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鈴鹿8耐開幕直前。ホンダのライダー達がこれまでのレースを振り返る「40周年記念トークショー」レポート

1981年~2007年に出場したマシンを7月25日まで「鈴鹿8耐 40周年特別展示」

2017年7月17日 開催

ホンダウエルカムプラザ青山で開催された「鈴鹿8耐40周年」記念トークショーの様子

 本田技研工業は7月17日、東京 南青山のホンダウエルカムプラザ青山で「鈴鹿8耐40周年」記念トークショーを開催した。

 “夏の2輪の風物詩”とも言える「“コカ・ コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレース」は、7月30日に40回目の記念大会の決勝レースが開催される。これを前にして過去のレースで活躍し、勝利を収めてきたライダー達にレースを振り返り語ってもらおうというイベントだ。

2017年の鈴鹿8耐で出場するホンダチームのラインアップ
司会のピエール北川氏

 ゲストとして、ホンダ・レーシング 宇川徹氏、Team SuP Dream Honda 伊藤真一選手、au&テルル・Kohara RT 秋吉耕佑選手、MuSASHi RT HARC-PRO. Honda 高橋巧選手の4名が登場。司会にレース実況者のピエール北川氏を迎え、約1時間30分のトークショーが行なわれた。会場には、ホンダのロゴ入りTシャツを着た熱心なファンなどが詰めかけ、100席ほどの客席は満員となった。

ゲストとして招かれた、左からホンダ・レーシング 宇川徹氏、Team SuP Dream Honda 伊藤真一選手、au&テルル・Kohara RT 秋吉耕佑選手、MuSASHi RT HARC-PRO. Honda 高橋巧選手

 また、会場のホンダウエルカムプラザ青山では、「鈴鹿8耐 40周年特別展示」として1981年から2007年までに出場したマシン14台の展示が7月25日まで行なわれている。

「鈴鹿8耐 40周年特別展示」として、1981年~2007年に出場したマシン14台の展示を7月25日まで実施

伊藤選手は3年ぶりの出場に「待っていてよかった」

 トークショーでは、最初に鈴鹿8耐で5回の優勝を飾っている宇川氏へ「“最多勝男”と言われている事に関して照れたりしませんか?」という北川氏からの問いに対し「5回勝っていますが、“ミスター8耐”というと、伊藤さんとかワイン・ガードナー選手というイメージがあるのが悔しいですね」とコメント。

 次に、ホンダのサプライヤーを中心に16社のサポートを受けて「Team SuP Dream Honda」として今年の鈴鹿8耐に出場する伊藤選手へ「大変なプレッシャーではないか?色々な人が色々なことを言ってくるのでは?」と問いかけると「皆さん全日本から一緒で大人数でやってます。去年は高橋選手のMuSASHi RTのマシンの味付けなどで走ったりしています。いつも8耐には出たいと思っていましたが、3年ぶりにホンダの支援を受けて出られることになり、待っていてよかったと思います」とコメント。

鈴鹿8耐で過去最多の5度の優勝を収めたホンダ・レーシング 宇川徹氏
鈴鹿8耐で4回の優勝と表彰台7回、鈴鹿8耐で過去最多の7回のポールポジションを達成しているTeam SuP Dream Honda 伊藤真一選手
伊藤選手はホンダのサプライヤーを中心に16社のサポートを受けているため、背中に各メーカーのロゴが入っている

 宇川氏と伊藤選手は日本人ペアとしては初めて優勝を飾っており、その1997年のレースについては「色々ありましたね。ラスト30分で実はエンジン壊れていました。雨が降っていたのでそんなにラップタイムの落ち幅はありませんでしたが(宇川氏)」「ホリプロ・ホンダだったので芸能人の方も居ましたね(伊藤選手)」「33番を着けていました。“燦々と輝く”という意味合いでしたが、“散々苦労する”にならなきゃいいね、なんて言ってました(宇川氏)」とコメント。

