日下部保雄の悠悠閑閑

ゴムの木

ヨコハマタイヤのタイ工場「YTMT」(Yokohama Tire Manufacturing Thailand)の20周年を迎えた記念プレート。左にあるのは工場のモニュメントとなる彫刻です

 タイにあるヨコハマタイヤの工場(YTMT)を見学させてもらった。バンコクから東南に約120km離れたアマタシティの工場団地にあるYTMTは広大な敷地を持ち、まだまだ拡張の余力がある。トラック・バスタイヤの生産棟と乗用車用タイヤ、主力のSUV用タイヤ「GEOLANDAR」の生産棟がある。こちらは日当たり1万2000本の生産能力を持っている。GEOLANDARはADVANと並ぶ横浜ゴムの高付加価値商品だけに重要だ。

 PC用工場で作られるタイヤの納入先ではタイ生産のOEM向け、日本向けの市販用、タイの市販向けで半数を占めるが、ほかにも欧州、アジア、中東、オーストラリアなど多くの国に輸出され、生産量は拡大傾向にある。

 工場はビックリするほど広い。奥行きが300mもあって圧巻だ。何しろ向こうの壁がどこまであるのか見えない。整然と配置された治具やマシンはこれまでのタイヤ工場のイメージではなかった。

出迎えてくれたYTMTの皆さんとタイ式のごあいさつ。コップンカー! GEOLANDARガールは社員の方でした

 タイヤは多くの製造過程と精密な加硫技術を必要とする化学製品だ。整然と正確に粛々と作られているが、人の手が入っているところも要所にある。例えばベントと呼ばれるタイヤ製造時に出るひげのカットも作業員が行なっており、最終行程では全数、人の指による確認作業が行なわれていた。指の感覚は絶妙で微細な凹凸も感じることができる。若いときに見たエンジンチューナーはポート磨きや段差修正、シリンダーの凹凸のチェックを指でやっていたな。

 工場見学の前に玄関脇に植樹されたゴムの木を見せてもらった。マレーシアラリーに参加した最初の年、ゴムの木のプランテーションの中に設定されたSSが多かったので、本番前のチェックもそこで行なった。シンガポール人のチームメイトは「ゴムの木は柔らかいから突っ込んでも大丈夫だ。安心しろ」と言っていたが、「大丈夫じゃない」ことを自ら証明した。翌日までに復元するのにメカニックは大わらわだった。

 ゴムの木は落葉樹で優しい形をしている。タイでは2月~4月が落葉するシーズンで、訪れたときは部分的に葉も赤くなっており、木も静かでタイヤ工場らしく景色に溶け込んでいた。そのゴムの木を前に中村社長から「やってみますか?」と言われて恐る恐るゴムの採取をさせてもらった。初体験だ。

左はYTMTの中村社長。自らお手本を示して樹液を出します。樹液は木工用ボンドのように見えるけどサラサラでにおいも皆無でした

 ゴムはベタベタする、くさいというイメージだったが完全に誤解だった。大きな彫刻刀のような道具で幹に斜めに溝を掘り、その先にV字形の誘導プレートを刺して下に小さなバケツをぶら下げておくとシーズン中は一晩でいっぱいになるという。

いろいろあるゴムの木の中で、ここに植樹されていたのはブラジル産。ゴムの木は南米が原産地と聞きます

 木工用ボンドのような白い液体はサラサラでにおいもない。身を挺して人間のために役立ってくれ愛おしい。年中夏のようなタイでは生育も早く10年もすると大きな幹に育つ。寿命は30年以上と言われており、その間天然ゴムが採取可能だ。

 今回、溝は右下に向かって削ったが、左下の方がよく樹液が出るとも言われている。ま、きっとどちらでもいいんだろう。

ゴムの木に溝をつけて樹液をいただきます。左下がりの溝と右下がりの溝、こだわりがあるらしい

 溝はゴムの木にとってはキズなのでやがて自己修復する。つまり幹には何本も溝がつくことになる。

 クルマとタイヤは切っても切り離せない。長年タイヤと付き合ってきたが初めてゴムの木と話ができた気がする。

最終的にタイヤになるとこんな風に……。ンなわけはなく、水をタップリ吸い込んだマッドでも走れるタイヤになります

 横浜ゴムは「千年の杜」プロジェクトを進めており、世界各地の関連施設で自然の森のように多くの種類の木が植えられている。タイ工場も工業団地内にあるが、至るところに緑があり、自然の中にあるような雰囲気が好ましかった。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。