日下部保雄の悠悠閑閑
富士モータースポーツミュージアム その2
2023年1月9日 00:00
わが家は感染性胃腸炎で2022年の暮れから2023年の幕開けまでてんやわんやの騒ぎに終始し、年の瀬もお正月もあっと言う間に過ぎ去った。同業者にも同様な症状が出て悲惨な正月だったというから流行っているのかもしれない。皆さんもご注意ください。
感染症と言えばコロナも4年目に入ってしまった。2020年の初頭、半年ぐらいで収束するのではという甘い期待は完全に裏切られマスク生活が続く。過去、第一次世界大戦後に猛威を振るったスペイン風邪もほぼ4年で収束し、過去大流行したペストなども4年ほどで収束していると言われるので今年で収まることを強く願う。医学がこれほど進化してもウイルスの脅威は変わらないということなのだろうか。
ということで(どういうことだ)富士モータースポーツミュージアムの2階に展示されていたラリーカーに思いを馳せてみることにした。
2階の展示はタルガ・フローリオのポルシェ904GTSから始まった。第2回日本GPで日本のモータースポーツに衝撃を走らせた904の派生型でフラット8を搭載したレアなモデル。タルガ・フローリオで活躍したシルバーボディのワークスカーにしばし見とれる。ラリーとレースが混在する最後の時代だ。
A73ランサーGSRは1974年にジョギンダ・シンがサファリラリーで優勝したモデル。日本ではランサーGSRは2ドアだが、サファリでは輸入の関係で4ドアボディが使われた。三菱ラリーチームの監督だった木全さんがパーツを持ち込んで組み上げたプライベートチームを強化したような体制だったが、並みいるワークスチームを出し抜いて軽量で耐久力のあるシンプルな構造を武器に勝ち取った勝利だ。
A73ランサーには国内ラリーで1回乗ったことがある。1.6リッターSOHCのサターンエンジンはトルクもあって気持ちよく回ったが、ストラット/リーフリジットのサスペンションにショートホイールベースはじゃじゃ馬でとにかくアクセルを踏んでいないとうまく走れなかった。そして三菱らしく頑丈だった。穴に片足を落として跳ね上げられても何ともなかったのだから。今でもあの時の衝撃を覚えているほどだ。
ラリーの日産を代表する形で展示されていたのはPA10型バイオレット。日産のサファリと言えば510ブルーバードが有名で、これにあこがれてラリーを始めた同世代のラリースト達は大勢いた。自分も510に心惹かれるのはもちろんだが、排出ガス規制後に復活した日産が710バイオレットの後に投入したのがPA10型。あまりにもオーソドックスな箱型ボディで人気はなかったが、このワークホース的な4ドアセダンに最初は2バルブ、後にグループ4として認められたDOHC4バルブLZエンジンを搭載してサファリを制したのが「やるときはやる」日産の強さを見せた。1978年から1981年まで続いたPA10時代である。安全デバイスは後年に比べるとまだおとなしいものだ。
そしてTTE時代のセリカGT4も懐かしい。TEAM TOYOTA EUROPEを率いたオベ・アンダーソンは、名ドライバー時代にサファリラリーでプジョーを駆って日本勢を阻んだことで何かと因縁がある。展示車はST205でラリーオーストラリア仕様だった。ST205はドライビングポジションが苦しそうで、狭いコースは苦手そうだった。それでも強いクルマに仕上げるのはさすがTTE。WRCで活躍したが、先代のST185ほど暴れることはできなかった。大きなボディが災いしたと伝えられていたが、サファリでST205で優勝した藤本さんにインタビューしたときも後年のカローラWRCに比べると大きくて大変だったと語ってくれ、やっぱりそうだったんだと納得した。結局、ST205でTTEのWRC参戦は一端休止することになる。
市販車を改造してラリーに参戦できた古きよき時代から徐々にWRカーに移行する前のラリーを展示されている年代順に追ってみました。