マシンのチューニングは誰か1人の仕様に合わせるべき

鈴鹿8耐で優勝3回、表彰台4回のau&テルル・Kohara RT 秋吉耕佑選手

 秋吉選手に「1997年のレースでは転倒が多かったようですが」と振られると「5回ぐらい転びました。転んでも転んでもゾンビのように起き上がる不死身のライダーという感じでした」と語った。また、ツインリンクもてぎでのレースでの怪我については「今はもう普通に走ることができます。ただ、5mmくらい指なくなりましたね。骨折るよりも痛いです、指先削れるの。20日でようやく痛みが消えました。毎日、痛みの日記をつけていました」とコメント。

 今年のレースに関しては「長島(哲太)選手、大久保(光)選手と組みますが、彼らは普段、乗っているバイクもタイヤメーカーも違います。今回、CBR1000に乗って感覚を掴みながらの調整です。ただ、今回のテストでは天気もわるくうまく走れていません。こんな状況もあるので、チームベストの5番以内を目指したいなと思います。でも、難しいかも知れませんね。3人のチームだと、2人が乗れて1人が乗れないとか、なかなか調整が難しく悩んでいるところです。2人の方が勝てるのではないかとは思います」と語った。

 北川氏から「かつては2人体制でしたね。よく鈴鹿8耐で2人で乗れていましたね」と振られると「今思うと、意外と2人でも大丈夫でしたよ」と秋吉選手。宇川氏は「休憩は実質30分ぐらいでした。プール入ってなんだかんだしていたら『あと20分です。つなぎ着て下さい』みたいな。クールダウンする間もなく次を走っていました。2人の方がマシンを作るという点ではメリットがあると思います。3人よりも2人の方がマシンのチューニングの好みが合わせやすいです。3人が納得する仕様でマシンを作ったのではダメですね。誰かの仕様に合わせ、それを他のメンバーが乗るという方が勝てると思います」と語った。

 マシンに関して伊藤選手は「ウチのチームはこうして(1人の仕様に合わせて)いますね。ジョシュア・フック選手とグレッグ・ブラック選手には、私がした調整をそのまま乗って貰っています。確かに2人の方が悩まないと思います」とコメント。

4人のなかで28歳と最年少ながら、鈴鹿8耐の優勝は3回、表彰台6回のMuSASHi RT HARC-PRO. Honda 高橋巧選手

 高橋選手のチーム「MuSASHi RT HARC-PRO. Honda」でも、ベースは高橋選手に合わせているという。高橋選手は「チームメイトから『これでは乗れない』というのはありませんでしたね。ポジションやセッティングもほぼそのまま乗ってくれています。変にゴチャゴチャすることは今のところないです」とのこと。

 チームメイトのジャック・ミラー選手に関しては「ピットとか普段は大人しいですが、コースに出ると少しやんちゃをしてしまいますね」と控えめにコメントするも、伊藤選手は「3回見ましたが、そのうち2回は1コーナーを飛び出してましたね。あとは1コーナーを飛び出す寸前に、外の縁石にフルバンクしてました。転ばないのが驚きでした。実際に本人と会うといい青年ですが、コースではアグレッシブです。ビックリしました」と目撃したときの状況を語っていた。同じくチームメイトの中上貴晶選手に関して高橋選手は「8耐に向けて身体も作り込んできたと言っていて、やる気を感じます」とのこと。

鈴鹿8耐の勝利の秘訣は“勝てるチーム”にあり

 最近の鈴鹿8耐に関して宇川氏は「僕が入っていた頃よりも条件が熱いんじゃないかと感じます。3人というのもペースが速いですね。8時間のスプリントレースと言われていましたが、最近はその傾向が顕著になっていると感じます」とのこと。北川氏は、宇川氏が750cc、1000ccのV2、4気筒のCBRとマシンの仕様が変化しても全て勝利したことに触れ、環境が変化しても勝てる宇川氏に鈴鹿8耐の勝利の秘訣を訪ねたところ、宇川氏は「8耐で勝つ秘訣は勝てる体制のあるチームにいることです。幸い私はワークスで11回出させていただいているので、勝てるチームにいたのが勝因です」とのこと。

 また、マシンの仕様の変化については「スーパーバイクからGPに戻って、250ccに乗るときが本当に苦労しました。重くて動きが鈍い車両から俊敏な車両に乗り換えるのは凄く大変です。1996年にマシンの乗り換えが大変なのと、グランプリに集中したくて8耐にあまり出たくないと言ったら、ヨシムラさんから『甘い』と言われ、そのおかげで1996年はワークス寄りでないチームに配属されたこともありました」と語った。

