自動車研究家“山本シンヤ”が聞いた「MORIZOがニュル24時間へ挑む理由」

第9回:モリゾウが求めた「クルマを介した人と人の対話」とは?

アルファードV MZ “G Edition”(2002年)※画像はモリゾウの当時の愛車ではありません

 豊田章男氏がマスタードライバーの成瀬弘氏から運転訓練を受けた理由の1つは、技術屋ではない豊田氏が技術部と「クルマの話」をするための共通言語を得るためだった。しかし、実際はというと……。豊田氏は当時をこのように振り返る。

「以前、私のアルファードを成瀬さんに改良してもらいました。実際に号口(=トヨタでは量産車のことをこう呼ぶ)と乗り比べると走りが明らかに変わりました。そこで技術部に『良くなったから乗ってみてよ』と伝えると、『データでは変わりませんので』と断られました。『いやいや、乗ればわかるから』と言っても彼らは一向に『データでは変わりません』の繰り返し……。恐らく、私が“感性”で話をしているのに、技術部はそこを無視して“理屈”で返してくる。この時、いい、わるいの議論をする以前に、そもそも『会話が通じない』と感じました」。

 そんな状況に豊田氏は、技術部のことを「白い巨塔」と呼んでいた。白い巨塔とは故・山崎豊子の小説のタイトルで、大学病院の“権力闘争”と“腐敗”を描いたモノだ。豊田氏にはそれに似た感覚があったのだろう。

 実は筆者も当時のトヨタに同じような感覚を抱いたことがある。当時のトヨタ車を振り返ると、残念ながら「経済的/お買い得」という以外の記憶がなかった。つまり、それ以外の魅力は欠けていたというわけだ。

 トヨタには「原価低減」という天下の宝刀があるが、クルマの仕上がりを見る限りは「儲けるための手段」にしか思えなかった。その結果、トヨタには数値を追うが故にクルマに本当に必要な性能まで捨てたクルマばかりがあふれた。

 筆者はバブルの時期に「日本車は世界一になるかも!?」と夢を見たことがあるが、世界との差は縮まるどころか、むしろ引き離されているように感じていた。ある試乗会でそんな気持ちを正直にエンジニアに伝えると、このようなコメントが返ってきて、呆れた。

「お客さんはそこを見ていないので問題ない」「それをやるとコストが上がるので」「それって本当に必要ですか?」「数値では確実に欧州車を上まわっています」

 つまり、当時のトヨタは「いいクルマ」であることより「売れるクルマ」であることが重要だったのだ。

 当然、手間がかかる割には台数が見込めないスポーツカーはリストラ対象となり、2002年に「スープラ(JZA80)」、2005年に「アルテッツァ」、2006年に「セリカ」、そして2007年に「MR-S」が生産終了……。グローバルでフルラインアップを誇るトヨタからスポーツモデルが完全に消滅してしまった。それに伴い成瀬氏の出番も確実に減っていた。

2002年に生産終了した「スープラ(JZ8A0)」
2005年に生産終了した「アルテッツァ」
2006年に生産終了した「セリカ」
2007年に生産終了した「MR-S」

 そんな状況に疑問を持っていたのが、豊田氏だった。クルマは唯一“愛”が付く工業製品であり、このままではクルマは白物家電になってしまうという強い危機感があったのだろう。成瀬氏も「章男さんのモノづくりのこだわりは、英二さん(豊田英二:トヨタ自動車工業5代目社長)、章一郎さん(豊田章一郎:トヨタ自動車販売4代目社長、トヨタ自動車初代社長)と全く同じだと思いました。

 それは『儲かっているからいいでしょ』ではなく、『こんなクルマじゃダメでしょ』という危機感ですね」と語っている。

 その行動が2007年から始まったニュルブルクリンク24時間の挑戦につながるのだが、実はそれだけではなかった。その1つが「商品企画・評価試乗会」の開催である。

 このイベントはテストコースやサーキットでクルマの“性能”や“味”を知り、それを企画やクルマづくりに活かすというモノである。「自動車メーカーなのになぜ?」と感じる人もいると思うが、当時のトヨタのクルマづくりは会議室で行なわれ、机上検討が重んじられた。テストのための試作車の数は減り、中には試作ゼロでシミュレーションだけ……というクルマも生まれた。

 恐らく社内には「技術的には、クルマづくりの“手の内化”はできている」と考えていたのだろう。それは単なる思い込みだが、当時のトヨタは本気でそう信じていたのだ。

 豊田氏は成瀬氏と運転訓練を続けてきたことで、「大事なことは言葉やデータでクルマを議論するのではなく、実際にモノを置いて、手で触れ、目で議論すること」をリアルに実感していた。そこで解ったことの1つに「クルマを通じたコミュニケーションが大事」があり、早速行動を行なった……というわけだ。

 2005年7月に商品企画部で初の試乗会(ヤマハテストコース)が行なわれたが、この時豊田氏は「クルマに乗ってからだと、皆フランクに意見を言えますよね。役員も部長も担当者もない……。だから『クルマに乗って考えたい』のです」と語っている。このイベントは定期的に行なわれ、当時の資料を見ていくと、その後もスポーツ系試乗会、サーキット試乗会、ジャーナリスト試乗会、ホンダ車試乗会(!?)などなど、さまざまなイベントが開催されていた。まさにクルマを介した人と人の対話……豊田氏が求めていたモノだった。

 とは言え、巨大なトヨタの中ではまだまだ“草の根活動”に過ぎなかった……。

山本シンヤ

東京工科自動車大学校・自動車研究科卒業。自動車メーカーの商品企画、チューニングパーツメーカーの開発を経て、いくつかの自動車雑誌を手掛けた後、2013年にフリーランスへと転身。元エンジニア、元編集者の経験を活かし、造り手と使い手の両方の気持ちを分かりやすく上手に伝えることをモットーにしつつ、クルマの評論だけでなく経済からモータースポーツまで語れる「自動車研究家」として活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員、ワールド・カー・アワード選考委員、日本自動車ジャーナリスト協会会員。YouTubeチャンネル「自動車研究家 山本シンヤの現地現物」も運営中。