日下部保雄の悠悠閑閑

2025年の振り返り

スバル雪上試乗会。残念ながら雪はなかったが八甲田に駆け上がる道は雪の壁で気持ちよかった

 2025年もあと2日。今年も何かと忙しかったなぁ。自分の2025年を振り返った。

 1月は2つの雪上試乗があった。やっぱり冬は雪である。温暖化が進むとはいえ凍るものは凍る。4輪駆動の安定性とスタッドレスタイヤの重要性は変わらない。

 スバル4WDの本領を発揮するはずだった青森試乗会は豪雪で有名な酸ヶ湯にも雪がほとんどなかったが、スバル車でのワインディングロードは楽しかった。その1週間後には苫小牧で三菱雪上試乗会があり、こちらは悪路走破性の高さとS-AWCの機能の面白さを体感した。4WDの制御は奥深い。

 2月は恒例となった女神湖のKYB・iceGUARD7ウィンタードライビングスクール。カヤバモータースポーツ部とのコラボレーションで環境作動油サステナルブのお披露目となり、凍って荒れた氷上での乗り心地の変化に驚いた。翌週は旭川にある横浜ゴムのテストコースでiceGUARD8の初お披露目。7で「すごいな」と思ったが定評の雪上性能と氷上グリップの進化は止まらなかった。

 3月は全日本ラリーの開幕戦、三河湾。この後ラリージャパンに参加することになるとは夢にも思わなかったのでした。

 クルマではBYDのシーライオン7の試乗会があった。バッテリEVを知り尽くしたBYDの仕上がりには毎モデル驚かされる。技術力の急速な進化は国内メーカーにとっても脅威になる。

 4月はヒョンデ・インスターの試乗会があった。バッテリEVの販売が続く。コンパクトカーだがバッテリEVならではの安定性で長距離でも疲れない。よく言われる地方移動の充電インフラさえ整えられればEVは内燃機とは別の魅力が大きい。

 クラウンHVも借り出したが風格からも高級車らしさを醸し出している。ソフトで静かでクラウンの伝統を受け継ぎながら新しいクラウン像を確立しているのを実感した。

ヒョンデ・インスター。コンパクトクラスだがBEVの利点を活かして後席も広い。背が高いが気持ちよく走れる

 5月はスーパーフォーミュラと併催されるKYOJO CUPを初めて見学した。なかなかレベルが高い。

KYOJO CUPは独自のフォーミュラのワンメイクレース。女性ドライバーだけが参加できる。いつもセッティングやインストラクターで手伝ってくれる永井歩夢選手がピットから出ていく

 6月は全日本ラリーのモントレー。ここでエムリットの友田さんから「ラリージャパン、出ましょう!」と声をかけられた。最初はなんの冗談かと思ったが3日後には快諾していた。ホントにできるのか?? と自問自答。ささやかだが毎日のフィットネスを見直してラリージャパン仕様に自分を改良していくことになる。

全日本ラリー選手権 モントレー。優勝は新井大樹選手。年代物のシュコダでトラブルを抱えながらも抜群の速さを示す

 久しぶりにモビリティリゾートもてぎでのレースも経験した。マツ耐でナイトスポーツの技術向上の一環としての参加だ。中村社長、メカニック兼ドライバーのセン君、永井歩夢選手と私。最後の最後で燃料が不足しそうでペースダウンしたが、チームでレースをするという良い経験ができた。

ナイトスポーツチームのNDのコクピット。レース前にセン君がシート合わせをして耐久レースに備える

 6月からはただただ暑い思い出しかない。その暑さの中、久々にラリードライバーとして参加したJAF地区戦の京丹後。土曜日にレッキ、日曜日に本番だったがラリー車は乗りやすく、ADVAN A052のグリップもあってとっても快適に走れた。路面も景色も美しく、初めてのペースノートも新鮮だ。ラリーはやっぱり楽しいぞ!

大阪・関西万博は、実はこの大屋根リングが一番印象に残っている。予約なしで入れるパビリオンもあったが、静かなこの景色は忘れない

 9月から10月にかけてはKiaのバッテリ商用車、PV5の導入前先行試乗会が韓国で行なわれた。低重心でフラットフロアはいろんな夢が広がる。乗り心地も快適で静かなのは疲れない商用車としての新しい価値を見いだすことができる。

韓国のテストコースで開催されたKia・PV5の事前試乗会。2026年に本格的に日本にやってくる。BEVの商用車だが乗り心地もよく快適。これまでとは一味違った使い方ができそうだ

 10月はラリージャパンに備えてゆっくりしようというもくろみはすっかり外れ、全日本ラリーのハイランドマスターズに参加し、ラリージャパンへの最後のテストとしてFIA規定で走った。京丹後からはブレーキディスクの大径化や安全燃料タンク、スペアタイヤの2本積みなどいろいろと装備が異なる。エンジンがかからないトラブルも出て苦戦したのとパワーダウンが著しかったが「こんなものなのかも」と思って後で悔やむことになった。

全日本ラリー選手権 ハイランドマスターのレッキ中にユックリ走ってペースノートを作っているところ。コ・ドライバーはベテランの田中直樹選手でいろいろ教えてもらった

 TEINの中国工場では新しい別タンのオフロード車用ショックアブソーバーの試乗が行なわれた。TEINは小回りのきく会社で、リプレイス市場に絞った特異なメーカーだ。ショックアブソーバーは走りをよく知っているメーカーらしい的を射た商品だった。

 さすがに疲れがたまってきたが「頑張れるかも」と思った11月。2025年下半期の大きな目標、ラリージャパンへの挑戦だ。今のラリーはクローバー型のコースレイアウトで、規則正しい毎日の中、競争できるという環境だった。ラリーカーの中から見る景色は外からとは全く違う。懐かしくも楽しい新しい光景だ。1つのSSを2回ずつ使うことで貴重なオフィシャルも効率よく配置できる恩恵もある。豊田市を中心にしたラリーは年々洗練されていると実感した。結果はDay3でエンジンが過熱したことでフュエルセーフが働き止まってしまったためDayリタイアとなったが、今のラリーは復帰できればリタイアにならない。Day4に復活して最後まで「手を抜かないで走る」ことに徹して念願のポディウムにも上がれた。望外の結果で75歳にして改めてラリーを心から楽しめた。

ラリージャパンでFIAから貸与されるラリートラッカー。ここからすべての情報が発信でき、受信できる重要なデバイスだ

 12月は恒例の日本カー・オブ・ザ・イヤー。今年のイヤーカーはスバル・フォレスターに輝いた。ホンダ・プレリュードは僅差だったがその走りの豊かさは心に残る。

プレリュードは日本カー・オブ・ザ・イヤーのイヤーカーは惜しくも獲得できなかったが、気持ちの良い大らかな走りはホンダならでは。シビック タイプRのエッセンスを取り入れながらプレリュードらしさを実現している

 そして矢のように流れた波乱万丈の1年。最後までいろいろなことがあった2025年は暮れてゆく。皆さん良い年を!!

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。