 宇川氏とペアを組んで2勝した伊藤選手は、宇川氏とのエピソードを次のように語った。「何でも乗れる凄く器用な選手でしたね。セッティングのイニシアチブは私が持っていましたが、それでも器用に乗りこなしてメチャクチャ速かったです」。

宇川氏と伊藤選手はペアを組んで過去2回優勝している

宇川氏が勝利のハイテンションでやらかしたこと

 宇川氏といえば、1998年と2000年の表彰台で思わずつなぎを脱いでしまったというエピソードがあるが、それに関しては「花火に火を付ける前で、スポンサーのロゴが一番よく写るシーンなのに、つなぎを脱いでしまったので、あとで無茶苦茶怒られました。『天下獲ったぞ!』と言ったり、嬉しくてかなりハイになってました。終盤の夜のパートに走ることが多いですが、疲れていてもあのテンションでした」と振り返っていた。

 秋吉選手も表彰台に立った時に関しては「よく覚えてないですが、嬉しくて色々と投げていたと思います。2回目は脱水気味でそれほどテンションは上がってなかったと思います。尿検査もしなければならないんですが、脱水気味だと出なくて……。それが憂鬱だなとか考えていたと思います」とコメント。

 高橋選手は「2013年と2014年にチェッカーを受けましたが、スタートも自分がやっています。3人で組んでましたが、ペアのライダーが怪我の影響で、なぜかスタートとチェッカーを受ける流れになりました。2013年は最後に雨が振ってきて恐ろしかったです。全部自分のせいにされるって。運よく差を広げられていたので安全運転で行けましたが、本当に怖いですね。雨だとヘッドライトに照らされている部分の雨粒が発光して、雨が強く降っているように見えたので」と当時の心境を語った。

 ヘッドライトに関して、北川氏が「最近はLEDになって相当明るいですよね」とコメントすると、伊藤選手は「ウチのが一番明るいですよ。スタンレーさんなんですけど。軽いですしね」とさり気なくスポンサーの製品をアピールして会場をわかせていた。

各ゲストが鈴鹿8耐の思い出を語る

レーサーに年齢なんて関係ない

 伊藤選手の「Team SuP Dream Honda」は鈴鹿8耐の出場権を得るためトライアウトからの参戦となったが、これに関しては「普通に走れば通るはずなんですが、どうしても競争ですし、何が起きるか分かりません。1回目に転倒したときは前に秋吉選手がいて、『追いつきたいなぁ』と思ったらストンと転倒してしまいました。土砂降りのなか40分ぐらい走りましたが、転倒しないように注意を払いました。資格を取るためだけのレースでそれで落としたら、何のために自分がそのチームにいるか分かりません。無事に終わったあとは、思わず嬉しくて抱き合ってしまいました」と語った。

 さらに、50歳という年齢を迎え、何がモチベーションで鈴鹿8耐に挑むのか?と問われると「年齢は気にしてないですね。多分、自分よりも運動能力の低い選手もいますし。知らないあいだに50歳になってしまいましたが、あまり気にしてないです。目はどうしても遠視気味ですが、それ以外は年齢の影響は出ていません。昨日、土屋圭市さんと4輪のレースをしましたが、62歳になられても全然お元気で、もう対応がよくて速くて安定していて凄さを感じました。改めて『歳なんか関係ないな』と思いました」とコメント。

 鈴鹿8耐で3回優勝している秋吉選手が、記憶に残るベストレースは?と問われ「勝ったレースはどれも印象深いですが、2011年の伊藤さんとのレースですね。転倒したあとのバトンを受けて『よくこんなんで乗れるな』と思いました。それで勝てたのも印象に残ってます。2011年は東日本大震災の影響で大変でしたが、スタッフの皆さんが頑張って勝てる体制でしたし、上手く成績も出せてよかったと思います。今年のレースに関しては天候の急変が予想されるので、色々と備えておかないといけないと思います」と答えていた。

2017年の鈴鹿8耐はどうなるのか?

