日下部保雄の悠悠閑閑

オープンエアモータリングの原点に乗る

ケータハムとオレ。ちっちゃなロードゴーイングフォーミュラは存在感抜群です

 ケータハム 170Rを借りだして東京の町を走った。発端は自動車部の先輩がケータハムを見たいということから始まった。ケータハムはロータス・カーズからロータス・セブンの生産権を引き継ぎ、今では望むべくもないパイプフレームにアルミ+FRPボディという極めてシンプルな手作りのスポーツカー。1950年代に作られたスポーツカーが現在でも購入できるなんて奇跡だ。

 現在、手に入るケータハムはいずれもオリジナルの伝統を受け継いだオープン2シーターで、中でもなじみ深いのはスズキのターボエンジン、R06Aを搭載して軽自動車枠に収まった170S/170Rだ。出力は85PSにパワーアップして重量はわずかに440kgに過ぎない。どれだけシンプルなことか。

 最初に乗った170は10年ほど前にK6A型エンジンを搭載したモデルだったと思ったが、フロントスクリーンから巻き込み風と手を伸ばせば地面に届きそうな低さに圧倒された。

 そして総輸入元のLCIで受け取ったケータハムはなんとウィンドスクリーンがないRだった。リアアクスル直前にあるフルバケットへはサイドシルをまたいで乗り込む。ドアなどない。ドライビングポジションもピッタリ収まる。少し手足を伸ばしたポジションがすっきりするし運転もしやすい。

オープンエアのケータハムからの景色。肘が外に出るほどコクピットは細く無駄なものは何もない
ダッシュボードのカーボンパネルに水温計と燃料計。ウインカーはタンブラスイッチなので自分で戻す。表示のテプラがケータハムらしい

 快適装備なんてものは皆無だが、ドライビングそのものが「快適」だ。イグニッションキーを回してスイッチをONにすると3気筒ターボがバーと回り出す。さすがにキャブと違ってエンジンは簡単に回り出す。

メーターも必要最低限でシンプル

 クラッチは軽らしくない重さ。ショートストロークの5速MTも硬く、ガッシリと入る。手首ではなく腕の動きで入る感触だ。最初は緊張したクラッチもミートポイントをつかめてからはスタートも容易になった。なんといっても馬力荷重5kg/PS強だ。とにかく動きが軽い。なるべく人通りの少ない道を選んで先輩の事務所を目指す。何しろ目立つこと著しい。コクピットに潜ろうにもドアなどないし丸見えだ。もちろん道行く人々はケータハムを見てるのだがなんとなく恥ずかしい。

 気付くと風の巻き込みはほとんどない。コクピット前にあるディフレクターが風を上に跳ね上げているようだ。中学生のころ、雑誌で見た葉巻型フォーミュラでロータスF1は二重のウィンドスクリーンになっていた理由が理解できた。ゴーグルを掛けたJ・クラーク(不世出の天才ドライバー)には快適?なコクピットだったに違いない。

 ターボエンジンはトルクがあって高いギヤ、低い回転でも粘り強く走る。NAエンジンのようなキレはないが交通量の多い通りでもずぼら運転ができるのは意外だ。

 低いケータハムから見る隣のクルマはすべてダンプかバスのように感じる。タイヤサイズを見ると小さい。あれ、と思ったら軽のハイトワゴンや軽トラだった。ミニバンは戦車のようだ。下校の時間なのかランドセルを背負った子供たちから歓声が上がる。低くて屋根のないへんてこなクルマに愛着が湧くのか手を振ってくれる子もいる。こちらもうれしくなって手を振ってみる。幼い子と一緒に歩いていたお母さんもニコニコして会釈をしてくれた。警戒心を抱かせないスポーツカーがケータハムなんだ。

 さて、ケータハムを見た先輩はシンプルなスポーツカーに興味津々でいろいろ質問される。試乗前に取材した「1人の職人がコツコツと2週間かけてすべて組み上げる」「英国の新しい工場が稼働しても手作りは変わらない」「ウインカーはタンブラスイッチで自分で戻さなければならないこと」「タイヤサイズは155/65R14でAVON製だが工場を閉鎖したために今後異なるメーカーになる」などなど。

AVONタイヤはクラシックカーにはなくてはならない英国の老舗メーカー。コロナ禍で幕を閉じた。ケータハムにハイグリップタイヤは似合わない。155/65R14は軽自動車サイズだ

 そしてその運転はメリハリがあって正確。今も学ぶことは多く、帰り道はなんとなくウキウキした気持ちになったのでした。

サイクルフェンダーとフロントダブルウィッシュボーン。クイックなステアリングでコーナーでフェンダーが手の動きに反応して面白い眺めだ
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。