日下部保雄の悠悠閑閑
河口湖自動車博物館・飛行舘
2024年9月2日 00:00
今年も恒例となった河口湖自動車博物館・飛行舘に詣でてきた。8月しかオープンしていない飛行舘。そこにあるのは太平洋戦争で飛んだ実機ばかりでニューギニアやマリアナといった南方で遺棄されていた機体を生まれ育った母国に送りレストアして展示している。
毎年行くたびにそのレストア途中の機体を見学できて何度来ても飽きない。零戦21型、52型の洗練された機体に感心し、一式戦闘機隼I型、II型に量産戦闘機の割り切りを見て、一式陸攻22型の大きさに驚く。それに前回来たときに驚いたのは彩雲が機体のみ展示されていたことだ。今年は誉エンジンが連結され少しずつ完成形に近づいている。
彩雲は太平洋戦争終盤に登場した海軍の艦上偵察機。戦争が勃発してから開発が始まり超特急で完成した中島製の戦略偵察機だ。高速で名をはせた陸軍の100式司令部偵察機に近い存在だが洋上を飛行する海軍の特質に合わせた機体になっている。それは主力航空母艦のエレベータに乗せるために翼長と全長が限られていること、洋上でも母艦に誘導してもらう方位測定用クルーシー帰投装置があり、専門の偵察員と電信員兼射手がタンデムで搭乗した操縦員も含めた3人乗りであることで長いキャノピーが特徴だ。
陸軍の100式司偵と比べると彩雲は全長1112cm、全幅1250cmで100式司偵の全長1100cm、全幅1470cmと比べると翼長が短くなっている(翼端折り畳み機構はない)。そのため主翼の揚力が不足しフル荷重時5.2tの重い機体を短い飛行甲板から飛び立てるために高揚力装置が初めて採用された。垂直尾翼もエレベータ内で乗降した際、甲板と干渉しないように前傾姿勢となっていることもユニークだ。
しかし苦心の末、完成させた高揚力装置、二重フラップは空母機動部隊の壊滅でほとんど使われることはなかった。
中島製誉エンジンは空冷星形複列18気筒。2000馬力級のエンジンとしては異例にコンパクトにできている。日本製らしい精緻なエンジンは工作が難しく、整備もデリケートだったと言われるが、空冷エンジンのフィンの美しさと組み立ての精巧さを見ると「そうだよな」と思わせた。
以前米国で見たグラマンF6Fなどに搭載されていたP&Wはもっと大きく頑丈そうで生産性もよさそうだった。いかにも大量生産の工業国らしい星形エンジンだった。
細身の機体の横にはジュラルミンの軽量孔の入ったシートが置かれていた。実機から降ろした本物でまだ薄いグリーンの塗色が残っているように見えた。ここに搭乗員が装備している落下傘が来るように着座していたらしいが、きつい姿勢で長時間飛行は大変だったと思う。720L入りの落下増槽を付けると航続距離4500km(正規荷重)にもなり、ざっと考えても最長10時間近くは飛行していた計算になる。
同じく単座戦闘機として航続距離が長い零戦では、連日の出撃で疲弊した搭乗員がヒラヒラと墜落して行ったという戦記物を読んだことがあり、彩雲のシートを見て搭乗員の苦労がしのばれた。
切迫した資源事情も戦争末期に登場した彩雲には不運で、整備員は苦労したと思うが、600km/h以上の高速で戦場の空を飛びまわり、数多くの貴重な情報を持ち帰った。
戦後アメリカで調査のために整備され、点火プラグもオイルも米国製に替え、ハイオクタンガソリンで飛んだ彩雲は694km/hを出したと記録されている。日本でのカタログスペックを1割以上も上まわる。一見抵抗の大きそうな気体の空力もいかに洗練されていたかもうかがい知れる。
展示パネルによるとレストア中の彩雲は1290号機で、海軍の要衝だったトラック諸島・春島のジャングルに55年もの間遺棄されていた機体を引き上げて河口湖でレストア中とのこと。当時の写真を見ると「状態がよい」とされていた彩雲はスクラップにしか見えなかったが、目利きはシッカリ本物を見極める。素晴らしいものだ。
見れば見るほど80年間の先端の工業製品のレベルに瞠目する。来年はどんな姿になっているだろう。