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F1日本GP、ホンダ・レーシングの浅木泰昭氏と田辺豊治氏が鈴鹿でトークショー

鈴鹿サーキットのGPスクエアオフィシャルステージで行なわれた浅木氏、田辺氏の講演

 10月7日~9日の3日間にわたり、F1日本グランプリが鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)において開催されている。8日15時から予選が行なわれ、日曜日の決勝レースに向けたグリッドが決定した。

 日本グランプリでは、パンデミックの発生による緊急事態宣言などのイベント制限もなくなり、通常のイベントとして、感染症対策を実施しながら行なわれている。

 金曜日には3万8000人が、土曜日には6万8000人が観客数として発表されており、3年ぶりとなったF1日本グランプリ開催を待ちわびた人たちがサーキットに訪れている。

 グランドスタンド裏の「GPスクエアオフィシャルステージ」では、ドライバーによるトークショーなどが行なわれており、多くのファンが熱心に話を聞く様子が見てとれた。土曜日11時10分からはHRC(ホンダ・レーシング)のF1活動の顔だった、ホンダ・レーシング 常務取締役 四輪レース開発部 部長 浅木泰昭氏と、2022年までホンダF1 テクニカルディレクターを務めていた田辺豊治氏の2人が登壇したトークショーが行なわれた。

ホンダは撤退したが、ホンダが開発したパワーユニットをレッドブルに供給している体制に違いはない

書籍「ホンダF1 復活した最速のDNA」を紹介するホンダ・レーシング 常務取締役 四輪レース開発部 部長 浅木泰昭氏(左)と元ホンダF1 テクニカルディレクター 田辺豊治氏(右)

司会:(最初にNHK取材班が出版した「ホンダF1 復活した最速のDNA」という本を紹介した後に)昨年のドライバーチャンピオンおめでとうございます

浅木氏、田辺氏:ありがとう。

司会:(2022年の)最終戦の最終ラップはすごいドラマがあった。あの時はどんな気持ちだったか?

浅木氏:まさかこんなことが起きるのかって気持ちだった。自分の人生でこんなことがあるのだと思いながら見ていた。

田辺氏:レースの展開から、ピットの中もちょっと沈んだ感じになっていた。しかし最後にいろいろなことが起こって、その中で最後までチームが一丸となって勝つ事にこだわったことが実ったと感じた。その後はピットの中も爆発したような状態でお祭り騒ぎになった。

司会:今回の鈴鹿は土曜日になって晴れましたが、これだけのファンのみなさんを見て、浅木氏はどうか?

浅木氏:この雰囲気はすごい。本当こういうイベントを開催できて、F1にもこんなにファンのみなさまに来ていただいて、いい時代が戻ってきそうだなと感じている。

田辺氏:私は海外に赴任していて、日本のみなさんの熱い応援がとてもありがたかった。今年日本に帰ってきたが、こんなに人があふれているのを見て、本当にありがたいという気持ちだ。

司会:昨年までと今年からのホンダのF1への関わり方の違いについて教えてほしい。昨年まではホンダブランドでレッドブルにパワーユニットを供給していたが、今年はホンダが撤退してHRC(ホンダ・レーシング)として関わっている。その意味について教えてほしい。

ホンダ・レーシング 常務取締役 四輪レース開発部 部長 浅木泰昭氏

浅木氏:これまでは本田技術研究所としてF1活動をやっていた。しかし、ホンダが撤退ということになると、研究開発などが途絶えてしまう可能性があった。そこで、HRCという2輪をやっていたレースの会社に、4輪も移ることで、レースを継続できる体制を作るということだ。

 それにより撤退を発表しても、レースのことを研究していいよという会社に移ったということだ。今年はレッドブル・パワートレインズのパワーユニットということになったが、製造も、供給もHRCがやっているので、撤退してもわれわれがやっていることに大きな違いはない。もちろん、お金の流れとかは変わっているけど、技術者がやっていることは全く何も変わっていない。

司会:田辺氏は昨年まで現場のトップだったが、今はHRC Sakuraに戻ったと聞いている。田辺氏自身、F1への関わり方で何か変わっているか?

田辺氏:生活面で大きく変わっている。去年までは全戦に帯同して現場で仕事をしていたが、今年は日本から参加する形になり、後輩たちががんばってやってくれているのを後ろから支える形になっている。

司会:それはご家族もご一緒に現地に行かれていたのか?

元ホンダF1 テクニカルディレクター 田辺豊治氏

田辺氏:そのとおりだ。イギリス駐在という形で現地にいっていたので、家族も帯同していた。ただ、私自身もほとんどイギリスに戻ることができない状態だったので、家族にも会えないことが多かった。今はゆっくりと日本で生活している。

司会:そんなドライバーと一緒に世界中を回る生活から、いきなり日本に戻ってきてどうか?

