日下部保雄の悠悠閑閑

鳥展の走鳥類。飛ぶことをやめた鳥たち。ダチョウ目とひとくくりだったが今ではレア目など5つに分かれているという。ニュージーランドの国鳥キーウィは小さいが体重の25%にもなる大きな卵を産むの。500kgもあった絶滅した祖先の名残りだそう

 わが家の近くを歩いていると電線の上からカラスが鳴いてくる。適当に返事をすると(危ない人だと思われそうだ)さらに首をかしげながらこちらを見ている。振り返るとヒョイと離れる。また歩き出すとまだこちらを見ている。われながらヒマだなと思う……。話しかけられているのは錯覚で仲間に何かを知らせているのかもしれない。よく通る鳴き声は遠くまで届いて仲間に何かを知らせているに違いない。

 カラスはいたずらものだ。ベランダで日光浴させていたパワーストーンを持ち去られたことある。どうやらキラキラするものに反応するらしく、私ではないが取材車のルーフにキーを置いていたら持っていかれたという話も聞いた。困った取材者は状況をメーカーに話しても信じてもらえなかったとか……ボクは信じるけどね。

 上野にある国立科学博物館で開催された「鳥」展を見に行った。最終日も近い土曜日だったので混雑は覚悟していたが案の定………。

 まず入場するための整理券の列に並ぶ。もらった券に記載されていたのは16時半だった。1時間半以上ある!

 しかしその待ち時間も隣にある科学館本館の「日本の歴史」を見学することができ、実は退屈しなかった。しかし余った時間をスタバでのんびりしていたのが間違い。入場するまでに約20分もかかってしまい「あれ、17時までじゃなかったっけ?」。

上野公園の上野白雪枝垂桜。早咲きとはいえ桜が見られるとは

 さてやっと入れた会場は入場制限の効果とレンタルした音声ガイド(ナビゲーターはレイザーラモンRGさんと高柳明音さん)のおかげで素人にも内容が理解できた。

 入り口には2600万年前に生きた史上最大の鳥、「ペラゴルニス・サンデルシ」が出迎える。翼間長7mもあり恐竜時代の名残りはでかい。零戦の翼幅が32型で11m。こんなのが大勢飛んでいたらすごいだろうなと妙に感心する。くちばしからは歯が見えるが骨の一部でいわゆる歯ではないらしい。あっけに取られて写真を撮り忘れた。

 鳥は空を飛ぶために徹底した軽量化が施されて、骨も極力軽く中空、骨には軽量孔もあり、空を飛ぶのは軽さが一番だ。飛行機も出力の限られた時代から軽量化との戦いだ。

 ところで地球上で一番早い動物はハヤブサ。急降下の最大速度は300km/hになるというからすさまじい! こんなのに狙われたらたまらない。そのハヤブサはワシの仲間とだと思っていたが、実はスズメに近いというのも初めて知った。小型の俊敏な猛禽はかっこいい。

猛禽類。こうやって並ぶとすごみを感じさせる。ワシとタカの違いはサイズでワシが大きい
ハヤブサ。急降下速度は300km/hにもなる。生身でこの速度はすごい。引き起こすタイミングを間違えないのだろうか

 一方、猛禽類のフクロウ。ジッとしているかと思うと突然真後ろを向いてギョッとさせられることがある。驚かそうとしているわけではなく、夜でも見える大きな目は眼球を回すことができないので、首ごと振り向くのだと初めて知った。

フクロウ目。夜目も利くフクロウは眼球を回せないので首ごと後ろを向く。フクロウとミミズクも同じ目、ズクはフクロウの古語で耳を待っているからだそうな

 写真でしか見たことがない話題のシマエナガもスズメの仲間で剥製はホントに小さく愛らしい。人気者になるわけだ。ところでひと昔前まで東京であれほどチュンチュンうるさかったスズメもあまり見なくなってしまい心配だ。

スズメ目。一番栄えている鳥たち。近年のゲノム解析で、ハヤブサもスズメやインコに近い鳥らしい。なんとなく優しい感じがするのはそのせいか

 のんびり説明を聞きながらアチコチと展示を見ていたら「蛍の光」が流れてきた! まだ3分の1ほど残っている。慌てて音声ガイドを飛ばしながら出口まで来た。

 最後の案内は小鳥たちが言語を持っているという紹介だった。鳥の名前、肝心なところは聞き漏らしたが、危険な蛇が木を登ってきたときの鳴き方と降りたときの鳴き方、間違った情報を伝えたときの謝罪(?)の鳴き方は違うらしい。それだけでなくもっと複雑な情報も伝えることができるという。確かに言語と言えそうだ。

 さてはカラスが話しかけたように感じたのは仲間だと思われたか、こっちがカラスに近かったのか……。今度は聞く耳を持ってみよう。

「鳥」の出口。「一生分の鳥が見られる」のキャッチフレーズ通りお腹いっぱいでした
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。