日下部保雄の悠悠閑閑

KYBラリーチーム

KYB GRヤリス。スノーラリーでKYBカラーが映えます

 カヤバは戦前、発明王の萱場資郎が創設した油圧機器のパイオニア。ヘリコプターに似たオートジャイロを開発し、ゼロ戦をはじめとする軍用機の脚を担っていた。その精度の高さは海中に沈んだゼロ戦を引き上げた時に脚のオレオ(車輪のオイルダンパー)がスーと伸びたという逸話がある。戦後も油圧で日本の成長を支えた油圧機器のトップメーカーだ。

 そのKYB(カヤバ)が国内のモータースポーツに帰ってきた。全日本ラリー選手権への参戦である。

 自分が全力でラリーに取り組んでいた頃は、DCCS(ダイハツ・カー・クラブオブ・スポーツ)のシャレードとは別にKYBカラーのランサーターボやAE86、三菱・コルディア、スタリオンといったクルマで各地を転戦していた。KAYABA Rally Teamの復活は嬉しい。

 新生KAYABA Rally TeamはGRヤリスでJN2クラスに参戦する。今年のJN1はシーズン直前まで規定が決まらなかったが、結局、WRC2などFIA規定に準じた車両になった。シュコダ・ファビアやこれから出てくるヤリス ラリー2などがそれにあたる。参戦初年度は実績のあるGRヤリスを選んだのは賢明だ。

 初戦は2月3~5日に行なわれたRally of Tsumagoi。雪とアイスバーンのスノーラリーとはいえドライ路面も多く、ハンドルを託された奴田原文雄/東駿吾組も汎用スタッドレスでは苦戦したようだが、総合5位、クラス2位で初戦を飾った。

奴田原/東クルーの手で、JN2で2位、総合5位で初戦のTsumagoiを飾った

 奴田原文雄/東駿吾組は第2戦の新城ラリーからは自分のチームからADVANカラーでの参戦予定で、Tsumagoiはピンチヒッター。総合5位とは100戦錬磨の奴田原君、さすがです。

 新城ラリーのクルーは横尾芳則/高橋昭彦組になり、雪解けのターマックラリーに臨む。このコラムが掲載された時には新城ラリーの結果が出ている。結果も楽しみだが、KYBカラーのラリー車が走るだけでも楽しみが増えた。横尾さんは何回もクラスチャンピオンになっている実力の持ち主で、健闘を祈るばかりだ。

 ラリーは言うまでもなくグラベルからターマック、スノーとさまざまな路面を走る。ショックアブソーバーメーカーにとっては恰好の舞台となる。

 しかし何よりも社内でモータースポーツ部が立ちあがり、ワークス体制で参戦することが大きい。部として活動できるか、プライベートで参加するかは全く異なり、そこに携わる者にとっても大きなモチベーションにつながる。

サービスでのサービスチームの下まわり作業
スタッドレス必須のスノーラリーで、アイスガードを履いて健闘したKYB GRヤリス

 モータースポーツの現場は時間の流れが速く、とにかく戦闘力のあるクルマを決まった時間までに送り出さなくてならない。開発では新しいアイデアが生まれたらそれを形にして実証し、結果を出すのは綱渡りの場面が多く、サービスでの作業も緊張の中で時間に追われることも少なくない。きっと貴重な体験の積み重ねとなるに違いない。

 自分のKYB時代はTUSK engineeringというラリーのプロ集団で車両作成やメンテナンスを行なってもらったが、新しいKAYABA Rally Teamはスタンスが違う。車両制作はTUSKで働いていた山田淳一君を中心に行なわれたが、携わった者全員にとって大きな財産で将来につながる。

 新しいKYBカラーと40年ほど前のランサーターボや、AE86のKYBカラーをアルバムから引っ張り出して見比べてみた。なるほど時代を感じます。

その昔のKYBカラーのランサーターボ。渋かった
数年後のAE86のKYBカラー。軽快だったけどなかなかアンダーを消しきれなかった思い出があります
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。