日下部保雄の悠悠閑閑
3.11
2026年3月16日 01:30
15年前の3月11日。14時50分ごろ、突然ドンという大きな揺れが始まった。大して広くもない会議室にいた十余名は全員が浮き足立ったが、その中にも冷静な者はいるもので、静かにスチールのドアを開放した。自分も窓も大きく開けた。狭い空間にいては危ないと感じたのだろうか。
すぐにTVをつけると、大地震のライブ中継は東北がとんでもない状況になっていることを伝えていた。もはや会議どころではなく、今この場にいる人をどうやって帰そうかだけで精いっぱい。都内のビジネスホテルは秒単位で埋まっていく。新幹線を含む交通機関は寸断され、あらゆる交通機関が止まってしまった。会社に宿泊の覚悟を決めた者、とどまって電車が再開するのを待つ者、やっと取れたホテルに向かう者。ひと段落ついたところで裏道を選んで帰宅できた。皆の安全が確認できてホッとした。
津波の破壊力は想像をはるかに超えていた。その前の年に訪れた気仙沼では港に面したホテルに宿泊したが、そのホテルは丘の上にあり、崖から突き出た桟橋があり、エレベーターで港に降りられるようになっていた。ガラス越しからは海がよく見えた。
そのホテルの津波で滅茶苦茶に割れたガラスも映し出され、破壊力と波の高さを現実のものとして理解できた。そんな高いところまで海が上がったのかと思うと心底恐ろしい。
震災直後、救援に向かった長男が見た燃える海に唖然としたようだった。
首都高速から見る東京タワーの先端が曲がっていたのも大きなショックだった。それほど激しい揺れが盤石に見えた東京タワーを曲げてしまった。現実感がない。
少し落ち着いたころ、AJAJとして何ができるか考えた末、ボランティア活動に向かうAJAJ会員にわずかだが補助金でサポートした。彼ら、彼女らはガソリンが不足する中、物流が止まって在庫の豊富な軽油を使うディーゼル車を使い、運転技術を駆使して援助の届きにくい地域で活動した会員も少なくない。毎週のように誰かが行っていた。
自分自身は足手まといになりそうで、せいぜい食料品を選ぶときに福島を筆頭にした東北のものを選ぶことぐらいだった。
毎年3月11日がやってくると、災害の大きさとその爪痕に思いがいくと同時に、改めて自動車の実力を知るきっかけにもなったと感じる。
いつか東北の地を再訪したいと心から願っている。


