ニュース
スーパー耐久未来機構設立記者会見より、桑山晴美氏と豊田章男氏のあいさつ
2024年4月21日 09:29
4月20日、スーパー耐久レースを運営するSTO(スーパー耐久機構)が、6月よりSTMO(スーパー耐久未来機構)に事業を承継することが発表された。スーパー耐久は1991年に開始された草の根参加型モータースポーツで、桑山充氏が創設。運営団体のSTOも設立。その後、桑山充氏は2013年に亡くなり、妻の桑山晴美氏が事務局長としてレースや団体を率いてきた。
今回、その桑山晴美氏が従来の形でのスーパー耐久から、さらに成長させていくために、エントラントでもあり、ドライバーのモリゾウ選手として参加していた豊田章男氏に相談。豊田章男氏もさまざまな相談を行ない、自動車会社連合で支えるより、自動車好きの豊田章男として加わるほうが小回りが効くと判断。継承団体である、一般社団法人 スーパー耐久未来機構を立ち上げ理事長に就任した。
この社団法人には、ENEOS株式会社、株式会社ブリヂストン、三井住友海上火災保険株式会社、東京海上日動火災保険株式会社、小倉クラッチ株式会社、株式会社SUBARU、マツダ株式会社、トヨタ自動車株式会社 、 株式会社デンソー、株式会社アイシン、豊田章男、阿部修平、桑山晴美 、加藤俊行が拠出。理事長 豊田章男氏、副理事長 桑山晴美氏、専務理事/事務局長 加藤俊行氏(元デンソー副社長)という形で運営されていく。
より強力な団体となることでスーパー耐久を運営していき、関連記事でお伝えしたとおり、日本国内だけでなくアジアのモータースポーツ発展に取り組んでいく。
4月20日に行われた会見あいさつでは、桑山晴美氏、豊田章男氏から新団体への思いが語られた。そのあいさつ全文を掲載する。
桑山晴美氏あいさつ
少しだけ、お時間をいただいて私自身の思いを振り返らせていただければと思います。
2013年3月2日に、夫である前事務局長桑山充が他界しました。私は、それまで、レースには縁がありませんでした。ましてや、その仕組みはまったく分かりません。
当時、ちょうど2013年のエントリーが確定する時期で、分からないながらもエントリーのとりまとめをしていました。そんなバタバタな中で、夫の遺志を継ぐことを考え、なにか分からない気持ちに押されるように「よし、やるか」と決意したのを覚えています。
「晴美さんはお飾りでいいから、あとはこちらでやるから」と言われたこともありました。しかし、自分ですべて分かっていないと、このレースを成長させていくことはできないと思い、「まずは平たく全部を学ばせてください」と言いました。
みなさん、「えっ」という顔をされていたことも覚えています。多くの方々に不安な思いをさせてしまっていたのだと思います。
少しすると気が付いたことがありました。レース業界はいろいろな思いを紙に落としたり、 具体的に実行されていくことが、あまり多くないという印象を持ちました。
実務をできるようになって、役に立っていきたい……。そんな思いでレースに行くようになると、何も分からないなりに「はて?」「あれ?」といった課題が見えてくるように感じました。
当時、私なりに行き着いた「スーパー耐久に必要なもの」は「正しい規則に整えること」と「ブランドを創ること」の2つでした。その課題を一つ一つ 、潰していったのが、今に至るスーパー耐久の11年間だったと思います。
私はかねてからメーカーの方にお目にかかったとき、「スーパー耐久をどんどん開発の場に使ってください」とお伝えしてきました。これは、生前、夫が言っていた、このレースの意義でもあります。
モリゾウさんにも岡山でお目にかかった際に、お伝えした覚えがございます。ST-Qクラスの新設は、その思いで即断いたしました。しかし、その時は、まさか水素エンジンという夢のある技術が試される場所になるとは夢にも思っていませんでした。
おかげさまでスーパー耐久は、今とてもよい状態にあると思っています。チームのみなさま、ご協賛企業のみなさまにも支えられ、参加型レースでありながらも応援してくださるファンの方も増えてきています。
そしてST-Qクラスの盛り上がりによって、単に楽しいレースだけではなく、自動車産業の一員として果たす役割も見えてきている。
しかし、このレースの未来を考えたとき、次の段階を考えていかないといけない。それを、私一個人の小さな会社で運営していく体制でいいのか? そうした意識も、一方で感じ始めていて、ここ数年は、ずっと悩み続けておりました。
おかげさまでスーパー耐久は、30年以上の歴史を積み重ねてまいりました。このレースが守っていかねばならないことはなにか? それを守りながらも、関係しているすべての方に、このレースを通して未来を感じていただくにはどうしたらいいのか? そうして悩んでいたときに、私の頭の中に浮かんだ方はモリゾウさんしかいませんでした。
