日下部保雄の悠悠閑閑

マツ耐

もてぎのピットにて。PROSPECとKYBのステッカーを貼らせてもらいました

 いつも一緒に運転訓練をしているナイトスポーツの今年の目標はレースに参加すること。昨年までは無駄のないきれいな運転を目指していたのが、レースとなるとまた違う。リスクが伴うこともあるし、それをカバーする技術も必要になる。

 現役時代を思い出すと、予選はコースをいっぱいに使って(つまりコースを熟知して)それこそミリ単位でコーナーを攻略。立ち上がりでいかに早くアクセルを全開にできるかを考えてラインに乗せていた。集中力はそれほど長続きしないので2周が限度だったけど。

 ナイトスポーツの面々にできるのは、これまでやってきた安全なコーナリングラインの取り方とブレーキのかけ方の徹底だ。

 目標は10月の富士のマツフェス。しかし人気の富士に未経験のチームが参加するには壁がある。まず6月のもてぎのマツ耐に参加して完走することで実績を積むことになった。

マツダ車の祭典、マツ耐のコースイン。菅生ともてぎ、富士で開催される。今回はもてぎ編。本来あるはずの岡山は中止となってしまった

 メンバーはナイトスポーツのメカニックのセンくんと、旧知の友人中村社長。それに私と永井歩夢さん。前者2名はもてぎを走ったことがなく、私はもう10年以上走っていないし、そもそも苦手意識がある。永井さんはもてぎを走っているがNDのレースは初めて。つまりみんな手探りなのだ。

香港からナイトスポーツに来てメカニックを頑張っているセンくん。なかなか有望です

 雨の予選はセンくんと中村さんに行ってもらう。コーナーがどこでどのくらい曲がっているかいくらかでも知ってもらおうと決めた。幸い2人とも他人に迷惑をかけることもなく無事帰ってきてグリッドにありつくことができた。

 スタートは永井歩夢さん。後ろから前をかき分けながら中団まで上がってきた。さすがレーシングドライバー。問題は燃費。無給油で2時間半のレースだ。ラップタイムと周回数を想定した燃費しか指針はなく、手探り状態での走行。

 無線で混戦の苦しさを伝えてきたところは回転を上げてもらい抜け出す。役目を終えた永井さんは降車後、扇風機の前に座り込んでいたが、その光景はそのあと思い知ることになった。交代したセンくんもシミュレータの成果もあって無難に走ってきた。走り込めば一段踏み込んだレースができただろうと思う。

後ろからのスタートで混戦が予想される中、ファーストドライバーはレース慣れしている永井歩夢さんに任せた。期待に違わずでした

 レースに目覚めた中村さんは淡々と走るが初めてのコースでは致し方ない。無事に戻ってくれれば言うことなしだ。

 最後を受け持ったのは自分。燃費計を見るとかなり余裕があり調子に乗って回転を上げる。もてぎは意外とシフトとブレーキ回数が多く、おまけに滅茶苦茶暑い。

 このバテ具合はGr.A時代の真夏の筑波耐久を思い出した。燃料は計算上フィニッシュラインを越えたところでゼロになるはずだが、トップがゴール時間前ギリギリにフィニッシュラインを通過したため、1周余分に走らなければならなくなった。燃料計はもう空っぽを示している。何台かに抜き返されてしまったが、大命題だった完走は果たした。

 燃料を入れてみると40.7L入った。40Lタンクなので薄氷を踏むとはこのことだ。

 久しぶりにグラスレースをピットクルーを入れたチーム全員5人で楽しんだノーマルカーによる耐久レース。クルマも高Gがかかる限界付近のトリッキーな性格を修正する必要性も分かった。でもやはり実車は面白い。

 今年はモータースポーツに忙しい年になりそうな予感。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。