日下部保雄の悠悠閑閑

釜塚誠のナイトスポーツ

1981年の富士1000kmレース。初めて乗ったレースの華だった特殊ツーリングカーはナイトスポーツのRX-3だった。クラス2位だった。最後にフロントのショックアブソーバーが抜けて、マツダスピードのRX-3に抜かれてしまった

 以前にも紹介したロータリーエンジンで有名なナイトスポーツは、創設者の釜塚誠さんの時代からお世話になった。釜塚さんはモータースポーツがもっと身近にあった時代、お金もツテもない若者がレーシングドライバーを目指して苦闘する「輝ける星を目指して」という連載をオートテクニック誌に寄稿しており、高い壁にぶち当たりながら、徐々にチャンスを積み上げていく情景が目に浮かび応援したくなった。成功はどこにも保障されていない。むしろボロボロになっていくが諦めず、やがてレースに出るチャンスを得る。しかし乗るシートは限られている。それならばと自らガレージを立ち上げた。それが苦闘時代に築き上げた人脈からマツダ車を得意とするナイトスポーツの始まりだ。釜塚さんの情熱と人柄に惹かれて多くの人が集まり成功していく。そしてビジネスセンスもあり早くから海外に目を向けていた。

 そんな釜塚さんと巡り合うチャンスがやってきた。輸入商社にもなっていたナイトではシンプソンのシートベルトも扱っており、それを提供してくれたのだ。パラシュート型のワンタッチベルトはいかにも米国らしく幅広で今も支持者が多い。

 その後、釜塚さんはなぜか信頼してくれ、ラリーにレースにナイトスポーツのクルマに乗せてくれた。最初のスリックタイヤはRX-3。スリックタイヤの操舵力の重さに泣きそうになっている私をシートベルトに思いきり締めあげて、身動きできないようにしたのはチーフメカニックの中村英史さん。今の社長だ。

若き日の中村さん。「筑波ラリー車レースにて」とあるのでRX-3のラリー車も乗っていたらしい

 中村さんとは赤道直下のインドネシアで行なわれたラリーにも遠征した。ロータリーに乗せ換えられたカペラ(4ドアセダン)の遮熱材はすべて撤去され、あろうことかサンルーフまでついてサウナのように暑かった。暑い……。左足は低温火傷、床に落としたボールペンは熱で変形してしまうほどの暑さだ。本番では慣れないAPのブレーキに手こずった挙げ句リタイア。散々なラリーだったがいろんな意味で思い出深いラリーの1つとなった。

ピットイン。交代してくれると思ったらタイヤ交換だけでもう1スティント行けと言われて、ガッカリしたようなうれしかったような。とにかく暑くてたまらない

 国内ラリーでもRX-7を走らせた。改造できないパワートレーンに重いフライホイール、前後荷重がうまくできなくて(経験不足)思うような成績は残せなかったが、ボンネットの先端で揺れるマーシャルのランプが印象に残っている。

 残念ながら釜塚さんは夢半ばで亡くなってしまった。喪失感は大きなものだったが弔辞は心を込めて行なった。

 その遺志を継いでナイトスポーツの社長を務めた中村さんから、社員研修のためドライビング技術向上を依頼されたのは昨年のこと。こちらの都合で夏頃からポチポチとやり始め、NATS(日本自動車大学校)のミニサーキットで行なったのは10月。4か月ぶりNATSに戻ってきた。ここはなかなかトリッキーなコースで路面は普通の舗装。凹凸もあったりフルブレーキするストレートもあったり、バラエティに富んでいる。車両はいつものNDロードスターで、ドライビングレッスンには最適な1台だ。

日本自動車大学校(NATS)にて。走行準備で荷物を下ろしている。天気がよくて幸い

 横に乗ってもらい、次に運転を見せてもらうのを繰り返しながら、運転を修正していく。だいぶ慣れて運転が均一化されたところで、今回はサスペンションがテーマ。簡単にできるショックアブソーバーの減衰力を変えることで操縦性の変化を体感してもらう。安全性を確認してからハンドルを渡し、反復練習。人数が少ないのでほぼマンツーマンでできるのは、忙しいけど身につきやすい。

走行中の誰か。それぞれの癖はあるけれども評価は的確です

 自分たちでセット(ほぼ共通した減衰力を選んだ)した後に、横浜ゴムのハイグリップタイヤ「ADVAN NEOVA」に履き替える。一様にそのハイグリップに驚く。ブレーキの違い、コーナーでの安定性などでノーマルタイヤとの違いに感心し、減衰力への在り方にも考えが及ぶ。喜ばしい変化だ。さらにタワーバーを装着したときのドライビングの質の向上も体感してもらった。ユーザーへのフィードバックもしやすくなったと思う。

コースイン。安全に走れれば速度もついてきてドライビングが楽しくなってくる
1コーナーに消えていく姿はなかなか様になっている

 朝から始めて夕方の時間いっぱい使っても、まだやりたいことはたくさんあるし、ドライビングに熱が入ったところで時間切れ。前回のレッスンで危なそうなころは釘を刺しておいたので、今回も安全に終了した。その熱は次回にも残しておいてね。

 やっぱり運転は面白い。「安全に速く」をモットーに沿って運転が変化していくナイトスポーツの次代を担う人たちが増えたのはうれしい。釜塚さんに少しは恩返しできたかな。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。