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トヨタ博物館、元スカイラインGT-R開発責任者の渡邉衡三氏による特別講演会開催

2026年5月16日 開催
トヨタ博物館で開催された特別講演会に登壇した元スカイラインGT-R開発責任者の渡邉衡三氏

 トヨタ博物館(愛知県長久手市)は5月16日、「第2回 Classic Car Meeting '80-'90年代の日本車~part2~」を開催。同イベントの中で、日産自動車で第2世代「GT-R」と呼ばれるR32、R33、R34「スカイラインGT-R」の開発に関わった渡邉衡三氏をゲストに迎えた特別講演会が開催された。

 特別講演会はトヨタ博物館で7月12日まで開催している企画展「熱狂を生む技術者たち-'80-'90年代 日本のクルマとオートバイ-」の関連イベントとして開催された。

 企画展は1980~1990年代の日本車をテーマに、その時代の若者を熱狂させた魅力あふれるクルマとオートバイを集め、当時の車両開発に関わる“中の人”=技術者に焦点をあてて紹介しようというもの。

 特別講演会は、トヨタ博物館館長の榊原康裕氏が今も多くの人々を魅了している人気車種の開発に携わった技術者に当時のエピソードなどを聞くもの。記念すべき第1回のゲストとして登壇した渡邉氏からは当時の開発の舞台裏や今だから言えるエピソードなどが明かされた。

「第2回 Classic Car Meeting ’80-’90年代の日本車~part2~」会場を訪れた渡邉衡三氏(左)と、トヨタ博物館館長の榊原康裕氏(右)

「レースで勝つ」を目標に定めたR32 GT-R

シルビアのパーツで偽装されたR32 GT-R開発車両の写真も公開された

 1973年に誕生した2代目GT-R(KPGC110型)以来、16年ぶりに復活した「GT-R」として、今もなお伝説的に語り継がれるR32型スカイラインGT-R。当時、実験主担として開発現場を指揮していた渡邉氏だが、そのスタートは上司との激しい衝突から始まったという。

 当時の商品主管だった伊藤修令氏が掲げたコンセプトは「究極のロードゴーイングカー」。しかし、あまりに欲張りな目標だったため、渡邉氏は「レースで勝つ」という明確な1点に目標を絞ろうと提案した。

 ところが渡邉氏の提案に対して、直属の上司である実験部長からは「工数がないときにそんなクルマをやってんのか。レースで勝つんなら、いわゆる種車でいいんだ。必要最小限で工数をかけろ」と大反対される。

 ここで手を抜くわけにはいかないと、渡邉氏は1時間にわたって論破を試みた。その結果、実験部長から放たれた言葉は「そこまで言うんなら、もうお前勝手にやれ、俺は知らん」。

 渡邉氏は「ここで出世の道が絶たれた……。そういうことで。まあ、では勝手にやります」(会場大爆笑)と当時を振り返った。

 そこからR32 GT-Rは、4輪駆動(アテーサE-TS)の採用などグループAレースで勝つためのクルマに仕上げられ、結果としてR32 GT-RはグループAレースで29連勝という偉業を成し遂げるとともに、販売面でも目標を大きく上まわる大ヒットを記録することになる。

 渡邉氏は「実験部長とケンカしたのと、伊藤さんに(発売を)3か月ずらしてもらうということを承認させたことで、もう仕事は終わったようなもんですよね。あとはもう楽しく目標性能を追っかけるだけで、原価がかさめば“それは商品主管の仕事でしょっ”て言って、全部、楽しいことだけやらせてもらいました」と振り返った。

R32 GT-R開発のポイント
当時の日産社内では、Be-1の成功に対する対抗心から901活動につながっていったという

「ニュル8分を切れ」の命令を飲み込んだR33 GT-R

 大成功を収めたR32のあとを引き継ぎ、R33型では商品主管に就任した渡邉氏。最大のライバルは「R32 GT-R」そのものだったという。

R33 GT-R開発のポイント

 33型GT-Rの開発にあたって、ニュルブルクリンクの目標タイムを検討していた際、渡邉氏はR32のタイムから算出して「8分3秒くらいかな」と予測し、当時の商品本部長に報告した。

 すると、本部長から返ってきたのは「お前馬鹿か」の言葉とともに「8分を切れ」との命令。本部長の言い分としては、買い物に例えて「サンキュッパ(3980円)と4000円を超えるのではイメージが違うだろう」ということ。