 レースに対してどのような備えをしていくか?と問われると、秋吉選手は「備えを考えるとキリがないですね。やはりレーサーは速く走りたいと思うものですから、いかに上手く速く走らせてあげるかが僕の仕事だと思います。僕は1歩引いて、若手にドンドン走らせるようにしています。今の若手はMoto2だったりスーパーバイク世界選手権のマシンに乗っているので、スピードの感覚は早いです。上手くタイムを出せるように繋げてあげたいと思います。ちなみに『雨は任せろ! 俺が走れば大丈夫』と言っておきました」と笑顔で答えていた。

 さらに秋吉選手は若手の成長について「8耐は若手の成長が見られる特殊なレースですね。マシンの違いもありますし。Moto2ではマシンやタイヤで決まり、自分だけでどう速く走れるかとなります。しかし、1000ccはなんとでもなります。作ろうと思ったらなんとでも作れますし、人が作っていくというマシンのなかでは一番乗りやすいと思います。ちょっと緩い部分はありますが、速度が出ると重さも感じないですし、速いマシンでラップタイムも簡単に出て、楽に乗れるというのが最終的なバイクになるのかなと」。

 北川氏の今年からマシンが「CBR1000RR SP2」に変わったことに関して、高橋選手にどんなリクエストをしたのか?という質問に対して、高橋選手は「色々と話をしてやってもらっています。セットアップは全日本を含めて順調にできてます。車体はとくに大きな問題はありません。テストもずっとやってますし、長い距離を走る不安もありません。自分たちがどう乗りこなせるか次第だと思います。長く余裕を持って、8時間いいペースでアベレージよく走れるマシンを作れればいいかなと思います」と答えた。なお、宇川氏はレース車の開発には携わっていないが、「CBR1000RR SP2」の量産バージョンの開発に携わっているとのこと。

2017年から採用された「CBR1000RR SP2」

 続けて秋吉選手は「天候もそうですが、レースには他のクラスのマシンもいます。市販車に近いと水温が高く、水が出たりオイルを吹いたりします。そういうほかのマシンの影響を受けて転ぶというのも何度も見ています。一概に速く走れるから速いというわけではありません。難しいですよ。巡り合わせもありますね。そういうのも頭に入れておかないとすぐに足をすくわれます」とコメントした。

会場から「もう1度宇川選手の走りを見たい」と拍手が

 北川氏は「これだけ複雑な要素が絡み合うのに、宇川さんはよく5回も優勝できましたね。もう1回走りたいという気持ちはないのですか?」と言われると、宇川氏は「伊藤さんが年齢を考えないというなら、僕も考えなくてもいいかなと思ってもいいですかね?」とコメント。会場からはもう1度宇川氏の走る姿を見てみたいと拍手がわき上がった。「でも、今からスーパーバイクで走ろうと思ったら、1年はみっちりとやらないとダメでしょうね」と、鈴鹿8耐への気持ちがまんざらでもなさそうだった。

 今組むとしたら誰と組みたいか?と聞かれると「えっ(伊藤さんを気遣いながら)やはり伊藤さんですね。普段走っている人が作るバイクだと安心できます」と答えた。対して伊藤選手は「そうですね。そうなるといいですね。ただ、2人で勝ってしまうと、(それぞれ1回増えて)宇川さんが6回で私が5回ですから、勝利数が追いつかないですよ。どこかで並ばないと」とやや苦笑気味に答えていた。

 宇川氏の5回という優勝回数に関して高橋選手は、「当然5回という数字はいつも越えたい目標として頭の中にあります。レースに出るからには毎回優勝を目指してます。今年28歳ですが、まだチャンスはあるかなと思っています」とコメント。伊藤選手がポールポジションの記録を持っているがどうか?と聞かれると「あまり1発タイムは性格的に得意ではないんですよね。決勝だけ考えています」と答えていた。

各ゲスト自分にとっての鈴鹿8耐とは?

