【連載】橋本洋平の「GAZOO Racing 86/BRZ Race」奮闘記

第18回:東京から約1200km離れたオートポリス戦、過去最高の2位に

 自宅から約1200km西にある大分県のオートポリスが舞台となる今回のGAZOO Racing 86/BRZ Race。昨年はすべての行程を自走で走り、総走行距離は3300kmに達してしまった。初めてならそれも楽しんでいられたが、2年目ともなると移動距離とその時間を知っているだけに、気分は萎えてくる。たった1人でそれをこなすのは、ハッキリ言って修行である。普段ならメカニックさんが運転するサポートカーが並走しているが、それも今回はナシ。スケジュールもコストも折り合いが付かなかったからだ。

 だからあらゆる手段を考えた。友人を巻き込んで運転させていくこと、さらには陸送会社に依頼して運んでもらう方法等々……。だが、そのどれも上手く行かず。友人のスケジュール、そして陸送運賃が目の前に立ちはだかってしまう。

 そこで今回は神戸~大分を繋ぐフェリーに乗って、少しは楽をしようと考えた。レース前に疲れ切ってしまっては勝負にならないからだ。一気に自走して大分で練習日前日に宿泊することを考えれば、それほどコストアップになることもない。冷静に判断しているようだが、実はこのルートを考え付いたのは出発日前日深夜。相変わらずバタバタである。

 そう思いついたらあとは実行するのみ。出発日の朝イチに、前にも乗ったことがある「さんふらわあ」の予約センターに電話。すると、ラッキーにも空室があるという。さらにツイていたのはインターネット予約ではなく、電話予約の場合、JAFの会員なら30%OFFになるというのだ。これはまさに渡りに船! というわけで、東京をお昼前に出発し、神戸港に夕方着。この時点で86のトリップメーターは543kmを示している。およそ半分の走行距離で九州入りできるなら、クルマだって幸せなはず。86もドライバーも、フェリーでゆっくり休息を取り、大分入りしたのでありました。

行きの神戸港でパシャリ
行きの明石海峡大橋はライトアップされて綺麗でございました

コンピュータをリセット、足まわりのセッティングも変更

 明朝6時30分。いよいよ九州上陸。あとはオートポリスを目指すのみだ。練習走行が開始になるのは9時。カーナビによれば、目的地までは2時間だから何とかギリギリでたどり着くか……。コンビニで朝ごはんを購入し、おにぎりを頬張りながら、景色に目もくれずに淡々と走って行く。

 おかげで練習走行の30分前にオートポリスに到着。スペアタイヤをはじめとする荷物を降ろし、レーシングスーツに着替え、走行券を買いに行って何とか走行に漕ぎ着けた。いま振り返ってみても汗ばんできそうなこのスケジュール。このギリギリ感がたまらない(笑)。

 そんなこんなでようやくコースを走り出す。雄大な阿蘇の山間にあるオートポリスは、久々に走ってみるとやはり難しい。名物のジェットコースターストレートは、4速で進入して行くコーナーがその後に控えるチャレンジングな場所。その後の登り区間も、上手くトラクションを入れて行かなければ失速してしまう難所。1周を上手くまとめて走ることがなかなかできない。1本目の走行ではまだまだ満足の行く結果が得られない状況だった。

 その後行われた2本目の走行は、参戦しているクラブマンクラスのみの占有走行で、ライバルとのタイム差もきちんと表に出てしまう。そこで頑張らねばと、プレッシャーがかかってくるから厄介だ。

 この走行前には、実はコンピュータのリセットを行った。街乗りばかりしているクルマの場合、その状況がコンピュータに記憶されていて、サーキットな頭になってくれないのだとか。嘘かまことか分からないが、まわりが言うのだからやってみる。フェリーを使ったとはいえ、650km以上を走ってきたのだから、リセットをやっておいて損はないだろう。さらに先ほどの走行で得た感触をもとに、足まわりのセッティング変更もやってみる。少しでもよくなればと藁をもつかむ思いでクルマをイジり始めたのだ。とはいえ、これらの作業は現地でメンテナンスをお願いしたターマックプロレーシングチームによるもの。S耐の合間を縫ってお手伝いしていただいたおかげで、色々と策を練ることができたのである。本当に1人なら、ここまですることはできなかっただろう。

