日下部保雄の悠悠閑閑

雪の旭川から飛んだ、カヤバラリーチームのシェイクダウン

雪の降った翌日、キレイに除雪された道は素晴らしく気持ちがいい

 冬の北海道に来ると青い空と白い雪のコントラストに魅了される。すべてが柔らかい曲面は目に優しく、冬の青く澄んだ空もすべてが溶け込んでしまいそう。

 風のない氷点下の雪原に立つと凛とした世界に圧倒される。もっとも上下ヒートテックとダウンに手袋、サングラス着用の完全武装の上の話で、暖房の効いた部屋に戻るとチョコレートのように身も心もとろけてしまう。

 さて雪原の照り返しは目に厳しくサングラスは手放せない。もともと眩しがり屋でサングラスは必需品だったが、白内障の手術をしてからはさらに涙ポロポロで、日差しの強い日は都内でもしょぼしょぼして目が開いてるんだか閉じてるんだか分からない状態に。

 これまでいろいろなサングラスを使って助けられたが、ここ10年ぐらいは偏光サングラスのTALEXを使わせてもらっている。いろいろなレンズがあって好みに応じて選べるのでプロショップに行くといろいろ試せ、偏光レンズのアドバイスも聞ける。

こんなサングラスを使ってます。特に雪には必須のアイテム

 偏光レンズのよい所は雑光と呼ばれる余分な光をカットしてくれるので目の負担が激減することだ。今使っているのは外から見てうっすら目が見えるほどのレンズでオールマイティ。気が付くと室内でもサングラスをかけっぱなしのことも少なくない。光の反射が厳しい積雪路はマストで今年の北海道もずいぶん助けられた。

 曇天になると雪道は陰影がなくなり壁と道路の境目が見えなくなる。偏光レンズでも見えないものは見えない。少しの凹凸から道路を見極められないか……もしそんなレンズがあったら冬の道路はさらに安全になるだろう。黄色や赤のような明るく見えるレンズも効果があるかもしれない。偏光レンズと組み合わせたらどのように見えるのか面白そうだ。

旭川市を空の上から。今年は雪が少なく、しかも重い雪が積もっていた。温暖化の影響だ

 さてこの冬も長く付き合ってもらった雪道ともそろそろさようなら。舗装道路でのラリーシーズンが始まる。2月の中旬、カヤバラリーチーム(KRT)がスポーツランド山梨に集まった。

 KRTは昨年から全日本ラリー選手権(JRC)に参戦しているが、ユニークなのは奴田原ラリーチームの協力を得ているとは言え、チーム運営からメカニック、そしてラリークルーまですべてカヤバの社員であることだ。

 そして今年はいよいよJN1、全日本ラリー選手権のトップカテゴリーにステップアップする。本来はヤリス・ラリー2を使う予定だったが、さすがに手に入れるのは難しく、JN2車両、つまりGRヤリスをJN1規定に合わせて改造して参加する。ラリー2と比較するとタイムは落ちるが、それでもかなり速いラリーカーだ。

カヤバラリーチームの作業。運転訓練の合間に時間を決めて前後のショックアブソーバーを交換した。プロではないものの早い作業で、ほぼ時間内に終了

 さて、そのJN1マシンを託されるのは、昨年地方選手権などで経験を積んだドライバー/コ・ドライバー。もちろん全日本の大舞台に参加するのは初めて。全日本はベテランぞろいで高いレベルで拮抗しているので、カヤバの新人は多分期待と不安で一杯ではなかろうか。

 山梨ではそのJN1のシェイクダウンが行なわれた。自分の役割はシェイクダウンのドライバーではなく(ちょっと乗ってみたいけど)、前日のKRTのドライバートレーニングだ。正確な運転ができれば、車両の評価もしやすくなるというコンセプト。

 ドライバーや評価者を短時間で養成するのは難しい。普段は他の業務に携わっているが、クルマが好きで走るのも好き、それもモータースポーツが好きでカヤバラリーチームの応募に手を上げた選抜メンバーだけに、まだまだ粗削りだけど、今回のわずか3回目の訓練で予想よりはるかに早く進化してビックリ。実戦でも普段の業務にも役立つとうれしい。

 まだまだアマチュアだけど、黄色いラリーカーを見かけたら温かく見守ってください。全日本の猛者たちに揉まれてたくさん吸収するんだよ。

やっと帰ってきた夕暮れの東京は、早くも光にあふれていた。向こうに富士山がくっきり。最新型ではないけれどスマホの性能はすごいな
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。