日下部保雄の悠悠閑閑
学生生活の思い出
2023年4月10日 00:00
50年ぶりに母校の入学式に出かけた。もちろん自分ではなく大学の新入生を出迎えるためだ。大学卒業50年にあたる卒業生が新入生を迎えるという毎年行なわれる恒例の式典だが、コロナ禍で中止されていたのが復活したと聞く。自分にとっては区切りの式典だったので何十年ぶりかの母校も訪れた。
高校からこの学校にお世話になり、大学の教育課程も同じ場所にあったのでまさに青春時代をここで過ごした。高校時代の濃密な時間は今も続き、クルマを通じた同窓会のようなことをやっている。
入学式は塾長や学部長の含蓄のある祝辞や学生の答辞も聞き入るに十分。あっという間の1時間だった。まだマスクは取れなかったのは残念だったけど、はつらつとした新入生を見ているとこちらが元気をもらえる。
さて、ほとんどの人が高校に通い始めたときと同じように、自分も初めての電車通学となった。駅のホームは多くの通勤、通学の人が電車を待っていたが、やってきた電車はすでにすし詰め。ぎょっとしている間もなく、流れに乗って押し込まれた。他の駅からも乗ってくるので人と人との隙間は全くなく、学生カバンから手を放しても落ちなかった。
すし詰め通学のある日、隣に押し込まれてきた生徒の制帽が何かで煮しめたようにテカテカで、それが鼻の先でユラユラする。そのすさまじい臭気から逃げようと顔をそむけるが大した効果はない。ずーっと息を止めているわけにもいかず肺が悲鳴を上げる。試しに呼吸をユックリ、ソロリとする。肺はかろうじて息を吹き返すが、強烈な匂いに意識が遠くなりかける。やっと駅について怒涛の如くホームに吐き出されたときはやっと苦行から解放されたとホッとしたが、校舎までの長い坂をいつものように走ることはできず遅刻した。それ以来、通学電車に乗るときは、同じ車両にならないように乗車位置を変えることにした。今でも匂いを思い出すくらいの強烈な思い出。これ1回で済んだのは幸いだった。
通学電車では一緒に押し込まれた女子生徒とお互い身動きが取れずに、お互いよそ見をしたり下を向いたり、モジモジしていたウブな頃でした。そんな経験あったでしょ?
高校では体育会自動車部に入部したが、毎日がランニングと腕立て、腹筋の日々だった。初めてハンドルを握らせてもらったのは古いオースチンだったような気がする。今みたいなパワーステアリングのない時代、アホみたいに重いハンドルをごく低速でロック・ツウ・ロックを繰り返す。部活はフィギュアが主流。ラインマーカーで作られた狭い四角の中でいかに白線を踏まずに早く出口から出られるかの競技だ。ここで腕立てが生きる。練習では白線や角に置かれた空き缶を踏むと1回につき20回の腕立てが待っていた。クルマの軌跡を考えながらここでハンドルを切って、あちらに持っていくなんて考えているうちに頭がぼーっとしてきて線を踏んでしまう。
ラリーはタイムラリーで軽自動車でのラリーをやらせてもらった(当時は16歳から軽自動車限定免許があったのです。高校を卒業する頃に廃止された)。
夏は大学との合同合宿で大先輩から指導してもらったのも懐かしい思い出。当時の大学自動車部の主将だった先輩とは今でもお付き合いいただいている。
自分が大学に入学して1年後、学園紛争が勃発して、突然すべてがバリケード封鎖されてキャンパスに入れなくなり、授業は中止になってしまった。まだオンラインなんてあるわけもなく、もっぱら大学からの電話か郵送連絡を待つだけだった。封鎖側の学生がわれわれに向けて開いた集会にも参加したが、なかなか真に理解するのは難しい。もともと勉強は好きでなかったので情熱は一気にクルマに向かったのでした。
当然単位が足りなくなり、もう1年大学に残ることになったが、わるいことに学費改定に伴う学生運動が激しさを増して卒業式は中止になってしまった。自分にとっては今回の入学式が卒業式をやってもらったようなものだった。