自動車研究家“山本シンヤ”が聞いた「MORIZOがニュル24時間へ挑む理由」
第14回:なぜ「レクサスIS250」は2008年のニュル24時間に参戦しなかったのか?
2026年3月6日 00:00
2007年のニュル24時間では、中古車のアルテッツァがベースの2台のレーシングカーは満身創痍ながらも完走。当時のメンバーは「完走は奇跡」と振り返っている。
その1年後、モリゾウは再びニュルの地にいた。GAZOO.com「モリゾウのドライバー挑戦記」で、そのことについてこう語っている。
「再びこのニュルブルクリンクの地に帰ってきました。昨年、トヨタは70周年をむかえると同時に、トヨタモータースポーツ50周年という記念すべき年でした。その華々しい節目の年に、GAZOO Racingの活動が産声をあげました。
昨年はこのニュルブルクリンク24時間レースに出場し、最大の目標である“完走”という偉業を、未経験者のメンバーによる手作りのチームで成し遂げたことはとてもすばらしい事と言えると同時に、そこに関わる全員が感動を共有できたと感じております。
そして、今年も我々チームとしても、私自身モリゾウとしても、再びこの地に立ち、 この活動を継続出来たことには大きな意味があると思います」。
初年度は自らの手でレースに参戦することが主な目的だったが、2年目は新しい挑戦が行なわれた。それは「クルマの味探しの旅」だ。量産車をベースに味の変化を体感しながらカスタマイズを行ない、最終的に理想の味付けを見出そうというものだった。
「今回のチャレンジは、新たな50年のステップを踏み出したと言える。キャップ(成瀬弘氏)とモリゾウのチャレンジテーマは“味探しの旅”。GAZOOはトヨタで自分が作った場所であり、そして自分の“居場所”。そのGAZOOが今やレーサーモリゾウを支えてくれている」
マシンは中古のアルテッツァからレクサスIS250(イギリス向けの6速MT仕様)に変更。まずはロールケージやバケットシートなど、ルールで定められた安全装備やレース用スリックタイヤ以外は、サスペンション変更(車高ダウンとダンパー&スプリングのリセッティング)のみというライトチューニング仕様で5月10日に行なわれたニュル4時間耐久レース(VLN4)に参戦。ちなみにこのレースはニュル24時間の2週間前に行なわれることから、最終実戦テストとして参戦するチームも多い。
予選はクラス5位(総合182位)、モリゾウもタイムアタックを行ない、昨年のアルテッツァのほぼ同じタイムを記録。決勝は4時間をシッカリ走り切り、クラス2位(総合95位)を獲得した。
ちなみにこのIS250は、レースカーながらエアコンはもちろんオーディオも装着されていた。モリゾウは「ノーマルのクルマでも十分レースで走れるものだと改めて感心しました。初の試みであった『耐久レースにCD(音楽)』は気分が乗ってGoodです。エアコンは……かけてもあまり意味がありませんでした」と振り返っている。今では笑い話になってしまいそうだが、これも経験である。
当時のレポートには「大きなチャレンジではあるが、通過点に過ぎない」と書かれていたし、モリゾウも「次回の『味付け』をどうしようか考えています」と語っていた。その次=ニュル24時間だと思っていたが、IS250の参戦はこの1回のみだった。なぜ?
この真相を教えてくれたのは、モータージャーナリストの先輩でありレーシングドライバーの佐藤久実氏だ。このプロジェクトのチーム紹介に「2007年に結成された『Team GAZOO』から選ばれた5人のドライバーに“助っ人クミさん”を迎えて挑戦」とあるが、このクミさんが佐藤氏であった。
「もちろんニュル24時間に参戦するつもりでしたが、何とマシンのレギュレーションに適合していない事が判明……。今では『えーっ、ありえない!!』ですが、レギュレーションをしっかり理解できる人がいなかったのでしょう。昨年参戦したとは言っても、レースに関してはまだまだ初心者集団でしたね」
個人的にはIS250がどのように進化していくかを見てみたかったが、モリゾウの「しばらくそのレシピ(=セットアップ)はナイショにします」は、その後の量産車にどのように活かされたのか? 気になる所である。
その代わり……ではないが、2008年のニュル24時間に表れたのは「Team LF-A」と呼ばれる謎の集団と艶消し黒のボディカラーのマシンであった。実はこのマシンでの参戦を決めたのは豊田氏だった。




