自動車研究家“山本シンヤ”が聞いた「MORIZOがニュル24時間へ挑む理由」

第22回:成瀬氏の意思を引き継ぎ動き始めた「凄腕技能養成部」

ニュル24時間の活動の根本にあるのは「もっといいクルマを作れる」人材育成にある

 成瀬弘氏の告別式の場で豊田章男氏は、ニュルでの活動の解散宣言を行なった。しかし、こうも語った。

「やりたいと思う奴だけでいい、付いてきてほしい」

 再び立ち上がったこのチームは、やがて2015年、正式な社内組織として結実する。

 それが 「凄腕技能養成部」 である。

 部署の枠やしがらみを越えてクルマの味を鍛え上げる組織。現在の組織上の部長はGRヤリスの評価を担当した豊岡悟志氏だが、「本当の部長」を務めているのは他でもない、マスタードライバーのモリゾウこと豊田章男氏自身だ。

 成瀬氏がまいた一粒の種から始まった評価ドライバー育成の系譜は、いかにしてトヨタ全体のクルマ作りを刷新する一大潮流へと育ったのか? ここでは、その生い立ちと知られざる役割を紐解いていきたい……。


モータースポーツこそクルマの極限を知る最良の現場

 凄腕技能養成部の源流をたどると、1970年代にまでさかのぼる。クルマの高性能化・高速化が急速に進む中、限界域で安全に走らせてクルマを評価できる人間が社内におらず、危険が伴うようになった。そこで立ち上がったのが、レース部門(第7技術部)出身でもあった成瀬弘氏だ。

「走れる人間がいなければ、評価もクルマ作りもできない」

 成瀬氏の先見の明によって運動性能を見る選抜部隊、通称 特A(特別Aチーム) が結成された。

「走るだけならいくらでもいる。わしらはレーサーではない」

 これが当時の合言葉だった。単に速く走るのではなく、「速く走った上で、クルマの良し悪しを的確に見極め、言葉にして改善につなげる」こと。教える先生もマニュアルもない時代、成瀬氏を筆頭に日本各地のサーキットへ出向き、タイヤの限界を身体で覚えた。それだけでなく、車両製作、整備、走行計画の立案から現場運営に至るまで、すべてを自分たちの手で泥臭くやり抜いた。

 当時の車両試験部は、間隙干渉からゼロヨン、燃費、ブレーキフェード、NVH(音振)までを1つの部署が受け持つ「何でも屋」だった。この時代に結果としてえ培われた「クルマ全体を丸ごと見て語る」スキルこそが、後に凄腕技能養成部の強固な土台となっていった。

限られた時間の中で、最善の判断を行ない、的確な作業が求められる

 その大きな転換点となったのが、1990年の80系スープラ開発によるニュルブルクリンク詣だった。欧州の険しい道と本場のスポーツカーを目の当たりにし、評価技術の基準は一気に引き上げられた。2000年ごろには、過酷なニュルのメーカー占有走行枠を単独で安全に走りきれる社内最高峰の評価ドライバー制度(通称:TD制度)が確立される。

 一方で、1995年ごろから社内である課題が浮き彫りになっていた。「同じトヨタ車なのに、担当するチーフエンジニアによってステアリングの重さも操縦性の軸もバラバラではないか」という疑問だ。トヨタとしての共通の「味」の軸を持たせるため、運動性能を知る者が横断的にチェックする「監査体制」の構想がスタートした。

 しかし、設計部門をはじめとする既存の開発体制とのせめぎ合いの中で、組織は作られては消える試行錯誤を繰り返した。ある種、重役直轄部隊のような特命の立ち位置を維持しながら、約15~20年の歳月を経て結実したのが現在の「凄腕技能養成部」である。

もっといいクルマを作るために、モリゾウ氏が下山のテストコースで開発中に横転させてしまったGRヤリス

 現在、凄腕技能養成部は主に以下の4つのグループを中心に機能している。

FD(ファッシネイティブ・ドライブ)グループ

 各車種の開発ステップを横断してチェックする監査部門。味作りの先導役として、設計のしがらみにとらわれず直言する。

Nチームグループ

 GRブランドをはじめ、レクサスFや86などスポーツモデル全般の開発・チューニングを担当。

技能伝承グループ

 ニュル24時間レースの車両製作やメカニックを担当する若手技能者が所属。モータースポーツを通じて「クルマ全体を知る」環境を叩き込む。

ラリー参戦グループ

 全日本ラリー選手権やWRC(世界ラリー選手権)への挑戦を通じ、実戦で人を鍛える。

 部を貫く評価ドライバーの基本理念は「できる/わかる/言える」、 つまり限界域で運転が“できる”こと、挙動の理由が“わかる”こと、そしてエンジニアに向けて論理的に筋道を立てて言葉で“言える”こと。この共通言語があるからこそ、部署の壁を越えた本音のクルマ作りが可能になる。

成瀬氏と章男氏がまいた「人を鍛え、いいクルマをつくる」思想は、確実に次世代へと受け継がれている

 近年、この凄腕技能養成部の現場には、社内の評価ドライバーだけでなく社外のプロレーシングドライバーも深く参画。プロの役割は、極限状態での「破壊と改善」だ。テストコースの枠を超え、常用を超えるレースの極限領域まで追い込んで弱点をあぶり出す。

 ここで凄腕の評価ドライバーが果たすのが「高度な翻訳者」としての役割である。プロドライバーが発する研ぎ澄まされた直感的フィードバックを、社内の設計・実験部門が理解できる工学的な課題や数値へと変換し、開発現場へと落とし込むのだ。

 トップガンたちの量産・日常領域を見る眼と、プロの極限を見る眼。この両輪がそろうことで、誰もが扱いやすく、かつ走りの奥が深い「味」が研ぎ澄まされていく。モータースポーツの現場でクルマを丸ごと触り、泥にまみれて鍛えられた若手たちは、やがて設計や実験といった元の部署へと戻っていく。

 図面しか知らなかった若手が、「走りの言語」を身につけて現場の中枢となり、社内の空気を変えていく。成瀬氏とモリゾウ氏がまいた「人を鍛え、いいクルマをつくる」思想は、こうして確実に次世代へと受け継がれている。

泥にまみれて鍛えられた若手たちは、やがて設計や実験といった元の部署へと戻っていく

 そんな凄腕技能養成部のメンバーが、口をそろえる究極の目標がある。それは「自分たちの仕事がなくなること」だ。特別な組織が声を上げずとも、すべての開発者が当たり前のように「走りの味」と「クルマ全体」を語り、もっといいクルマを作れるようになる日を目指して……。

 本当の部長・章男氏率いる特命部隊は、今日も世界の様々な道の上でクルマと人を鍛え続けている。

山本シンヤ

東京工科自動車大学校・自動車研究科卒業。自動車メーカーの商品企画、チューニングパーツメーカーの開発を経て、いくつかの自動車雑誌を手掛けた後、2013年にフリーランスへと転身。元エンジニア、元編集者の経験を活かし、造り手と使い手の両方の気持ちを分かりやすく上手に伝えることをモットーにしつつ、クルマの評論だけでなく経済からモータースポーツまで語れる「自動車研究家」として活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員、ワールド・カー・アワード選考委員、日本自動車ジャーナリスト協会会員。YouTubeチャンネル「自動車研究家 山本シンヤの現地現物」も運営中。