 その後、「自分にとっての8耐とは?」という題目で、各ゲストからひと言を書いたパネルとそのコメントを語るコーナーとなった。

各ゲストが「自分にとっての8耐とは?」という題目で語るコーナー

 宇川氏は「LIFE」と書いて、「僕は8耐は人生そのものだと思っています。鈴鹿はオートバイレースの聖地です。テストで走っただけでもほかのサーキットとは違います。何百回とテストで走っても特別な場所です。よいときもあれば、わるいときもある。それこそが人生そのものだと思います」とコメントした。

 伊藤選手は「ライダーとして一番大事で重要なレース」と書いて、「1997年にGPでミックにまったく歯が立たずに帰ってきて、8耐に何とか勝てて現在に至るのではないかと思います。8耐のおかげで自信を取り戻せました。レギュレーションでは60歳まで走れるので、60歳になるまで走ろうかと思います」と言うと、会場からは拍手がわき上がった。

 秋吉選手は「集大成」と書いて、「同じような感じだとは思いますが、鈴鹿の耐久レースやGPを見て、自分もああいうふうになりたいと思って走り始めました。4時間耐久を走り、8時間耐久を走って、成績が出せず、こんなに厳しいところなのかと思いました。速い人たちばかりで、どうやって速くなるのかとばかり考えていたら、勝てるチームに入り勝てるようになりました。難しいです。自分がああしたいこうしたいというのはなかなか出せないのが8耐ですね。怪我などもしていますが、レースがあるからそこに目標を立ててチームが一丸となって進み、勝てる体制へ向かっていけると思います」と語った。

 高橋選手は「アピールする絶好の舞台」と書いて、「ホンダさんが8耐を重要視していますし、そこで結果を残せば、絶対に目をひいて注目してもらえると思います。全日本選手権も走っていますが、8耐は重要視されているので、そこでしっかりと優勝できれば先に繋がるものがあるのではないかと思います。それを上手く自分で引き寄せられるようにしたいです。今年はしっかり結果の残せる準備ができていると思いますし、アピールできると思います」とコメントした。

 2016年の鈴鹿8耐でチームを組んだニッキー・ヘイデン選手との裏話について会場の参加者から質問が出ると、高橋選手は「ヘイデン選手は、2017年に入ってから自分が車体テストをしているのを知って、スーパーバイクでの調子が上がっていなかったのもあり『お前の乗っているマシンはどう?』と連絡を貰ったり、情報交換をしていました」と答えた。

 さらに鈴鹿8耐での「忘れられない思い出は?」と参加者から問われると、宇川氏は「僕の人生なので、過去11回全てです。94年に首の骨を折ったりとかそういうこともありました。イギリスのドニントンでレースが終わったら、伊藤さんとヘリコプターでヒースロー空港まで行き、そこから鈴鹿まで直行してレースに出たなんてこともありました」とのこと。

 伊藤選手は「いっぱいありますね。勝ったときもありますし、負けたときの92年とか99年とか。転倒した瞬間に暑さもあり『これは夢だよな。何が起きているんだろう』と思います。それから(事実として認識して)1年間引きずったりします」と語った。

 秋吉選手は「2014年のトップを走って転倒したときですね。悔しくて。なんで転んだんだろうって。転ぶときは予想がつくんです。おかしいなって。もっとプッシュすれば治るかと思ったら治らなくて(笑)。でもダメでした。悔しかったです。今でも夢に出てきます」とコメント。

 高橋選手は「僕は初優勝ですね。表彰台から見る景色が一番衝撃的でした。その印象があるので毎年勝ちたいと思えます。あれは本当に感動でした。走りきって1位でゴールできて、表彰台からの景色が見られたらこれ以上なくハッピーになれます」と語った。

 トークショーのあとは各選手のサイン入りグッズがプレゼントされるジャンケン大会を実施。会場は大いに盛り上がった。

各選手のサイン入りグッズがプレゼントされるジャンケン大会も実施

展示マシン

会場に展示されているマシンは以下のとおり。

1981年 RS1000(HONDA FRANCE)
1983年 RS850R(TEAM HRC)
1984年 RS750R(HONDA FRANCE)
1985年 RVF750(TEAM HRC)
1990年 RVF750(OKI HONDA RT)
1991年 RVF750(OKI HONDA RT)
1992年 RVF750(OKI HONDA RT)
1993年 RVF750(am/pm カネモト・ホンダ)
1996年 RVF/RC45(Castrol HONDA)
1999年 RVF/RC45(ラッキーストライク ホンダ)
2005年 CBR1000RRW(セブンスターホンダ7)
2006年 CBR1000RR(F.C.C.TSR ZIP-FM Racing Team)
2006年 CBR1000RR(Seven Stars Honda 7)
2007年 CBR1000RR(TEAM HRC 33)