日下部保雄の悠悠閑閑

彩雲

彩雲のスケールモデル。アシェットのおまけです。胴体に吊り下げているのは730L入りの落下増槽。長大です

 毎年8月のみにオープンする河口湖自動車博物館・飛行館。2023年は海軍の艦上偵察機「彩雲」が展示された。太平洋戦争末期に463機が生産され海軍の目として活躍したが、終戦時に残っていた機体は173機。そのうち4機が米国に研究用として持ち帰られた以外は何機現存しているのか不明となっている。むろん日本には1機もなく、米国のスミソニアンにある夜戦型だけが残っているとされ、復元されるか不明だ。

 河口湖飛行館に展示されたのは南方で放置された機体の中から程度のよい機体を修復している途中のものだ。程度がよいと言っても彩雲が放置されたころから少なくとも78年。去年河口湖で見た機体は腐食して穴だらけ。素人目には作り直しに感じた。レストア職人の目には程度がよいと感じるらしい。

このアングルだと、コンパクトな機体が分かる。艦上機らしく全幅が短く、翼を折りたたむ機構がない分、主翼全面を燃料タンクにすることができた

 今年展示されたのは発動機から後方の機体。垂直尾翼まで揃っており、スペースの関係で取り外されていたが水平尾翼も完成していた。

 そもそも戦争が始まった1941年以降に試作内示が出て実戦に投入されたのはこの17試艦偵、彩雲だけだったと思う。敵戦闘機の迎撃を振り切れる艦上偵察機の必要性を感じた海軍が1942年1月に中島飛行機に試作内示。試作機が完成したのは1943年8月と異例の早さで進められた。量産型は1944年の7月から。しかしすでに日本海軍の空母群は全滅に近い状態だったので、当初想定していた機動部隊同士の決戦で艦隊の目としての役割はなくなった。彩雲は着艦フックを外して基地航空隊の先鋒として危険な空を飛ぶことになる。

 速度を求めてコンパクトでスリム、偵察に特化した3座艦上偵察機は日本だけかもしれない。翼幅12.5mは航空母艦のエレベータに合わせた幅でその翼内はほとんど燃料タンク。腹に抱えた細長い落下タンクと合わせると1356L+730Lの2086Lという膨大な燃料で最大5000kmも飛び、最大速度は610km/h(戦後高オクタンの米軍燃料と新しいプラグでテストした彩雲は700km/hに近い速度が出せたという)。高速の米陸軍機、P-38の追撃を振り切ったときに「我ニ追イツク敵機無シ」と打電したのは有名な逸話だ。そして戦闘で撃墜された最後の日本機も彩雲だった。降伏の数分前のことだったという。

河口湖飛行館に展示されていた長いキャノピー部分。操縦、電信、偵察の3名が乗り込む。高性能カメラを搭載して敵情の写真を撮って帰る
エンジン側から胴体内部を覗く。手前の箱は70L入りのオイルタンク。収納された車輪の位置や、内部のリブ構造が分かる
尾翼。短い距離で離昇するため、主翼は高揚力のファウラーフラップを装備しており、その揚力バランスを取るために尾翼は迎え角変更機構が備わっている
偵察員は敵戦闘機を迎え撃つ射手の役割もするので7.92mmの旋回機銃の開口部が設けられている

 河口湖飛行館の彩雲は長期スパンで完成させる計画と聞いている。毎年形になっていく彩雲を見る楽しみ。当時の先端技術を知るよい機会でもある。そういえばメカオタクの同行者がこのまま皮を被らせるのはもったいないと言っていたが、いろいろな角度から技術を知ることができるのは確かに価値がある。

 さて、8月15日が近づくと太平洋戦争に関する番組が増える。飽きたと言う人もいるけど戦争は破壊しかもたらさないのを忘れないためにも毎年繰り返してほしい。

参考文献

文林堂:世界の傑作機
小学館:航空機 第二次大戦(II)
Hachette:日本陸海軍機 大百科

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。