日下部保雄の悠悠閑閑
ベレットGTRと50分耐久レース
2024年1月29日 00:00
ベレットGTは高校時代、尊敬していた先輩がいすゞのワークスカーに乗っていたのに憧れて最初に乗った普通車だった。当時のいすゞは日産、トヨタと並んで御三家と言われるほどだった。いすゞ乗用車の最初の生産車がヒルマンのノックダウンから始まっており、その流れでいすゞオリジナルの乗用車もどこか英国車の味があり、正確なシフトやハンドル応答性、それに限界域はトリッキーだがリアサスの踏ん張りなど、運転技術の基礎を学ぶにはいい先生だった。
ベレットGTRは正統派2ドアクーペに117クーペ用の1.6リッターDOHCエンジンを搭載したスポーツカー。それを倉敷在住の同窓生、日下総一郎君が1960~1970年代風のレーシングカーに仕立ててレースを楽しんでいる。そして同好の士が集まるとレースとなる。するとたちまちそこには1970年代のパドックが出現する。
さて2年前の岡山国際サーキットで散ってしまった最初のベレットGTRは老練なガレージ、チェックの親父さんの手で因縁の岡山国際サーキットで蘇り、頑丈なG161Wも絶好調。SOLEXキャブも低い気温に合わせてジェットを選んでいるようでよく回る。トルクは落ちるが8000回転でも元気よく回るのは驚きだ。
DAD'S主催の恒例の50分耐久では2人のドライバーで2回ピットに入るというルール。今日の相方は総一郎君の長男、恭一郎君。お父さんの影響で旧車が好きでしかも飛び切り速く頼もしい相棒になる。ウェットの予選はトップだ。恥ずかしくないように帰ってこなければ……。つまりスタートドライバーは私。
スタートはグリッドから。シグナルが5つ点灯、それが消えたらスタートだ。ランプが点灯し始めると現実逃避に入るのか、いつもどうでもいい違うことが頭をよぎる。「耳、かけるかな?」(無理に決まってんだろ)。スタートはタイミングがあって、というか誰も動かない間にスタコラとミラーに小さく映る後続車を離していく。
しかし久ぶりのベレット、どうもリズムがつかめない。このクルマは5速の位置に4速があるので3-4速のシフトが難しい。アップはいいがダウンで入らないのだ。ヘタクソ。
そのうちロータリーエンジンのRX3がミラーの中で大きくなる。速い。バックスレートで抵抗するまでもなくあっけなく抜かれてしまった。しかし次のリボルバーコーナーでシフトミスをしたのかハーフスピン。また前に出た。
しかしシフトダウンで3速に入らずもたついている間にまたRX3にバックストレートで抜かれた。ロータリーエンジンのパラン、パンパンというエキゾーストノートが懐かしい。
初めて乗ったスリックタイヤがRX3のTS(特殊ツーリングカー)だった。耳栓をしててもうるさかったがとんでもなく速かった。一方スリックタイヤのグリップ力のすごさとハンドルの重さを知ったのもこのときだ。壊れているかと思った。
今日、ベレットGTRに履いているADVAN A050は当時のスリック並みのグリップ力があるんじゃないだろうかと思うが、それでもハンドルはそんなに重くない。
先にピットインしたRX3の後を追ってこちらもピットイン。恭一郎君に交代してRX3の前でピットアウトする。恭一郎君は快調にペースを上げて先行する。後で調べると1分56秒台後半を2周続けて出している。自分が全て3速に入ったラップでも58秒台前半だから1.5秒も差がある。全く次元の違う速さは感心するばかり。
後で考えるとシフトするときの力の入れ方や、変速ポイントなど、組み合わせればなんとか辻褄が合いそうだが話はそう簡単ではないのが運転だ。しかしお手本があると分かりやすく奥が深い。やっぱりドライビングは楽しい。
レースの方は後半の自分のパートはもう少しリズムよく走れ、前を走るクルマはとりあえず抜く、を信条として無事にトップを守り50分は終了。久しぶりにファーストチェッカーを受けた。コースマーシャルの祝福を受けてクールダウンしてピットに戻る。こちらもやっぱりうれしい!
一緒に遊んでくれた旧車の仲間たち、ありがとうございました。皆さん、またお付き合いください。そして総一郎君、大事なベレットGTR、ありがとう! チェックで作り直したボディは硬くて、余分な動きが少なくなったよ。