編集後記

2020年12月19日

椿山和雄

 まだまだ続く「あぶない刑事」の話。今回は、あぶない刑事とは“なんであったのか?”を考えてみます。

 1986年にスタートしたTVシリーズ「あぶない刑事」に続き、1988年から第2のTVシリーズ「もっとあぶない刑事」に加えて、劇場映画は1987年公開の第1作「あぶない刑事」~2016年公開の第7作「さらば あぶない刑事」が作られるなど息の長い作品。

 自分の中でこの作品が“なんであったのか?”の切り口を得ることができたのが、NHK BS2で放送されたTV番組「BSアニメ夜話」で庵野秀明監督作品「新世紀エヴァンゲリオン」を取り上げた回を見たときのこと。エヴァンゲリオンは1995年のTV放送開始から、2021年にはヱヴァンゲリヲン新劇場版として新作が公開予定など、社会現象を引き起こしている作品と言える。

 この番組の中では、新世紀エヴァンゲリオンの世界観に純文学的な要素を持つことや、作品の中に登場した謎に対して回答を与えないことなど、視聴者の感情移入(あるいは補完)によって作品が完成するという作品構造を紹介していた(これをもって人類補完計画とする説なのか?)。

 視聴者の感情移入によって作品が完成するというのは、歴史に残る作品にはどれにもある構造かもしれない。同じような構造があぶない刑事にあるのか?、こうした視点であらためて作品を見直すと、実はTVシリーズでは2人の刑事が対峙する若者側の視点で物語が作られている回があることを感じられる。

 TVシリーズの第1話「暴走」は、現代の若者(その当時のね)を描こうとしていたのを感じられるし、大人になりきれない野沢が登場する18話「興奮」、昔一緒に騒いだ仲間が大人になっているのを目撃していく森山理沙が登場する29話「追撃」、不器用な若者、真木紀夫の登場する48話「無謀」、このほかにも悩みを持つ若者を描いている回がけっこうあったりする。

 こうして自分の中で導き出された結論としては、あぶない刑事もエヴァンゲリオンも、若者の心をつかむ内容を持っていたことと、BSアニメ夜話の中でも触れられていたが、やっぱりエンターテイメントの娯楽作品で理屈なく楽しめる部分もあり、それらがうまくバランスしている作品なのではないかと、そして、あぶない刑事に関しては当時の自分の心を鷲掴みしたのではないかと思っている。

あれ、ポルシェの話はどうなったって? 燃費の話をしておくと、高速道路を80~100km/hでずっと走り続けると14km/Lを達成できそうな感じ、首都高の速度レンジ(60~80km/h)で走行していると12~13km/L、一般道の40~60km/hでは言いたくないくらい絶望的な数字(10km/L以下)、といった印象