日下部保雄の悠悠閑閑

全日本ラリー選手権最終戦とプレリュード

エムリットが作って遊んでいるガチャピン号

 いよいよラリージャパンまで2週間となった。本番のヤリスCVTは安全燃料タンク、スペアタイヤ2本積みなど、WRCスペックでのテストができていない。もちろんドライバー自身のトレーニングもゼロ。

 急遽オープンクラスでの出場を認めてもらった全日本ラリー選手権のM.C.S.C.ラリーハイランドマスターズは、フルスペックでの参加で最後のテストになる。と言っても1.5リッターNAエンジン+CVTはそのままなので、パワートレーンは同じ。むしろ重くなった分だけ、ピンチヒッターのコ・ドラ、田中直哉さんと顔を見合わせるほど、伸びていかなかった。

 今回のレッキに使ったのは同じヤリスCVTのノーマルの赤で、普段は友田監督の娘さんが乗っているらしい。僕はガチャピン号と呼んでいる。それはコ・ドラシートがまさにガチャピンだから。エムリットはシート地のプロで、こんないたずらもお手のもの。ラリー会場に止めておくと気付いた関係者がのぞき込みニヤニヤしているのを見て、こちらも嬉しくなる。

 全日本ではカラーリング車はレッキに使えないし、ラリージャパンでも同じ。長いレッキ期間を考えるとこんないたずらがむしろ楽しい。

レッキ中にヘッドセットで田中直哉さんとも会話ができて楽しかった

 さて地区戦は1Dayなのに対して全日本は2Day。SSの走行距離も4倍以上になる。しかも今回はウェット路面も多く、コースは狭く険しい。

 2週間後にラリージャパンを控えてクルマを壊すわけにはいかない。タイヤとショックアブソーバーの試験にフォーカスした。ラリーに使う横浜ゴム ADVAN 051は初めての経験。前回履いた汎用性の高い052に比べるとタイヤ剛性が高く、最適温度になるまで少し時間がかかる。4WDのラリー専門のラリー2で最初から速いペースでラリーを進める奴田原選手の技量に改めて感動する。

 ラリーはタイヤの性格に慣れたのと、バネとショックアブソーバーの選定などができ、短い時間でサービスが頑張って時間内に終了してくれたおかげで感触がつかめた。ラリー中に減衰力変更などが消化できた。

 もっとも自分は、欲張りすぎて減衰力の変更ノッチを左右で間違える間抜けなことをやっていたが。

 慌てたのはDay1で起きたエンジンストールが後を引き、Day2ではパルクフェルメでエンジンがかからなかったことだ。一瞬、今日やらなければならないメニューをどうしようと思ったが、大橋メカが安全燃料タンクからガソリンが吸い上がらないと判断。ガチャピン号と燃料ポンプを交換して再スタート。カヤバラリーチームも手伝ってくれたおかげでタイムアウトにならずに済んだ。素敵なチームワークです。

いつもはKYB号が収まるサービステントをお借りして、ついでに手伝ってもらった。助かりました

 おかげで難しい道も乗り切って完走できたのが大きな収穫となった。損害はホイール2本に傷が入ったことぐらい。路肩の溝が見えなくてタイヤを落としたのが原因だ。多分にラッキーだったことと、ベテランコ・ドラの直哉さんに助けられたのが大きい。

トヨタ車体はハイエースで参加している。長いクルマで狭い林道は大変でしょ?

 翌日はプレリュードのハンドルを握って阿蘇のワインディングロードで遊んだ。雲は低かったが雄大な景色と爽快なハンドリングで運転の面白さを再確認できたことが収穫だった。

雄大な阿蘇山系をバックにしたプレリュード。グライダーのように爽快。乗ったことないけど……
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。