日下部保雄の悠悠閑閑
クラシックミーティング・日本アルペンラリー
2024年10月14日 00:00
久しぶりにシャルマンを引っ張り出した。10月4日~5日に長野で行なわれたクラッシック・アルペンラリーに参加するためだ。2年前、そろそろ準備を始めようかなと思っていた矢先、長年の戦友だった田口次郎の訃報で中止に……。
久しぶりのタイムラリーとはいえ2日間シャルマンが耐えられるか。前回このラリーではイグニッションコイルがパンクして山の中で立ち往生。オフィシャル(箕作さん、その節はありがとうございました)に押してもらってやっとUターン。そのまま惰性で降りてきたのが田口との最後の思い出となってしまった。
4灯ヘッドライトのダイハツ・シャルマンはカローラとは違った高級路線を狙って成功作となったA20カローラの兄弟車だ。
シャルマンの装着タイヤは横浜ゴムのベーシックタイヤ、ECOS。実は165-13のサイズは数多いヨコハマのラインアップの中でもこれしかない(最近Classicシリーズにラインアップされた)。1.6リッタークロスフローOHVエンジンには有り余るほどのグリップでウェットにも強いのでちょうどいい。
それでもパワーアシストのないハンドルはクソ重く、据え切りなんてそれこそ内掛けになってしまうほど。昔のドライバーは腕っぷしが強いのです。
シャルマンは1972年~1979年に生産されたラリーコンピューターを持たないクラス。他にカリーナやTE27レビンやTE47トレノがいる。
どちらにしても指示速度は遅くパワーは必要ない。もっぱらナビゲーターの計算力にかかるラリーだ。
時としてエンストしそうになるエンジンをなだめながらラリーはスタートした。コースは諏訪湖畔のホテルを起点とした2日間のデイラリー。霧ヶ峰に向かいビーナスラインも走ったが、その昔はグラベルだったコースも今では舗装の観光道路となっているが、金曜日の山は交通量も少ない。
交通量のある街道では流れに乗せて走ったらやっぱり早着減点を受けてしまった。何しろ計算ラリーのスペシャリストが大勢いるのでちょっとした減点の積み重ねで勝負権はなくなる。事実そうなった。
ネンイチドライバーの私。今回乗ってもらった森川修君は何十年ぶりかの計算ラリー。iPhoneにラリー計算のソフトを入れて計算機代わりにしていた。ちなみに森川君はラリーを始めたときのナビゲーターだ。計算、よく思い出したなというくらいである。今やラリーコンピューターがスマホに入る時代。全チェック、オンタイムの0点も夢ではないが……。
扉峠、和田峠、ビーナスライン、晴れていれば絶景が広がるはずだが、先週に続き今週も長野は雲の中。おまけに強い雨の中、電気系トラブルでエンジンがぐずりだし、坂が上れなくなってしまった。何回かトライしてハタと気付いたのは電力不足。ワイパー、ヘッドライト、ハルダトリップの照明まですべて消したら復活して回り出した。山の中、ワイパーをたまにしか動かせないのはちょっとつらかったが、曲がりくねったコースを走るシャルマンに現役時代を思い出した。原因は単純なバッテリーターミナルの緩みでした。
最年少でも30代、50代でも若造と言われるベテランたちは車両トラブルの1台を除き、全員HQのある諏訪湖に帰った。
アナログで当時の駆け引きを楽しむのもクラッシクラリーと胸を張りたいところだが、こちらは実力どおり減点を重ねてクラス3位、クラストップはTE47トレノの寺島/上坂組で20CPで35秒、われわれは131秒で大差だが上出来。帰ってこられただけ目的は達した。でも僕のミスだけにちょっと悔しい。
アナログクラスのトップは計算ラリー常勝の丸島/浦野組のインテグラで27秒。1CPあたり1.35秒! すごいです。こちらは早着減点があるとはいえ6.55秒。いつもながら圧倒された。
宿泊組の酔っ払いでにぎわう表彰式の中、ウーロン茶で切り抜け久しぶりのJAF銅メダルに満足して帰路に就いたのでした。