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鈴鹿サーキットでDFVサウンドを堪能。ヒストリックF1やCカーが集まった「サウンド・オブ・エンジン2017」
マスターズ・ヒストリック・フォーミュラーワン・シリーズが来日
2017年11月19日 06:37
- 2017年11月18日~19日 開催
11月18日~19日の2日間にわたって「RICHARD MILLE SUZUKA Sound of ENGINE 2017」が、鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)で開催されている。このサウンドオブエンジンはヒストリックレーシングカーのイベントで、2017年で3回目となる。
例年、世界的に貴重なレーシングカーが実際に走行するイベントとして行なわれており、特に今年は世界的な規模で実施されているヒストリックF1カーのシリーズである「マスターズ・ヒストリック・フォーミュラーワン・シリーズ」に出走しているマシンが来日し、デモ走行、デモレースを行なう新しい要素が加わった。1970年代、1980年代にF1に出走していたヒストリックF1カーが多数出走している。
マスターズF1がシリーズごと来日し、鈴鹿サーキットを激走
マスターズF1とは、FIA(世界自動車連盟)の公認で行なわれているヒストリックF1カーのレースで、1966年~1985年までに出走していたF1カーであり、オリジナルの形状やカラーリングを維持し、ノンターボ3リッターエンジンの車両(フォード・コスワースDFVなど)を搭載しているマシンで実施されている。
1972年までのジャッキー・スチュワート・クラス、1972年以降のノン・グランドエフェクトカーのエマーソン・フィッティバルディ・クラス、1972年以降のグランドエフェクトカーのパトリック・ヘッド・クラス、1972年以降のフラットボトムカーのニキ・ラウダ・クラスの4つに別れてチャンピオンシップを戦っている。最近ではF1のサポートレースとして行なわれることも多く、ヨーロッパや北米などで人気を集めているレースだ。
日本からも通信機器メーカーであるプラネックス・コミュニケーションズのオーナー社長である久保田克昭氏がチャレンジしていることで知られており、2017年のF1アメリカGPと併催されたレースで優勝するなど活躍している。
サウンド・オブ・エンジン2017には、このマスターズF1に参戦しているチームや車両が多く参加しているが、全チームが参加している訳ではないので、シリーズ戦ではなく、エキシビジョンとして行なわれている。
参加している車両はブラバムBT37・フォード、ロータス76・フォード、ヘスケス308B・フォード、マキF101C・フォード、マクラーレンM23・フォード、ペンスキーPC4・フォード、ブラバムBT49C・フォード、ロータス88B・フォード、ウィリアムズFW08・フォード、ティレル012・フォードなど、70年代~80年代のF1を彩ったレーシングカーばかりで、それがレーシングスピードで走るシーンはなかなか見物だ。
イベント初日となった11月18日の午前中はあいにくの雨。午後には雨はやみ始めたものの、昼過ぎに行なわれたマスターズF1のデモレースの際には雨が残っており、タイヤが外れるトラブルが1台発生するなどしたため、残念ながらセーフティーカー先導のまま終了。その意味ではやや消化不良になってしまったが、19日にも13時過ぎから10周(フルコース)のデモレースが予定されている。明日の日曜日はよい天気になる見通しなので、面白いレースが期待できるだろう。
なお、前日の11月17日にも練習走行が行なわれており、その日にはドライで走行。各車ともドライ路面で快調に走っていたので、天気予報どおりに晴れれば、かなり楽しいデモレースになるのではないだろうか。
1976年F1インジャパンの興奮が蘇るコジマKE007が鈴鹿サーキットを走る
マスターズF1の枠には入らないような、ターボチャージャーのF1カーや割と最近のF1カー、そしてマスターズF1には参加していない70年代のF1カーで構成されていたのが「Legend of F1」。このサウンドオブエンジンの常連となっているウルフWR1・フォード、アルファロメオ179C、フェラーリ2003-GAなどに加えて、今年は2010年型フェラーリF1となるフェラーリF10、そして1976年に富士スピードウェイで行われた日本初のF1となるF1インジャパンにデビューした国産F1カーとなるコジマKE007・フォードも展示、走行し注目を集めた。
コジマ KE007・フォードは、日本のコンストラクターであるコジマエンジニアリングが作り上げた国産F1カーで、カウルはあの「違いがわかる男」由良拓也氏のムーンクラフトが製作するなど、当時の日本の英知を結集して作ったシャシーとなる。F1インジャパンの練習走行で印象的な速さを見て注目を集めたが、予選中にクラッシュしてしまい、徹夜で修復して走ったが決勝は11位に終わってしまったという1台だ。
コジマ KE007・フォードは残念ながら雨となってしまった11月18日は走らずに終わってしまい、ピットウォークで展示された程度。11月17日のフリー走行では当時のドライバーである長谷見昌弘氏のドライブで実走しており、好天が予想されている11月19日は走る可能性が高い。当時の日本のコンストラクターの熱い想いを感じ取りたい人にとっては要注目となる。
特別ゲストとして元F1ドライバーのロベルト・モレノ氏が来場し、トークショーやサイン会を実施
