日下部保雄の悠悠閑閑

自転車との付き合い方

家内のヘルメットです。カラーも落ち着いており、軽量で自転車用としてよくできていました。このヘルメットのお世話にならないよう願っています

 最初の自転車との出会いは幼稚園だったと思う。ある日のこと、朝起きたら父母はうれしそうに「雨戸の外を見てごらん」と言って開けてくれた。そこには子供には高価だったピカピカの自転車が置いてあった。狂喜乱舞したのは言うまでもない。若かった父母の優しくてうれしそうな笑顔を思い出す。

 やがて補助輪も取れて自在に走れるようになると世界が広がった。と言っても神田橋界隈の半径300mぐらいをグルグル回っていただけだと思うが、とにかくあの感動は忘れない。その後ボクの自転車は成長するにつれて進化??して中学のころは多段ミッション(と言っても3段です)、光るシグナル、ミラー、空気入れetc, etc...でデコトラの様相を示していた。そんなのが流行っていた時代があるのです。

 その自転車で友人と相模湖までサイクリングに行ったのはよく覚えている。しかし往路の上り坂ですっかりバテて、帰りは居眠り運転する始末。どうやってウチにたどり着いたか全く覚えていない。

 またダートのコーナーでリアだけブレーキをかけてリアを滑らせていたのもこのころ。同級生もやっていた。ドリフト感覚はこの時代に身に付けたのかもしれない。

 自転車から先は4輪まっしぐら。自分に向いていないと思ったのか不思議と自動二輪には興味が湧かなかった。ただ父親のスーパーカブの後でその背中にしがみ付いて遠出してもらったときの爽快感はだけは忘れられない。

今年は迎え火が遅れてご先祖さまは短期滞在となってしまいました。父母を思い出すお盆でありました

 そうここから少し真面目に。自転車は身近にある最高に手軽な移動手段だ。今はスポーツバイクも多く、颯爽と走る姿は羨ましい。それにママチャリ。子供を保育園に連れて行ったり、買い物に行ったりと若いママさん、パパさんの強い味方で、普及率は自転車全体の65%を占めるほどだからどれだけ日本社会に溶け込んでいることか。さらに電動アシストがついてから上り坂も苦にならない便利さは普及に弾みがついた。

 便利になった分、心配なのは乗る人の安全。何しろ手軽なので歩行者の延長線上ととらえている感じだ。取り締まりの報道も目にするがまずルールを知らせる方が先だと思う。

 自転車は軽車両。左側通行、交差点の一時停止などルールがあっても守られているとは言い難い。交差点での右折方法に迷っているママさんから質問を受けたこともある。

 自転車を購入するときに読んでもらえるような分かりやすいルールブックを渡すことは難しいのだろうか。事故は絶対に避けなければならないのはもちろん、知らなくていきなり取り締まり対象になるのはあまりに気の毒だ。自分の知らないだけでそのようなハンドブックがあるのか知れないがまだ見たことがない。

 それに努力義務のヘルメット。いろいろな形のものもあり、以前より選びやすくなったが安全基準がはっきりしていない。厳しい基準のあるSGマークやJCFマークなどがあるが統一されていないようでなんとなくモヤモヤする。

 そしてヘルメットの基本、正しくかぶり、シッカリあごひもを締めるが知られていない。せっかくヘルメットをかぶっていてもほとんどキャップと同じ感覚だ。帽体の安全基準があってもあごひもがしっかり締められていなければかぶらないのと同じ。長年ヘルメットに守られてきた身としてはヤキモキするのです。

 かぶれば自然に正しい位置になり、あごひものアジャスターが容易に調整でき、留め具も締めやすいものが絶対必要だと思った今日このごろです。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。