日下部保雄の悠悠閑閑

宍道湖つながりのラリーの記憶

全日空機で出雲の国へ。雲の上は群青色の青空。たぶん初めて乗るエアバスA321でした

 日本でラリーが盛り上がりつつあったころの話、以前にも触れたことがある「富士~霧島4000km」という日本ラリー史では最長のラリーがあった。そのころは学生時代、富士スピードウェイ(FISCOと呼ばれていた)でオフィシャルもやっていたので「暇そうなのがいるぞ」(多分)とこのラリーのコース作成と先行車という大任が回ってきた。「アゴ・アシ・マクラは出す」と言われ、九州まで行けるとばかりKRCC(学生で作ったクラブ)の仲間3人で霧島までを往復した。

 もっぱらボクはハンドルを握るだけ。ラリーを組み立てたのは切れ者の武藤さんと竹村さんだったが、計測しながら予定していた場所でチェックポイントを決め、その夜に距離と時間からラリーの指示速度を決めていくので緊張感もある。本当なら試走は確認も含めて2回ほど行なうが、2回も試走するお金も時間もなかったので1発勝負。ラリー型式は分計測のタイムラリーだ。

 本番時はタイヤ4本を支給してもらってうれしかったからカワイイもんである。もっとも学生にとってはいい経験をさせてもらった方が大きかった。オフィシャルはその地域のラリークラブにお願いしていたので規模の割には省エネラリーだったと思う。

 本番ではオフィシャルが来ないという緊急事態もあったけど、折り返し点の霧島で歓迎され、帰路は四国経由でFISCOに戻り、本コースでのSSで終了。長い長いラリーは無事終了してホッとした。

 参加車は25~6台だったので、計算どおりなら30分ほどで通過するタイムラリー。長い距離だったので飽きさせないようにテンポのいいラリーにしたつもりだったが、参加者はどう思ったんだろう。

 特に思い出深いのは高千穂渓谷と宍道湖だった。高千穂渓谷は日本書紀などの古代史の刷り込みがあったせいか荘厳な景色がまぶたに浮かぶが今はそのルートはなくなったと記憶する。一方の宍道湖は静かで穏やかな湖面や豊かな自然に癒された。山陰に来たのは初めてだったのにまるで故郷のようだった。

 数年前にやっと来れた2度目の宍道湖も昔と変わらなかった。もちろん国道や建物、湖岸の整備などが進んで外観はすっかり変わったが、心に残っている宍道湖はそのままだったのだ。

 今年、松江を訪れて江戸期から変わらない松江城や堀川堀、街並みを見るにつけ、その土地が持つ豊かさに触れたような気がしてこの街に惹かれる訳も少しだけ理解できたような気がする。

 今度訪れるときはホンダの電動船外機付き遊覧船に乗れるかな。

国宝・松江城を取り囲むお堀は中海からわずかな水が流れ込み希釈塩水です。堀川の遊覧船は定期運航では船頭さんの解説付きでお勧めです。10月以降なら実証実験が始まるホンダ電動船外機に乗れるかも……!?

 と、ここまで書いたら「富士~霧島4000km」は写真がないことに気づいた。写メできる携帯もコンパクトカメラもない当時、そしてそんな余裕もなく記録は記憶だけでした。

出雲鬼太郎空港でのお見送り。どの空港でもグランドスタッフの心のこもったお見送りはうれしいもので、こちらから手を振ってみたりします、照れくさいけど
カラフルなガンダムプレートが堀川の船着き場にありました。なんだと思ったらマンホール! バンダイからの贈呈品で運がよければ各地で見られます。カードも配られて1枚ゲット。なんとなくデスクの上にあります
帰路はうっすらと夕暮れで旅愁を感じるのでありました
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。