自動車研究家“山本シンヤ”が聞いた「MORIZOがニュル24時間へ挑む理由」

第12回:「スポーツ商品企画人材育成プロジェクト」として本格的に動き出したニュル24時間への挑戦

2007年にトヨタが挑んだニュル24時間レースに向けてのスケジュール。企画名はあくまで「スポーツ商品企画人材育成プロジェクト」だった(※画像は資料を基に編集部で制作したイメージ)

 GAZOO.comで2007年にニュル24時間挑戦に合わせて連載が始まった「モリゾウのドライバー挑戦記」。その第3回目でチームについてこのように記している。


 チームGAZOOのチームメイトは、レース経験こそ少ないサラリーマン集団ですが、いつもサーキット走行を一緒に楽しんできた気心知れた仲間たちです(仲間たちというよりおっさんたちか……)。

 チームメンバーにはいろいろな役割があります。ドライバー、メカニックはもちろん、レース出場の諸手続きをやる人、現地での食事の手配、移動の手配をする人、それらを取りまとめる監督さん、などなど多くのスタッフの力が必要です。

 もちろん、それぞれのスペシャリストをお金で雇うこともできますが、今回は、できる限り普段一緒に走っている仲間たちでいろんな役割をこなしていこうということになりました。ドライバーだけでなくメカニックもほとんどが、クルマ好きの走行仲間でメカニックの経験はありません。

「ドライバーにメカニックができるの?」と思うかもしれませんが、みんなクルマはわかるし、仕事でクルマをいじっている人たちです。例えば、仕事がクルマの評価ドライバーだったりして……乗ってみて、不満な点に気づくと自分で直せる技を持ってたりします。

 モリゾー(注:当時はモリゾウではなかった)も、一応、ドライバーですが、ほかの役割も担えるようただいま猛勉強中です。


 この挑戦がトヨタの正式なプロジェクトではなかったことは、この連載でも何度もお伝えしている。そもそも当時F1に全振りだった社内には理解されず、反応は冷ややか。そのため、予算や人員をつけてもらえず、「資金はほとんどが豊田氏のポケットマネーだった」というのはトヨタイムズにも掲載されている。

 ところが、実際はちょっと違ったようだ……。

 実はニュル24時間の挑戦はドライバーやクルマづくりに関わるメンバーだけでなく、事務方のメンバーの影の力も欠かせなかった。当時を知る関係者の1人はこのように教えてくれた。

「私は豊田さんが行なった商品企画・評価試乗会(第9回を参照)を担当していたので、その成り行きでニュルのプロジェクトに関わるようになりました。ただ、心の中では『これは大仕事になるぞ』という思いはありました。私はクルマ好きでトヨタに入社しましたが、社内ではそれを言っても響かず……。ただ、このプロジェクトでは堂々と言えることがとても嬉しかったですね」。

「私が所属してたのは小さい部でしたので、本業をやりながらコッソリと進めていました。同じ部のメンバーから『あいつ、何やっているんだ?』と言う声もありましたが、理解ある上司は応援してくれていました」。

「ただ、やるとは言ったもののレースはお金が掛かるので、それをどう工面するかは最大の悩み所でした。もちろん当初は『技術部の予算を』とお願いにも行きましたが、当然のことながらダメでした……」。

 しかし、ここで簡単に諦めないのがトヨタマンである。そもそもニュル24時間の挑戦は「過酷なレースを通じて人とクルマを鍛え、そこで得た知見やノウハウをもっといいクルマづくりにフィードバックさせる」だ。そこでこのプロジェクトを商品評価の延長線上にある……つまり“人材育成”ために欠かせないモノだと考えたのである。

 そこで浮かんだのが「スポーツ商品企画人材プロジェクト」。要するに、トヨタはスポーツモデル強化が必要→そのためには“走り”を評価する人材を育てなければならない→その目標の1つがニュル24時間レースの完走→そのための教育訓練費が必要である……と。さらに企画書には「レースには参戦するが販促目的ではない」と。つまり、企業のPRのためではなく、リアルな開発のための参戦だということが明確に記されていたのだ。

企画書のタイトルは「スポーツ商品企画人材育成プロジェクトの件」と記されていた(※画像は資料を基に編集部で制作したイメージ)

 今のトヨタであれば極めて真っ当な話に聞こえるが、当時はウルトラCに近い裏技だったようだ(笑)。他の関係者は「いろいろ模索している中で、最後はこの方法しかなかった」と笑いながら語るが、筆者は「製品をつくる前に人を育てる」という方針で人材育成への投資を怠らないトヨタの盲点を突いた企画だと思う一方で、「このプロジェクトは“一発屋”で終わらせてはならない」という想いが込められているように感じた。当時は破天荒だったのかもしれないが、今思うと極めて正攻法な進め方だったような気がしている。

 ニュル24時間の挑戦は豊田氏と成瀬氏が発端でスタートしたが、社内にはさまざまな分野でそれをバックアップする“サイレントマジョリティ”が少ないながらも存在していたのである。

山本シンヤ

東京工科自動車大学校・自動車研究科卒業。自動車メーカーの商品企画、チューニングパーツメーカーの開発を経て、いくつかの自動車雑誌を手掛けた後、2013年にフリーランスへと転身。元エンジニア、元編集者の経験を活かし、造り手と使い手の両方の気持ちを分かりやすく上手に伝えることをモットーにしつつ、クルマの評論だけでなく経済からモータースポーツまで語れる「自動車研究家」として活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員、ワールド・カー・アワード選考委員、日本自動車ジャーナリスト協会会員。YouTubeチャンネル「自動車研究家 山本シンヤの現地現物」も運営中。