日産モータースポーツの祭典、「NISMO FESTIVAL」リポート 歴代のレーシングGT-Rが富士を駆け抜け、カルロス・ゴーンCEOもサプライズ登場 |
2008年のNISMO FESTIVALは、富士山がくっきり見える秋晴れの中開催された |
NISMO FESTIVALの今年の話題は、やはりSUPER GTに参戦したGT-R(R35)に注目が集まるところ。2008年からSUPER GTのGT500クラスに参戦し、「XANAVI NISMO GT-R(23号車)」がデビューウィン。その後も「YellowHat YMS TOMICA GT-R(3号車)」「カルソニック IMPUL GT-R(12号車)」「WOODDONE ADVAN Clarion GT-R(24号車)」が勝利を重ね、XANAVI NISMO GT-Rに乗る本山哲選手、ブノワ・トレルイエ選手が見事チャンピオンに輝いたのは記憶に新しいところ。「MOTUL AUTECH GT-R(22号車)」もレースではトップ争いに絡むなどGT-Rの高い戦闘力が証明されたシーズンだった。
これら2008年のSUPER GT参戦車が一堂に会し、さらに過去のレーシングGT-RもKPGC10、KPGC110、R32、R34型が走行。また、今年は日産の海外レース参戦50周年ということで、1958年のオーストラリアラリーでグループAの優勝車となった「DATSUN 富士号」の走行展示も行われた。
■ファンとの触れ合いを大切にしたい
オープニングイベントは、グランドスタンド裏のイベントステージで開催された。SUPER GTに参戦したドライバーや監督、そしてLEGENDARYドライバーとして“Zの柳田”こと柳田春人氏らが次々に紹介された。挨拶に立ったNISMO総監督の柿元邦彦氏は、とてもよい天気に恵まれたことにふれながら、「今年のNISMO FESTIVALではドライバーからの要望もありファンと触れ合う時間を多めにしました」と挨拶。
実際、SUPER GTマシンやグループAマシンなどが走り回る富士スピードウェイのコースを観光バスに乗って見られる「サーキットサファリ」では、柳田春人氏らが添乗員として乗り込んでいたほか、SUPER GTマシンなどへの同乗走行も実施されていた。ピットエリアも、マシンがよく見えるように配置され、さらにマシンのない一部ピットは観客に開放されピットレーン間近で見ることのできるような工夫もされていた。
■ファン感謝イベントにはカルロス・ゴーンCEOも
お昼時には「海外参戦50周年イベント」「ファン感謝イベント」がメインストレート上で開催された。
海外参戦50周年イベントは、日産にとって記念となる海外ラリークラス優勝車DATSUN 富士号を先頭に、ブルーバード 1600 SSS(510)、フェアレディ240Z(S30)、シルビア200SX(S12)など海外ラリー参戦車がパレード。DATSUN 富士号のドライバーは当時のドライバーでもある初代NISMO社長の難波靖治氏、そしてナビゲーターも当時と同じブルース・ウィルキンソン氏での登場となった。別途難波氏に当時のお話をうかがったところ「DATSUN 210はまったくノーマル。(富士で走行した現車は)プラグやバッテリーだけは今のものに取り替えてあるが、そのほかはオリジナル」とのこと。
続いて行われたファン感謝イベントには、2008年のSUPER GT参戦車や参戦ドライバー、監督が登場。ドライバーや監督が並ぶ中、NISMOのモーターホームがメインストレート上に横付けされ、日産のCEO(最高経営責任者)であるカルロス・ゴーン氏が登場。
カルロス・ゴーン氏はファンへの感謝を述べた後、SUPER GTでの優勝にふれ、日産チームを誇りに思うとコメント。「レース参戦を通じて車作りの情熱を沸き立たせ、みなさんの日々の生活にワクワクをお届けします」と結び、多くの観客の拍手に応えていた。
■盛り上がった歴代レーシングGT-Rでの模擬レース
NISMO FESTIVALで一番の盛り上がりを見せていたのが、2008年のS耐参加車やグループCカーなどが混走した「カテゴリー混走模擬レース」に続いて行われた「GT-Rスペシャルバトル」。2008年にSUPER GTに参加したGT-Rをはじめ、かつてのJGTC(全日本GT選手権)に参加したGT-R(R33、R34)、グループA仕様のGT-R(R32)が参加。とくにグループA仕様のGT-Rは「カルソニック スカイライン」を星野一義監督、「ユニシア ジェックス スカイライン」を長谷見昌弘監督、「STP タイサン GT-R」を近藤真彦監督がドライブすることもあって、レース前に行われたグリッドウォークで大人気。3人の監督の前には、現役ドライバーを超えるほどの人が並び、多くの人が記念写真を撮ったりサインをもらったりするなど、触れ合いを楽しんでいたようだ。