 渡邉氏は「8分3秒行くんだったら7分59秒、8分切れってめちゃくちゃなことを言うわけですよね」と当時のプレッシャーを語る。悩む渡邉氏の頭にあったのは、先輩エンジニアが授けたアドバイス「できません、と言うのは時間の無駄。とりあえず『できます』と言って帰ってこい」というものだった。

 渡邉氏は「『できません』って言ったら上司は絶対『できるだろ』って言って、その不毛の議論が始まる。そんなこと言うんだったら、もう『できます』と言って帰ってこいと。で、できなかったら『ごめんなさい』と謝れ。命までは取られない……大人の知恵です(笑)」とその命令を飲み込んだことを話した。

 腹をくくった開発陣は、見事にニュルブルクリンクで7分59秒を叩き出すことになる。

「究極のドライビングプレジャー」を目指したR34 GT-R

トヨタ博物館に展示中の日産「スカイライン GT-R VスペックII」(2000年)

 第2世代GT-Rの集大成となったR34型。ここではタイム以上に走る楽しさ「究極のドライビングプレジャー」をいかに数値的、物理的に表現するかを模索していたことなどが語られた。

 実はR34型GT-Rの開発においてやり残したこととして、開発陣は2ペダルATとして「トロイダルCVT」の搭載を検討していたという。日産の中央研究所が開発していた「トロイダルCVT」を使い、電子制御で疑似マニュアルシフトもできる仕組みを開発。当時フェラーリのパドルシフトが話題を呼んでいたこともあり、「じゃあ8速にしろ」と試作を重ねた。テストの結果は抜群で、外部の評価者からも「日産自動車を救う救世主になる」と絶賛されたが、「トロイダルCVT」の市販化はY34型セドリック/グロリアやV35型スカイラインに譲ることとなる。

 渡邉氏は「一番惜しかったのは、GT-Rはカタログ表示280馬力のクルマですけども、だいたい皆さんチューニングされて、場合によっては雑誌を見ると1000馬力とかね、そういう風にして乗っておられるので。トロイダルCVTを付けたらそこまでのトルクを受け持つ容量はないんで、大クレームになっただろうなと思って。まあ、それはよかったかなという負け惜しみがあります」と話していた。

R34 GT-Rの開発のポイント

「楽しくなければクルマじゃない」の思いをカタチにした第2世代GT-R

特別講演会の会場

 最後に、榊原館長から「第2世代GT-Rの開発が自動車業界に残したもの」を問われると、電子制御の使い方やタイヤの基準、運動性能評価体制に影響を残したことなどが語られた。

 そして、自身のキャリアにおける第2世代GT-R開発に対する思いについて、渡邉氏は「スポーツカーが大好きで、いずれはF1でセンターポールに日の丸を掲げたいと思っていたんですけれども、目指すところは違ってしまいましたし、姿形はスポーツカー大好き少年が思い描いていたものとはちょっと違ったかもしれませんが、自分の“楽しくなければクルマじゃない”という思いを実現させてもらった、そういうクルマだなと思っています」と話した。

 また、自動運転や電動化が進む現代に対する思いとして、渡邉氏は「乗っている人の印象に残らないスムーズな運転が究極の自動運転だとすると、それを実現するためには、ものすごい精度の高い基盤技術が必要」と説いた。

 渡邉氏は「例えば新幹線だと、フラットな長い継ぎ目のないレールだとか、ミクロンオーダーか10ミクロンオーダーの真円度の車輪だとか、空力の技術だとか。その基盤技術の高さと、速さ・安さがないと、やはり日本の自動車メーカーは負けちゃうんじゃないかなと思います」などと話していた。

1980‐1990年代の若者を熱狂させたクルマやバイクがトヨタ博物館に集結

企画展「熱狂を生む技術者たち-'80-'90年代 日本のクルマとオートバイ-」の会場

 企画展会場には、渡邉氏が手掛けた日産「スカイライン GT-R VスペックII」(2000年)のほか、マツダ「サバンナ RX-7」(1985年)、ユーノス「コスモ」(1990年)、ホンダ「NSX」(1991年)、トヨタ「スープラ」(1993年)、三菱「GTO」(1996年)、スバル「レガシィ ツーリングワゴン GT-B」(1997年)が展示される。

 展示車両は国内自動車メーカーだけでなく、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキといったオートバイメーカーも含め、8社の協力を得て、同館として初となる本格的な四輪・二輪の同時展示となっている。

 なお、2026年6月6日13時~14時には、元マツダでNDロードスター開発責任者の山本修弘氏をゲストに迎えて第2回特別講演会を開催予定となっている。

企画展「熱狂を生む技術者たち-'80-'90年代 日本のクルマとオートバイ-」の展示車両