 結果としてシャシーの印象はかなり改善。だが、コンピュータをリセットしたおかげでとにかくストレートが遅い。練習走行の30分を走り切って、ようやくクルマが「サーキットにきているのか」と判断してくれるくらいの状況らしいので、それも仕方がない。

 クルマの状況を考えれば、そこでタイムが出ないのは当たり前。だが、コース上でランキング上位の遠藤選手や小野田選手と出会ってしまうと、ストレートが遅いことは頭からすっ飛んでしまう。彼らの前に出れば、少しでも引き離してやろうなんて頑張ってしまうから始末がわるい。

 そんな状況で事件は起きた。名物のジェットコースターストレート後のブレーキングで失敗。オーバースピードのままグラベルまで飛び出す失態をやらかしてしまったのだ。クルマはまるでラリーカーのように飛び跳ねながらグラベルと芝生を走行。そこでブレーキダクトを失い、さらには左フロントのインナーフェンダーもその後飛ばしてしまった。結果として練習走行中のタイムは4番手。上位2台はいつものメンツだが、3番手には地元のドライバーが食い込むことに。いやな展開の始まりだ。

 その後は落としてしまったブレーキダクトとインナーフェンダーをコースマーシャルに拾ってもらい、自分のピットに持ち帰ってきた。所々割れや裂けてしまったところが痛々しいが、メカニックさんがドリルとタイラップを上手く使って修復してくれた。パーツはまるでフランケンシュタインのようだが、機能上は問題がなさそうなレベルになった。

落としてしまったブレーキダクト(写真左)。ブレーキダクトとインナーフェンダーはメカニックさんがドリルとタイラップで修復。まるでフランケンシュタインのよう!?
余談ではありますが、ブレーキダクトは予選時に落っこちてしまったため予選後に現地で新品を購入することに。装着しないとレギュレーション違反になるのです。ちなみにお値段は1万800円
第5戦オートポリスのフリー走行時の様子

予選は2番手。だが……

 翌日の予選当日は、前日のいやな思いを忘れ、とにかく慎重に走りをまとめることだけを考えて走行した。すると、アタック直後に“シャー”という聞き慣れない音が……。窓はすべて閉まっているし、はて??? 一度ピットに戻って見てもらおうかとも考えたが、クリアラップを得ようと2分ほど経過してから走り始めていただけに、まずはアタックラップを行おうと考えた。とにかく慎重に走りをまとめようと走った結果、まずはトップタイムをマーク! その後ピットに滑り込む。

 すると、メカニックからはこんな答えが。「ブレーキダクトを引きずって走っているよ! もう半分以上すり減ってなくなっている」。だが、僕は間髪入れずにこう言った。「すぐに引きちぎってもう1回アタックさせて!」。その時点でトップはランキング1位の遠藤選手に奪われていたからだ。20分しかない予選はバタバタだ。

 修復を終えたクルマは何の音もなく走り始めた。これならストレートの抵抗もなさそうだ。アタックを始めればセクター1もセクター2も自己ベストを大幅に更新。セクター3をまとめれば……。そう思った時、今回初参戦だというクルマと遭遇。あわや接触するシーンもあり、THE END。予選は2番手で終えることになってしまった。

 それにしてもポールポジションを獲得した遠藤選手の速さはかなりのものだ。ほぼ直線区間が続くセクター1では0.5秒もの差を付けられており、最終的には0.9秒もの差が付いている。もしも自分のセクターベストを繋げたとしても、ポールポジションは不可能だったことが分かった。クルマは完璧なまでに整備した上で、積載車で移動して温存。そして自身は同日開催のS耐2クラスでランサーに乗り参戦。コース習熟が早まっていることも遠藤選手の速さに繋がっているのだろう。2位とはいえ、ハッキリ言って完敗である。

