生し2台が出会った時から競争が始まった歴史が分かる。以来、競争は車両開発を促進し、速いクルマに注目を集めてそれがまた刺激となる歴史を繰り返す。
名前しか聞いたことがない1914年製の「スタッツ・ベアキャット シリーズF」はアメリカを象徴するレース、インディ500で活躍して戦前最高のスポーツカーと言われた。確かにエンジン収納箱にしか見えないロングノーズにはその後につながるアメリカンパワーを感じる。
一方、ヨーロッパのモータースポーツはメーカーが林立する中で競争が激しかった。「サンビーム・グランプリ」は1922年に初めてDOHC4バルブ(!)を搭載したグランプリマシンとある。車体もコンパクトでメカニズムで勝負しているところがヨーロッパらしい。2.0リッターで88PS、重量は約665kgだから機敏に走ったに違いない。
サンビームは戦後もその名が残ったが、自分にとっても印象的だったのはクライスラーからPSAグループの傘下に入った時に欧州のラリーで大活躍した「タルボット・サンビーム」だ。確か2.2リッターだったと思うがP.アイリッカラがドライブするワークスカーがヘアピンコーナーを最初から最後まで2輪走行で駆け抜けた姿は痺れた。もっともこの頃のサンビームはただのブランド名になっていたのだが……。
フランスでは1926年製の「ブガッティ・タイプ35B」。磨かれた四角いエンジンは写真でしか見たことはないが、当時オイルだらけだったエンジンに染みひとつないことをアピールし、間違いなくブガッティの精緻さを訴求するには素晴らしいアイデアだったと思う。実力、デザインを兼ね備えたブガッティは今も高級スポーツカーの代名詞として名を残す。
そして、戦前に忘れてならないのは1934年の「メルセデス・ベンツ W25」のグランプリカーだ。750kg以下の新規定をわずかにオーバーしたW25は塗料を剥がして規定をクリアした逸話で有名だ。ドイツのナショナルカラーがシルバーになった瞬間だ。国の威信をかけた時代だった。そしてドライバーのテクニックによっていたレースにチーム力で臨んだのが画期的だった。ドイツらしい完璧主義のグランプリカーだ。
これらの情報のほとんどは展示されたプレートに記載されており、時代背景が分かって興味深い。
そろそろ2ndフロアに行ってみようと思うが、それはまた次の機会に。