グランドスタンド裏のGPスクエアでは、ドライバーのトークショーなどが行なわれた。今回の特別ゲストとして招かれたのは、ロベルト・モレノ氏。モレノ氏は、現ARTAの鈴木亜久里監督が地元で表彰台を獲得した1990年の日本GPで、直前のヘリコプター事故で重傷を負ったアレッサンドロ・ナニーニ氏の代役としてベネトンに乗り、兄貴分と言えるネルソン・ピケ氏(1981年、1983年、1987年のF1チャンピオン、1987年のタイトルはホンダにとって初めてのドライバーチャンピオン)と1-2フィニッシュを実現した、鈴鹿サーキットには関係の深いドライバーだ。
今回モレノ氏はトークショーに登壇したほか、マスターズF1の車両にも搭乗しており、そのレーシングスーツは、1990年に日本GPで2位表彰台を獲得した時のベネトン時代のスーツそのものを着用してトークショーに登場した。
11月18日の午前中に行なわれたモレノ氏のトークショーでは、兄貴分とされているネルソン・ピケ氏との関係などについての秘話が公開された。モレノ氏によれば、モレノ氏が鈴鹿サーキットに初めて来たのは1984年、その年のラルト・ホンダで欧州F2を戦っていたモレノ氏は、全日本F2の最終戦に招待されて初めて来日し日本のサーキットを走ったという。「日本のドライバーが速くて最初はどうやって走ったらいいか分からなかった。そこで、第2コーナーでクルマを止めて日本のドライバーのラインを研究して予選に臨んだらポールが獲れたんだ」とモレノ氏。当時の欧州F2はホンダが最強エンジンとなっており、そのワークスチームであるラルトチームがチャンピオン(チームメイトのマイク・サックウェル氏がチャンピオンを獲得)になっており、そのラルトチームを全日本F2の最終戦に招待するのが定番となっていた。その時にモレノ氏は初めて来日したのだという。
実はモレノ氏のF1デビューも鈴鹿サーキットだったという。当時のF1はシーズン終盤になると成績のわるいドライバーを降ろし、若手を乗せることが多く、モレノ氏もそうした事情で当時の最終戦1つ手前の第15戦鈴鹿の日本GPでF1デビューを果たしたのだ。そして、1988年に欧州F3000のチャンピオンを獲りF1に昇格したが、いいチームに恵まれず、1990年の日本GP目前のモレノ氏はシートを失って浪人状態だった。
そうした日本GPの直前、当時トップチームの1つだったベネトンのアレッサンドロ・ナニーニ氏がヘリコプター事故で重傷を負い、日本GPを走れなくなってしまった。そこで代役として白羽の矢が立ったのがモレノ氏。ブラジル人のモレノ氏は、当時のベネトンチームのエースだったネルソン・ピケ氏の幼なじみで、そうした縁もあって代役の座が回ってきたのだ。
モレノ氏によれば「父親の転勤でブラジリアに移住した後、12歳の時にバイクを購入して走らせていた。当時出来たばかりの人工都市ブラジリアは道が先に出来て、建物が後にできるような状況で、渋滞もなく12歳がバイクを走らせることができるような街だった。当時の私は機械に興味があり、買ったバイクを買っては組み立てていたが、時にうまくいかないときがあった。そんな時にそのバイクを買った店のメカニックに相談していた。その7歳年上の若いメカニックの名前はネルソン・ピケといった」とのことで、そうした子供時代に機械いじりの関係でネルソン・ピケ氏と親しくなっていったのだと説明した。モレノ氏によれば、その後ピケ氏がモレノ氏が渡欧するのを手助けしてくれたりして関係が深まり、モレノ氏が初めての2位表彰台を1990年の日本GPで獲得した時に二人で抱き合って喜んでいた背景にはそうした関係があったのだと説明してくれた。
星野一義、長谷見昌弘、片山右京と3人のレジェンドがハンドルを握ったグループCのデモレース
このほかにも、サウンド・オブ・エンジン 2017には多数の車両が参加している。その代表格はグループCカーで、1992年のJSPCのドライバー&コンストラクターズチャンピオンを獲得した車両となるニッサンR92CPは2台が参加し、それぞれを星野一義氏、長谷見昌弘氏という2人のレジェンドドライバーがドライブするという豪華な顔合わせ。また、トヨタのTS010は、1992年のル・マン24時間レースで惜しくも2位となったレーシングカーで、現在まで続いているトヨタのル・マン挑戦の歴史を彩った1台だ。こちらはもう1人のレジェンドドライバー片山右京氏がドライブし、甲高いV10サウンドを響かせながらストレートを何度も通過し、詰めかけた観客を喜ばせた。この他、1985年にトヨタがル・マンに初挑戦したときの車両となるトヨタTOM'S 85C-L、1991年のマツダのル・マン24時間レース制覇車両の同型車両となるマツダ787B、その前に利用されていたマツダ767B、ポルシェ962Cなどがエントリーし、出走した。
このほかにも、F2以下の1960年代までの葉巻型フォーミュラカーが出走できる「Historic Formula Register」、ホンダが2輪WGPに挑戦した時のレーサー「NSR500」、それらに該当しない「オープンクラス」など多種多様な車両が走った。オープンクラスには、80年代後半~90年代半ばにかけて行われていたF3000の車両も含まれており、懐かしいレイトンハウスブルーのマーチ、1990年にエリック・コマス氏(元F1ドライバーで、F1後にはSUPER GTの前身となる全日本GT選手権にも参戦していたドライバー)がドライブして国際F3000(後にGP2、現在はF2としてF1直下のシリーズ)でチャンピオンに輝いたローラT90/50・フォードも出走している。
なお、お昼頃にはピットウォーク、グリッドウォークが行なわれた。グリッドウォークでは、マスターズF1とグループCの各車両がグリッドに勢揃いしており、かなり近くまで近づいてマシンを見ることができた。クラシックレーシングマシンに興味がある読者はサウンド・オブ・エンジン2017に行ってみてはいかがだろうか。