スーパー耐久は、とても純粋でまっ直ぐなレースです。このレースを、ゆがまずに、真っすぐ、成長・発展させていくために、ご相談できる方は、ただお一人しかいませんでした。
そんな相談をしていいものか迷いましたが、モリゾウさんは私の思いを聞いてくださいました。私一個人の感覚ですが、お金や名誉のためだけに仕事をする方には相談できません。モリゾウさんが、このレースでやってきたことを見ていて、そうではないと確信できていたから、相談したかったのだと思います。
私が相談したとき、モリゾウさんの第一声は、「どなたかほかの方に、このことはお話されましたか」というものでした。もちろんどなたにもご相談をしていませんでしたので、その旨をお伝えしましたところ、「みなによいような形になるように考えてみます」とおっしゃっていただきました。
その様な経緯で、モリゾウさんと相談を進めて参りました。
豊田章男氏あいさつ
日本にはSUPER GT、スーパーフォーミュラ、スーパー耐久とスーパーと名のつくレースが3つございます。そのスーパー耐久を構築したのが、先ほどお話に出ました全事務局長の桑山充さんでした。充さんは2つの大切な思いを込めてスーパー耐久の理念を作られたそうでございます。一つは、草の根の参加型レースであり、割り勘レースであるということ。もう一つが、開発を通じて自動車産業の発展に貢献するというものです。先ほどもお話のとおり、2013年からはこちらの桑山晴美さんが大変な決意でレースを引き継がれ、充さんの思いを大切に守ってこられました。
2020年にカーボンニュートラルという言葉が出てきたとき、水素エンジンをスーパー耐久の場で走らせて開発をもっと進めていくという話になり、相談させていただいたところ、即決でST-Qクラスを新設くださいました。
晴美さんが即決された背景には、充さんから引き継がれた自動車産業への思いがあったと思っております。先ほど桑山さんが意を決し、私に相談いただけたという話がございました。
確かにさっきお話されてたような会話をしたと思います。「ほかのどなたかにご相談されていますかと」私が聞きましたら、「いいえ、モリゾウさんに」と桑山さんはおっしゃられましたので、それであればとお答えさせていただきました。
そのとき私が思っていたのは、私一人であれば、気を回さずに動きやすいのではないかということでございます。桑山さんには夫が立ち上げたスーパー耐久を引き継ぎ何とかやってこられた。
引き続き技術を磨く場として社会課題解決に貢献できる場にしていきたい、もちろんS耐を楽しんできたというエントラントにももっと楽しんでいただける場にしたい、でも体制を強化しないと難しい、そんな本音をお聞きし、そのお悩みにどうお答えできるのか、社内で相談してみますと、OEM連合(自動車製造会社連合)で引き受けてはどうかという話も出てまいりました。
しかし、このときに思いましたのは、モーターショーとオートサロンの違い。スーパー耐久はどちらかというと、オートサロンです。OEMが前面に出るのではなく、業界550万人みんなで作っていくレース。クルマ好き、運転好き、そしてチューナーの方々、メカやエンジニアなど、多様な方々が参加できる枠組みを残していくことが一番大切なんじゃないかと考えました。
こうした考え方を「この指とまれ」と、いろいろな方にお話してみたところでございます。ごらんの各社のみなさまに手を挙げていただいて本日に至ったというわけでございます。桑山さんからは、「この草の根レースを日本だけではなく世界を広げていきたい。とくにアジアへ」という思いもうかがっておりました。
私自身昨年は、フィリピン、台湾、タイなどアジアの国々へ参りまして、各国にいるクルマ好きたちの熱を体感してまいりました。
スーパー耐久を海外で開催するというものも考えられますが、逆にアジアのクルマ好きたちが日本のスーパー耐久に出たいと思えるようなレースにしていくというものもよいのではないかと話しております。
そんな新たなスーパー耐久は、みんなで新しい未来を目指していくという意味を込めまして、団体名をスーパー耐久未来機構に変更いたします。
(スーパー耐久機構の)略称のSTOは、未来の「M」を入れてSTMOとさしていただきます。一緒に日本の自動車産業を盛り上げていく。そしてモータースポーツ業界の明るく楽しい未来を作っていきたい。このMには、自動車産業にとってこんなにも素晴らしい場を作ってくださった創始者「充さん」へのリスペクトの気持ちも込めさせていただきました。
このレースがあればクルマ好きたちが一つの仲間となり、未来を作っていくことができると思っております。STMOをよろしくお願いいたします。以上です。