レースは、各カテゴリー車両ごとにハンデが付けられ、グループA GT-Rはハンデなし、SUPER GT GT-Rは1回のピットインを行いタイヤ交換とドライバー交代、JGTC GT-Rなどは1回のピットインのみとなっていた。その結果、2003年型のJGTC仕様のGT-R(R34)に乗る青木孝行選手が優勝。タイヤ交換のハンデが意外と重かったこともあるが、逆に言えばJGTC仕様のGT-Rの戦闘力の高さが証明されたとも言える。
トップグループを構成したのはSUPER GTやJGTCのGT-Rだが、星野監督、長谷見監督、近藤監督の3台のグループA GT-Rには大きな声援が送られていた。この3台は、毎周抜きつ抜かれつのバトルを展開。ストレートではスリップストリームのポジションをいずれかのマシンが確保し、1コーナーでインを奪い合うなど、どう見てもイベントレースとは思えない駆け引きを行っていた。3台の順位は、長谷見監督、星野監督、近藤監督の順でゴールし、ゴール後は3人で「あのコーナーは……」とか、レースでの感想を話しつつ、身振り手振りを交えてバトルを振り返っていた。
■引退する砂子塾長には大きな声援
フィナーレは、メインストレート上にドライバーや監督が整列し、観客への挨拶。その際、司会から今年で引退する砂子塾長が紹介されると観客から「塾長~!!」という大きな声援が飛んでいた。
最後の挨拶は、現在のNISMOの社長である眞田裕一氏。観客に向かい今日1日の暖かい声援にまず感謝を述べ、その後2008年にSUPER GTのチャンピオンを取れた要因を「チャンピオンを取ったチームだけでなく、ほかの(GT-Rの)チームが好成績を残したことで、ライバルにポイントを与えたなかったこと」と分析。「来年もこの場で皆さんとチャンピオンを祝って、楽しい1日を過ごせるようがんばります」と結んだ。
花束を持ち引退について語る砂子塾長。観客からは大きな声援が飛び、塾長へのメッセージの入った横断幕が掲げられていた | 最後の挨拶のために並ぶドライバーや監督 | シメの挨拶はNISMOの眞田裕一社長から。2008年の応援への感謝、そして2009年もSUPER GTチャンピオンを獲得し、来年のNISMO FESTIVALに帰って来ると語った |
■ひっきりなしに走った日産レーシングマシン
NISMO FESTIVALでは、日産の歴代レーシングマシンがひっきりなしに走っていた。1度しか走らなかったものものあれば、何度も走ったもののもある。そこでここでは、主に車種に注目して、いくつかのレーシングマシンを紹介していく。
■販売コーナーが充実していたNISMO FESTIVAL
このNISMO FESTIVALの特徴として販売コーナーが充実していたことだろう。開門と同時に多くのファンが、近藤監督率いるKONDO RACINGのブースに列をなし、思い思いに商品を購入していた。もちろんカルソニックなど人気チームのブースにはいつもお客さんがおり、商品をあれこれ品定め。
そのほか、中古レーシングパーツなどが購入できるのもNISMO FESTIVALならでは。レーシングGT-Rのリアカウルや、レーシングZのリアカウルの即売コーナーにも列ができ、中にはレーシングカーの中古ホイールを購入している人もいた。
数多くの日産レーシングマシンが走り、随所でトークショーなどのイベントを実施。また、即売会も充実しているなど、多くのお客さんがNISMO FESTIVALを思い思いに楽しんでいたようだ。
ドライバーとして、監督として、そしてトークショーのゲストとして1日大忙しだった近藤監督(中央) | 中古レーシングパーツの即売会も大人気。これはおそらくZのリアパーツで3万円の値札が。サイズや種類によって値段はマチマチで、NISMO FESTIVALの会場ではパーツを小脇に抱えて歩く人を多数見かけた |
■URL
ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル株式会社
http://www.nismo.co.jp/
日産自動車株式会社
http://www.nissan.co.jp/
NISMO FESTIVAL
http://www.nismo.co.jp/event/festa2008/pc/
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【2008年10月20日】NISMO、モータスポーツイベント「NISMO FESTIVAL」を開催
http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/20081020_37953.html
(編集部:谷川 潔)
2008年12月2日