田辺氏:ちょっと物足りないと感じることはある(笑)。

司会:奥さまがこのトークショーを聞いていないことを祈るばかりだ(笑)。

田辺氏:それは大丈夫だ(笑)

司会:浅木氏の方は変わったところはあるか?

浅木氏:私はチャンピオンを獲るまでということで、HRD Sakuraのセンター長とホンダがLPLと呼んでいる開発責任者を兼ねていたのだが、今はLPLの方は後進に委譲している。そうした若手を育てるのも自分の仕事だと思ってきたし、ホンダがレースしているのはそのためでもあり、そうでないと意味がない。

司会:そうした若いエンジニアがモータースポーツで育っていき、そのモータースポーツからわれわれが乗っている一般車やオートバイの方にフィードバックされていくことは素晴らしいことだ。ホンダF1は時期により参戦形態も異なっている。セナ・プロ(※アイルトン・セナ、アラン・プロスト)の時代のようにエンジンサプライヤーとして、そして第3期にはフルコンストラクターとして、そして今はパワーユニットサプライヤーとして関わっている。現在のF1のパワーユニットに関して教えてほしい。

浅木氏:今のF1のレギュレーションというのはハイブリッドだ。だから、エンジンに加えてモーターやバッテリなどを組み合わせた形で戦っている。

田辺氏:とにかく、今のパワーユニットは複雑だ。エンジンのパワーとバッテリ、さらに回生エネルギーなどを組み合わせて利用している。簡単に言えば電気をためて使いたい時に使うというものだ。われわれとしてはそれを学び、実際にサーキットを走らせて、それを最適化してラップタイムをベストにするような制御を行なってきた。

2022年のトルコGPで走ったホワイトボディのマシンが、ホンダブースで展示されている

司会:ハイブリッドというと、ホンダでも早い段階から一般車でも取り組んできた。その意味では技術はすでに確立されていたと思うので、マクラーレンと組んだ時にはすぐに優勝するのではと思っていたが、当初はとても苦労していた。

浅木氏:私がHRD Sakuraへ移動したのは、マクラーレンがもうホンダとは一緒にやりたくないと言っていた時期だった。その時に移動してすぐ思ったのは量産でハイブリッドとかやっていたので行ってみればなんとかなるだろうと高をくくっていたのだが、F1では非常に細かいレギュレーションが決まっており、それが複雑で難しく概要を理解するのに半年ぐらいかったことを覚えている。

 ここをやればいいんじゃないの?というと、それはレギュレーションでダメだとかが多く、じゃあこれは?というとそれは書いてないからやってしまいましょうとか、なかなか大変だった。どうやって勝てばいいのだろうと悩むぐらい、本当に難しいシステムだ。

田辺氏:信頼性と性能のバランスがとれて、両方がかみ合わないと前を走ることはできないと考えていた。当時、われわれは前が見えない状況にいたけど、みんなが諦めないでやる、毎日走らせていく中で、実際今でもそうなんだが新しい発見がある。それを研究所の方に投げてフィードバックしながら開発していく、そういう苦労をしながら戦っていた。

司会:書籍の中でも「数え切れない悔しさが私たちを強くした」という記述がある。

浅木氏:私というよりは、私が行く前にマクラーレンと一緒にやられていた先輩方は本当に苦労されていた。その苦労はわれわれの比ではないと思う。実際、最後お別れする時にはかなり過激な言葉をいただいたりもしていたので。ただ、向こうがそういうのも無理もない面があった。

田辺氏:とにかく走れない、壊れる、そういうことがあって大変な思いをしてやっていた。私が参加し始めた時には新しいパートナーとしてトロロッソ(今のアルファタウリ)と組んだ時期だが、ホンダにとってありがたかったのは、トロロッソがオープンマインドでやってくれたことだ、それにより素晴らしい再スタートを切ることができた。

 もちろんスタート時には壊れたりとか失敗したりとかいろいろ悔しいこともあったが、それを1つ1つ勉強して進歩することができたのだ。

司会:トロロッソと組めたことはホンダにとってすごくラッキーなことだったと。

浅木氏:タイミングが本当によかった。正直、その当時組んでいたチームから一緒にやりたくないと言われている時に、一緒にやりたいといってくれたわけだ。そしてホンダから見れば、トロロッソにはセットでレッドブルというチームがあるのは見えていた。多分われわれのことはここでテストされるのだろうと思っていたし、レッドブル陣営の中でも、その前の成績を見てわれわれと組むのに反対の人も結構いたはずだ。ただ、最終的には成功を収めることができて、組んでよかったと言ってもらえるように必死で今日までやってきたという感じだ。

司会:「見てろよ、マクラーレン」という気持ちでやってきたと……。

浅木氏:いやいや、マクラーレンには迷惑をおかけして申し訳ないという気持ちだ。(もし来年一緒にやりたいと言われたら?と振られて)ぜひ話したい(笑)。

司会:心が広い(笑)。トロロッソの良さはやっぱり、ファミリー的というか、温かいというかそういう感じのチームだったのか?