残りわずかで逆転に成功

 だが、レースになれば分からない。そう己に言い聞かせ、翌日の決勝レースに挑む。スタートさえ決めて前に出てしまえば……。少しでも勝利への可能性を求めてレッドシグナルの消灯を待つ。すると、その思いが届いたのか、1速の蹴り出しは遠藤選手よりも速く、その差は少し縮まる。少しでも真っ直ぐ走り、1コーナーまで効率よく加速しようと心掛けた。けれども、その考えがそもそもの間違えで、3番手の小野田選手が間に割り込んでくるから厄介だ。1コーナーは並んで入り、2コーナーでインを突かれて3番手に落ちてしまう。まずはポジションキープを考えて、スタート直後は小野田選手をブロックすべきだった……。

スタート直後。1番手の遠藤選手に気を取られ過ぎで3番手の小野田選手に抜かれる始末。まだまだ修行が足りませぬ

 その後はトップが離れ、小野田選手と連なって走行を続ける。真後ろに付けているせいか、後ろを気にしてペースが上がらない小野田選手。遠藤選手とはジワリと差がつき始めてしまう。だが、こちらも前を刺せるほどの速さはない。拳を上げて小野田選手を応援し、何とかペースを上げてもらおうとした。その願いが叶ったのか、それとも遠藤選手のペースが落ちてきたのか定かではないが、レース終盤は3台が数珠繋ぎ状態に。僕は後でできるだけタイヤを温存して、前がやり合った時にチャンスを伺おうと狙っていた。

 だが、そう簡単に好機が訪れない。このまま終わりかな? そんなことを思い始めたラスト1ラップ半。前に初参戦のドライバーが乗る周回遅れのマシンが見えてきたのだ。あの86が何かのきっかけになれば……。そこしか拠り所はない。

 そしてセクター3の登り区間でチャンス到来。遠藤選手はスッと周回遅れをパスしたが、小野田選手はアウト側に周回遅れのマシンがいたためにブレーキングでミス。インがガバッと空いた状態になったのだ。そのコーナーは3速ホールドのまま立ち上がっていたのだが、この時とばかりに2速に叩き込んでインを突き、小野田選手をパス。2位に復帰することができたのだ。

 残り1周、前を行く遠藤選手は目の前。「これはイケるかも!」と盛り上がったが、相手もベテランドライバー。そう簡単に譲ってはくれないし、ミスもしない。さらには真後ろに小野田選手がピタリとマークしている。間に挟まれた2番手は、仕掛けたら刺されるかもしれない厄介な順位だ。残り1周ではチャンス到来とはならず、結果は2位で終わってしまった。

 準優勝なら喜ぶべきなのだろうが、やっぱり悔しさが残る。次こそは……。まるで合言葉のようになってしまったが、次回行われる第6戦十勝スピードウェイまでに、あらゆる部分を見直してみたいと思う。

最後の最後まで頑張ったものの、1位には届かず。でも過去最高順位をマークできたのでありました
クラブマンクラスの表彰台はブリヂストン勢で占められた。個人的には今回エントリーした人のなかでもっとも遠くからきた人に贈られるグッドトリップ賞(次戦のエントリーフィーが無料になる。1人あたり1シーズンに1回のみ)をいただくことができたので、帰りもフェリーを使うことを決意できたのでした。次戦の第6戦十勝スピードウェイは8月23日に開催。次こそは!
帰りは別府港から。出航は18時50分だが、サーキットで後片付けとかしていると時間にまったく余裕ナシ。帰りの乗船も結局ギリギリになったのでした
帰りの明石海峡大橋
別府~大阪間のフェリーで朝日を望む
せっかくの大阪ということで食いだおれビルの前で記念撮影。誰かにそっくりといわれる食い倒れ太郎と写真を撮ろうと思ったのに、10時にならないとこない(?)らしい

Photo:高橋 学

橋本洋平

学生時代は機械工学を専攻する一方、サーキットにおいてフォーミュラカーでドライビングテクニックの修業に励む。その後は自動車雑誌の編集部に就職し、2003年にフリーランスとして独立。走りのクルマからエコカー、そしてチューニングカーやタイヤまでを幅広くインプレッションしている。レースは速さを争うものからエコラン大会まで好成績を収める。また、ドライビングレッスンのインストラクターなども行っている。現在の愛車は18年落ちの日産R32スカイラインGT-R Vスペックとトヨタ86 Racing。AJAJ・日本自動車ジャーナリスト協会会員。