日下部保雄の悠悠閑閑

インカーからのラリージャパンその2

Day4、レイク・ミカワコと思われるSS。街の中を駆け抜ける。痛快だった

 レッキも含めて都合9日間のラリージャパンの毎日は、驚くほど規則正しい生活だった。朝は早いが夕方にはサービスパークに戻り、奥村さんと定食屋さんで夕食をとる健康的な毎日である。

 さてDay2までは順調で大きなトラブルもない。エンジンパワーが「ないなー」と思っていたが、こんなものかなというぐらいの感触。タイヤはドライではADVAN「A051」のフロントはSコンパウンド、リアはSSコンパウンドをスタンダードとした。FIAの規定では横浜ゴムで公認されているのはA051のみとなる。摩耗はタイヤ表面が溶けだしたぐらいでちょうどいいグリップ。タイヤのタレも皆無だったので60kmぐらいは4本だけで行けそうだ。

Day1の鞍ケ池公園に送り出す大橋渡チーフメカニック。札幌からいつも駆けつけてくれる。帰ってくれば何とかしてくれるという安心感は絶大だ

 Day3はサービスパークからもっとも遠い岐阜の恵那まで足を延ばし、オバラ、エナ、マウント・カサギの3つのSSを2回ずつ走り、最後はサービスパークそばの河川敷でのSSとなる。オバラは16.5km、エナとマウント・カサギはそれぞれ21km、22kmあり、長い1日になる。

 ラリージャパンのコースの特徴は高速コースとつづら折れの狭い林道が入り混じって出てくることだ。人家の軒先を駆けるようなSSも少なくない。スポーツCVTのパワーモードはローギヤーに固定されるのでエンジンは常に全開。低中速のコーナーは走りやすい反面、高速コースは速度が頭打ちになる。CVTはオイルクーラーを装着しているので熱対策はできているが、エンジンはSSを走るたびに元気がなくなるのがちょっと心配だ。

 SS前のTCで時間待ちをしていると、付近の人家から地域の人が集まってきて興味津々で見に来る。子どもたちと交流できるのも楽しい。

 さてSS10のマウント・カサギ。スタートからエンジンのパンチがなく登りはかなり厳しい。特に頂上に設定されたジムカーナコースではタイトヘアピンから加速できない。ここを抜けると下りの林道に入るが、エンジンが急速にパワーを失ってしまい進めなくなってしまった。このときはCVTがオーバーヒートしてフェイルセーフに入ったと思ったが動けなくなるのは初めての経験だ。

 後続車にOKサインを出し、スイーパーにチェックカードを渡したところであっけなくDayリタイアは確定した。全車通過したところで試しにスターターを回すと動ける。しかしマウント・カサギはタイヤサービスを挟んですぐにSS11としてラリーカーが入ってくるのでこの場で待機しなければならない。

 43号車を安全な場所に押し込んでトップドライバーの走りを見学させてもらう。勝田貴元選手のGRヤリス・ラリー1がコースウォールを跳ね飛ばした直後にやってきた。満身創痍だったがそれでも簡単な修理を行なってなんとか通過していく。

 ラリー車の喧騒のあとに訪れる帰路に向かう観客のざわめき、そしてラリー後の整理をするボランティアとマーシャル。ぼんやり眺めていると周囲の木々の紅葉が急速に進んでいたのに気付いた。

 さて43号車はチームが手配したトランポに載せられてサービスパークに向かい、Day4への整備を進める。

 今のWRCは修理して復帰の意思があればラリー続行が可能である。念のためCVTのアッセンブリーを交換しデータも吸い取る。雨が予報されるDay4に向けてKYBのアドバイスもありフロントバネとショックアブソーバーの減衰力を変更して、全タイヤはSSコンパウンドを選定する。ブレーキも整備して新車同様になった。

 トラブルの原因は高回転を維持して連続したことによるエンジンオイルの過度の上昇とのことだった。CVTの異常は見られなかった。これ以上は無理という43号車の悲鳴だったのかもしれない。

 Day4は雨。A051は国内ラリーではSSコンパウンドをリグルーブするのが普通だが、FIAではリグルーブは禁止されており、ハイドロに注意するように言われて豊田市を後にした。

 Day4は豊田市の東側で20kmのヌカタ、14kmのレイク・ミカワコ、2kmのオカザキをそれぞれ2回ずつ走る。オカザキでは雨の中、公園で多くの人がラリー車を待っていてくれた。この中にはうちの家族もいるはずだ。

 ラリージャパン2025の最後のSS20。2回目のレイク・ミカワコはパワーステージでSS前のリグループで隊列を整える。ラリー1からわれわれの国内クラスまで、雨の中、仲良く雨宿り。穏やかな雰囲気だった。

 印象に残るのは優勝したTGRのオジェ選手が丹念にペースノートを確認していたこと。コ・ドラも小さなボンベで空気圧を調整して、勝利に向けての姿勢にちょっと感動した。やがて時間が来ると各車タイヤを温めつつSSに向かう。

Day4、雨の岡崎中央公園に設けられたオカザキのSS。岡崎公園は今年で最後と言われる。雨の中、多くの人が見に来てくれた

 雨はだんだんひどくなる。さすがにドライ用タイヤでは排水に限界があり、特に軽いリアはハイドロを起こして空走感が頻発する。無理をして走らなくてもよいポジションだが、ラリーにしっかり向き合いたい気持ちからだと思う、できるだけのことはしようと思った。

 泥と水にリアを流されることもあったし、最後はエンジンが過熱したのか力不足に陥ったが、無事すべてのSSを走り切った。

 夕闇に覆われたサービスパークに帰ってきて最後のTCに入る前、オフィシャルからJR3優勝でポディウムに上がるように告げられた。このクラスは43号車しかいないので完走すれば優勝になる。

うちの家族と圭ちゃんたち。サービスパークに戻ってくるとたくさんのボクがいて面食らった。本物はどこでしょう?

 Day3はリタイアして大幅なタイムを加算されての完走。少し複雑な気持ちもあったが、チームで力を出し切った達成感は素直に嬉しい。総合27位は酷使に耐えたCVTと頑丈な1.5リッターエンジンがもたらしてくれたものだ。

 サービスパークでは笑顔の友田監督、小倉マネージャー、大橋チーフメカ、チーム全員、そして家族が大喜びで迎えてくれた。夢のようなラリージャパン2025が終わった。

 ラリーに関わったすべての方、そして沿道やスタジアムで声援を送ってくれた観客の皆さんに心から感謝したい。

ピエールさんの案内でポディウムに導かれ、チーム全員で喜びを分かち合えたのは心から嬉しかった
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。