日下部保雄の悠悠閑閑

虫めづる日本の人々

美術館で写真は撮れなかったので、パンフレットを。六本木のサントリー美術館で開催されている「虫めづる日本の人々」展に行ってきた

 子供のころはみんな好きなのに成長するに従って疎遠になっていく虫たち。特に都会では虫と接する機会も少なく、ややもすると嫌われる存在になってしまう。

 振り返って自分のことを思い出すと、四季折々に虫との付き合いはもっと多かった気がする。もっとも、夏は酷暑が当たり前、四季の変わり目も突然やってくるような異常気象が毎年のように繰り返され、情緒を感じるどころではなくなってしまったのも事実。

 さて自動車やバイクの音がなかった時代、昔の日本人はもっと虫との距離は近かった。それを美術品で知ることができるサントリー美術館の「虫めづる日本の人々」展にちょうど時間のあった友人に付き合ってもらって行ってきた。暑くてモヤモヤしていた日々が続いていたがいい気分転換になりました。そういえば長くお会いしてないけどサントリー美術館の吉岡さん、元気かな。

絵は伊藤若冲で菜蟲譜の1巻です。今回の目玉、寛政2年ごろの作だそうです。江戸中期ですね。虫に対する愛情が感じられます

 虫が出てくる最初の物語はなんだっけと記憶の奥をたどってみると「虫めずる姫~」というフレーズを思い出した。高校時代の古文だったと思う。先生には申し訳ないが、熱心な生徒ではなかったので記憶は曖昧。ストーリーも確かでないのでググってみた。

 自分なりに超要約してみると、平安時代の貴族の常識にとらわれない虫をこよなく愛する姫が、周囲の声に耳を貸さず自分に正直に生きる様子を記した短編だった。そうだった! 有名な短編集なのに今読むと令和の日本にもありそうな同調圧力を受け流して生きていた1000年前の女性の話で、昆虫学者のはしりだったのではないかと改めて新鮮だった。それに平安時代も虫は若い女性には気味わるいものとして受け止められていたようで、異形の虫に対する感情はそう変わらないのかも。

 中世になって中国からの文化も盛んに入ってくるようになると虫もさらに身近になった。縁起物との認識も高く、絵画はもちろん、陶器や服にも多くの虫が登場し、時代が下るに従って細密画の技巧も上がり驚くばかりだ。

 どの絵、陶器も素晴らしかったが、江戸時代中期に生きた伊勢長島藩主、増山雪斎の細密画と愛情の深さを知り、死後、その遺志を継いで図らずも命を奪ってしまった虫たちを慰めるために寛永寺に虫塚が建立されたという。生命に対する深い敬意が感じられて感動した。

 江戸期には夏の蛍狩りや、虫の声を楽しむ虫聴も娯楽として広まっていたことが当時急速に技術の発達した木版印刷によって知ることができた。この多色刷りもすごいが、そこに描かれている虫籠の細工も凝って、江戸の粋も感じられた。それに若冲の絵巻は圧巻でした。

 この美術展は9月18日まで六本木のサントリー美術館で開催されているので一見の価値ありです。ただ美術品保護のためらしく会場が暗いので老眼では微細なところまで見えない。小さな単眼望遠鏡のようなもので鑑賞していた方もいて、さすが慣れていらっしゃいました。これ今度持って行こ。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。