田辺氏:代表のフランツ・トストさんが、先頭に立ってホンダとやるからには日本の文化を知らないといけない、そういうことはチームの中で広げたりしてくれた。実際現場で会うと、お互いに言いたいことを言い合って、クルマを速くする。そこにフォーカスしてお互いに心を開いて仕事をすることができたと思う。

司会:2019年にはトップチームであるレッドブルとのジョイントも決まった。その時にはどう感じたか?

浅木氏:トロロッソとの戦いぶりを見て、当時の彼らのパートナーだったルノーを取るのか、われわれを取るのかという時に将来性を感じてわれわれを選んでもらえたのだと感じた。そのトロロッソとやっていた時には、翌年のレッドブルと戦えるように、最初は信頼性をある程度犠牲にしても性能を上げることに集中していた。信頼性は性能を上げた後で確立することが可能だからだ。そういう割り切りをもってやっていたので、現場でやっている田辺は相当大変だったと思う。

田辺氏:レッドブルと組んで成績を残すということは、今のレースを見てもそうだと思うが、同じメーカーのパワーユニットを搭載していても成績は同じではない。やっぱりチャンピオンを獲れるチームというのは限られていて、レッドブルはマックス・フェルスタッペン選手を擁していて、われわれがチャンピオンを目指すとするとやはりパートナーとなるのはレッドブルだろうというのはあった。

 そのレッドブルと組むために何をする必要があるのか、何を見せないといけないのか、ということを考えると、当然レッドブルはトロロッソの姉妹チームですから、われわれの情報をチェックしていると考えていたので、普段からそういうことを意識してトロロッソとの仕事を進めていた。

司会:そしてその結果として、2019年のオーストリアGPで第4期F1では初優勝をして、田辺氏が表彰台に上がった。その時の景色はどうだったか?

田辺氏:トップチームのレッドブルと組めば勝てるだろうと、みなさんにいろいろ応援していただいていた。しかし、なかなかそうした結果を出せない状況が続いていました。その中であのレースではチャンスをしっかりつかんで優勝できて、その瞬間は声もでなかった。表彰台に登るというのは初めてで、非常に緊張しており、何をしていいかもよく分からなかったのだが、みんな集まって喜んでくれて手を上げているのを見た瞬間、言葉にならないぐらいうれしかったが、なによりもホッとしたというのが正直なところだ。

司会:浅木氏はどこで見ていたのか?

浅木氏:HRD SakuraのMissionルームで、見ていた。NHKの放送などでもその様子は流れていたと思うが、現地のクルーと一緒にそこで戦っていた。あの復帰後初優勝の時は、私よりもマクラーレン時代から苦しい思いをしていた人たちが泣いていた……あのまま撤退したら……と思ってがんばってきたが、私としては本当にホッとしたというのが正直な感想。

司会:これからFP3と予選が行なわれる(このトークショーは正午に行なわれるフリー走行3回目より前に行なわれている)が、今回は角田裕毅選手が日本人のフルタイムレギュラードライバーとして母国凱旋のグランプリとなる。どういうことを期待しているか?

田辺氏:われわれもホンダとして昨年まで戦ってきて、自分たちの中では日の丸を背負っているという気持ちでやってきた。彼も日本人ドライバーとして同じ気持ちでやられていると思うので、それをプレッシャーにするのではなく、勢いにして楽しんで走ってほしい。

司会:本当にミラクルで表彰台なんかにも乗ってほしいところだ、浅木氏はどうか?

浅木氏:彼ははまった時の速さというのは過去の日本人ドライバーとは違った部分があり期待してしまうところだ。こういうドライバーがさらに経験を積めば、世界を代表するドライバーになってくれるのではという期待感をもって見ている。あれって時もあるけど、がんばってほしいと思う。

司会:さて、ここで優勝とファステストラップを取ると、もうチャンピオンが決まるという状況だが、お二人は「ワールドチャンピオン」って書いてあるTシャツを準備されてきているのか?(笑)

浅木氏、田辺氏:それはない(笑)

司会:チャンピオンをここで決めてくれると思うか?

浅木氏:当然ワンツーフィニッシュを期待している(笑)

司会:できれば、ワンツーだけでなくて、スリーフォーも期待したいところだ(笑)

浅木氏:全力をつくしますので、応援をよろしくお願いしたい。