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タミヤ、「Honda NSR500 '84 トークショー」を開催
12月22日発売の1/12 NSR500 '84の魅力を宮城光氏が語る
(2012/12/21 14:03)
タミヤは、12月22日に1/12「NSR500 '84」を発売する。それに先駆け8日に、オフィシャルショップ「タミヤ プラモデルファクトリー新橋店」にて、元ホンダのワークスライダーであり、Moto GPの解説でも知られる宮城光氏を迎え「Honda NSR500 '84 トークショー」を開催した。
ホンダ初の2ストロークレーシングマシンとなったのが、世界グランプリの500ccクラス(GP500)に投入したV型3気筒のNS500。フレディ・スペンサー選手の駆るNS500は1983年シーズンの世界グランプリにおいて、ケニー・ロバーツ選手の駆るヤマハのV型4気筒マシン「YZR500(OW70)」と激闘を繰り広げ、シリーズチャンピオンを獲得した。この1983年は、マンガ「バリバリ伝説」のヒット、そして平忠彦選手や、宮城光選手などスターライダーの登場により一気に日本でバイクブームが巻き起こった。とくに宮城選手は、日本のGP250、F-3(400cc)チャンピオン、鈴鹿4時間耐久レース総合優勝と大活躍だったのを覚えている人もいるかもしれない。
翌1984年にホンダが4気筒化して投入したのが模型化されたNSR500になる。NSR500という名前はホンダのレーシングマシンの代名詞となっているが、1984年がデビューイヤーとなっていたわけだ。
宮城氏はトークショーにおいて当時の思い出を披露。1983年シーズンに投入したNS500は3気筒のためエンジンのかかりがよく、押してエンジンをかけるスタート方式を採っていたグランプリレースを有利に戦えたと言う。低速コーナーはスペンサー選手が速かったものの、4気筒マシンであるYZR500は直線が速く、圧倒的なスピードを実現するために4気筒化されたNSR500が投入された。
この初代NSR500は、通常のオートバイとは異なり、燃料タンクをエンジン下に、排気管(2ストロークエンジンの場合、排気の際の脈動効果を利用しているため「チャンバー」と呼ばれる)をエンジンの上に配置している。これについて宮城氏は、最高速の速いヤマハの4気筒マシンに対抗するためにホンダも4気筒化したのだが、「ほかと同じ形状にするのはホンダのエンジンニア魂が納得しなかった」と解説。同様のレイアウトのマシンも過去にあったが、ホンダという大メーカーが2ストロークマシンで採用したのがトピックだったとのことだ。
このトークショーには、模型の設計者でもあるタミヤ 企画開発部第二課の海野剛弘氏も途中から参加。独特のレイアウトのマシンであるため昔から模型化したかったとのことで、やっと会社の許可が出たとのことだった。資料などは昔から集めていたが、模型化するにあたって改めてホンダを取材。その際の写真などが披露された。
とくに海野氏がこだわって語っていたのが、車体下部にある燃料タンク正面の造形。このような個所の写真はオートバイ関連誌でもほとんど公開されておらず、貴重な写真が次々に画面に表示された。
宮城氏は、このように見えないところが見えるのが模型の魅力だと言い、NSR500を駆った「フレディ・スペンサーの思いとともに体感してほしい」と1/12のNSR500を紹介した。
このトークショーの模様は、「USTREAM TAMIYA LIVE(ユーストリーム タミヤライブ)」(http://www.ustream.tv/recorded/27571789)で公開されているので、細部まで作り込まれた1/12NSR500と、宮城氏の経験に裏打ちされたトークを楽しんでいただきたい。
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