日下部保雄の悠悠閑閑

少しずつ変わってきた冬の旭川

旭川近郊。東京から飛行機で約1時間半飛ぶと白い世界が広がっている。それでも黒い部分がいつもより多い

 1月、2月は北海道に行く機会が多いが今年は例年以上に北海道に滞在している時間が長かった。旭川は自動車やサプライヤー各社の冬季テストコースの拠点空港になっている関係で自分にとって北海道と言えば旭川になる。

 その旭川もこの20年で気温が上昇した。20年前は早朝、ダイヤモンドダストが見えるほど冷え込んだ。早朝に太陽が顔を出した直後、薄く広がりつつある黎明の中で凍った大気がきらきら光る光景は幻想的で美しかった。気温は-25℃ぐらいだったと思うが、当時はたまにダイヤモンドダストに心洗われた。

 今年の旭川は雪が少ないだけでなく気温も高く、明け方でも-10℃に届かないことが多い。昼間はプラスになることもあるほどだ。

 それでも昼間溶けた雪が夜、アイスバーンになるのは変わらず、スタッドレスタイヤに求められる氷上性能が変わることはないものの、路面状況が少しずつ変化している印象だ。

夜の旭川市街。路面は一部アイスバーンになっている。昼間は例年より雪が重い。インバウンド需要でホテルも予約しにくくなっている

 旭川はサラサラのパウダースノーのイメージ。事実フカフカの雪が降り積もる。ところが昨年ぐらいから湿気のある積雪路面が見られるようになり雪質も重くなった。大雑把に言うと上越の雪に似てきたようだ。着実に温暖化の影響が出ている。

旭川冬まつりの準備が進んでおり、氷の芸術を夜の街で見ることができた
旭川冬まつりは札幌の雪まつりとは違って規模は小さいものの、市内は独特の風情があってなかなかの美観。かわいい雪ダルマが迎えてくれた

 さて東京へ戻って「走りにくいなぁ」と感じたところと「ホッとした」と思った交通環境があった。

 もちろん旭川は雪景色。路面は雪道あり、アイスバーンありと千変万化だがスタッドレスの進化もあって走りやすくなった。で、それよりも電動自転車や電動キックボードが走行していないことが大きい。例えば東京では電動キックボードの普及に比例したルールの徹底が進まないままお互いに疑心暗鬼で走っている状態だ。

 一方、東京が走りやすかったのは信号が見慣れた横一列でほとんど同じ位置にあること。旭川の信号は積雪で灯火が隠れたり重量増加を抑えたりするためか灯火が縦型配置。しかも雪で道路がかさ上げされることを計算に入れてか少し高い位置にある。

 交差点のたびに「アレ?」と感じたのは点灯サインが見えているものの、なんとなくしっくりこないからだった。これも雪国で道路端を表示する逆さU字サイン同様、自然と慣れてくればどうということはないのだろう。

 そして今、東京の路面に雪のない道路で臆病に走っています。

寒い外とは別世界のサウナの世界。親子のクマさんにほっこり。私じゃないです
定時運行で有名な旭川便で遅れが出た。こんな雪の中よく降りてこられたとその方が感心
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。