日下部保雄の悠悠閑閑

新城ラリー

新城ラリー。リエゾンを走るKRTのGRヤリス。今回は横尾さんがハンドルを握りました

 全日本ラリー選手権に参戦する新生KAYABA Rally Teamは、スノーの次はターマックの新城ラリーに挑んだ。残念ながら初日にコースアウトでDAYリタイアとなり、修復して出走したDAY2も本来の実力を発揮できなかったが、多くの経験ができたと思う。ラリーシーズンは始まったばかり。徐々にステップアップしていってほしい。

 このユニークなRally Teamは社内スタッフで運営され、ドライバーも社内から公募される。モータースポーツ部に転籍してからKYBワークスカーのハンドルを握るが、さすがに百戦錬磨の全日本に挑戦するのは大胆過ぎる。今年は習熟期間でラリチャレや地方選手権から始めて、2024年に全日本選手権に参加する予定となっている。

 KYBがサポートしているもう1台のGRヤリス、いつものADVANカラーの奴田原文雄/東駿吾組はJN2のトップ、総合でも5位に入った。安定感、速さともますます磨きがかかっている。

サービスポイント。真新しいKYBの車高調整式別タンクのショックアブソーバー。どんな乗り味になっているのでしょう……
翌日に送り出すために必死のナイトサービス。正確で素早い判断と作業が要求されます

 圧倒的な速さで優勝したのはJN1クラスのヘイキ・コバライネン/北川紗衣組のシュコダ・ファビアR5。タイムを見ると安定して速くてクルマもクルーも第一級だ。

 勝田範彦/木村祐介組のヤリスラリー2は、まだホモロゲーションが取れないのでオープンクラスでのデビュー参加。惜しくも最終SSでリタイアしたが車両/クルーとも実戦参加で大きな収穫が得られたに違いない。

 光ったのはFFのWRC4クラスでJN1に挑戦したプジョー・208 ラリー4の新井大樹/金岡基成組。見事にJN1で4位に入った。世界で活躍してほしいドライバーの1人だ。

 そして同業者の清水和夫君はJN6のヤリスHEVで見事に3位入賞。あいかわらず速いです。

 新城ラリーは20周年を迎え、地域社会に溶け込んで成長してきたラリーだ。主催者のモンテカルロオートスポーツクラブ(MASC)の代表、勝田照夫さんはモータースポーツファクトリーLUCKの創始者であるとともに、プロモーターとしての才能も優秀だった。

 夜間のハイアベレージ区間が主流だった日本のラリーがもがいていた頃、ヨーロッパ型ラリーを目指して昼間のSSを中心としたMASCラリーを開催したのは1970年代の後半だろうか。

 多数のギャラリーが陣取った林道でのSS、しかも補助ランプの必要ない昼間、観客の声援がスポーツ選手の背中を押すのはラリーも一緒だ。

 光栄にもゼッケン1で第1回のMASCラリーを走った時は感激した。整備された林道には新しい砂利が引き詰められ、気持ちよいほどドリフトした。気持ちよすぎて滑るばかりでトラクションがかからない。つまり後続のラリーカーのために砂利かきをすることになった。後続車のタイムは飛躍的によくなっていくが、しかし成績など二の次。その爽快さは忘れられない思い出となった。

1977年の第1回MASCラリー。のちの新城ラリーの原型ですね。ゼッケン1は砂利かきとなったが、爽快でした
この写真を送ってくれたのは、のちに86のCE(チーフエンジニア)となる多田哲哉さんの弟さんでした。兄弟で観戦しに来てくれました
装着していたラリーマスター5。コントロール性のいいタイヤでした。ADVAN登場前のラリータイヤはラリーマスターと呼称されてました

 MASCラリーの進化した姿が現在の新城ラリーだと思っているが、今のスタイルのラリーは先人の努力の積み重ねの上に成立していることを実感する。主催、お疲れさまでした!

 次戦は九州の唐津。コバライネン選手の独走は続くのか?

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。