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所沢航空発祥記念館、「富士重工の固定翼機開発~中島飛行機から受け継いだスピリッツ~」
特別展「中島飛行機の傑作戦闘機たち」に関連した公開講座
2016年9月8日 21:11
- 2016年9月3日 開催
所沢航空発祥記念館は9月3日、公開講座「『富士重工の固定翼機開発』~中島飛行機から受け継いだスピリッツ~」を開催した。
同記念館で7月20日~9月4日に開催されていた特別展「中島飛行機の傑作戦闘機たち」に関連して開催されたもの。参加費は無料。定員は60名だったが、当日は事前募集の参加者で満席だった。
中島飛行機は、日本が終戦を迎えるまで日本陸軍・海軍向けの軍用機だけでなく民間機も製造していた世界でも有数の航空機メーカーで、現在の自動車メーカー「スバル(富士重工業)」の前身となった企業として知られる。同社は2017年に中島飛行機時代から数えて創業100周年を迎える。
戦闘機だけでも、陸軍向けには、九一式戦闘機、九七式戦闘機、一式戦闘機「隼」、二式戦闘機「鍾馗」、四式戦闘機「疾風」、キ87高高度戦闘機(試作のみ)、海軍向けには三式艦上戦闘機、九〇式艦上戦闘機、九五式艦上戦闘機、二式水上戦闘機、二式陸上偵察機、夜間戦闘機「月光」、十八試局地戦闘機「天雷」(試作のみ)など、多くの開発を行なっている。民間機としては旅客機「AT-2」を開発した。
戦後は富士重工業として再出発し、航空自衛隊向けとして作られた初の国産ジェット練習機「T-1」をはじめ、航空自衛隊向けのレシプロ練習機「T-3」「T-7」、海上自衛隊のレシプロ練習機「T-5」などの開発のほか、対戦車ヘリコプター「AH-1S」、多用途ヘリコプター「UH-1」シリーズなどのライセンス生産も行なった。戦闘機「F-2」の主翼/尾翼の生産や、中等練習機「T-4」の主翼/尾翼/キャノピーの生産など、多岐にわたる航空機開発・生産を行なっている。
民間向けとしては軽飛行機「FA-200」、ロックウェルとの共同開発による双発のレシプロビジネス機「FA-300」のほか、ボーイングやエアバスなど海外大手航空機メーカー向け部品の共同開発・生産なども行なっている。
当日講演を行なったのは富士重工業 航空宇宙カンパニー技術部 OBである池田勝也氏と斉藤英樹氏。講演は主に池田氏が行なった。
池田氏は、1975年に富士重工業に入社、航空技術本部に配属され、長年にわたり固定翼機の開発に携わった。現職は富士エアロスペーステクノロジーで技術部長を務めているという。開発に関わった機体は、民間機ではFA-300、ボーイング767、7J7、787などのほか、現在は777-Xの開発にも関わっている。官用機は海上自衛隊の練習機「KM-2D」「T-5」、対潜哨戒機「P-1」、航空自衛隊の輸送機「C-2」など。自身もパイロットで陸上単発免許と計器飛行証明を取得済み。ラジコンの飛行機も趣味で講演会場には自ら手がけた四式戦闘機「疾風」のラジコンを持ち込んだ。
斉藤氏は1979年に富士重工業に入社し、固定翼機の維持設計に従事したという。維持設計とは新規開発の設計とは異なり、テスト飛行などで壊れた飛行機の故障原因を徹底的に追求し、再発防止をする仕事で、「1人で1機まるごと面倒を見るので、非常にやりがいがあり楽しい仕事」だそうだ。
講演は主に池田氏が担当し、上記の戦闘機をはじめとした多くの軍用機の特徴などを解説しながら、中島飛行機の歩みを紹介。後半では戦後、富士重工業として開発を行なった自衛隊向けの練習機などを紹介した。
表題にもある「中島飛行機から受け継いだスピリッツ」について池田氏は、「高い技術力を最優先として、未知の技術に果敢に挑戦しながら、高性能、高い戦闘能力の戦闘機を開発することで、パイロットの命を守り、それが最終的に国益・国力の増強になると考え、技術者達は必死に開発を行なってきた。これが中島飛行機スピリッツだ」とし、戦後、富士重工業にもその精神が生かされているという。
自動車開発にも航空機開発のノウハウが生かされていることについても語り、ジェット練習機「T-1」が初飛行を行なった1958年に発表された「スバル360」は、航空機のモノコック構造を使った軽量で強靱な作りを特徴として、小型なボディながらも居住性を上げる工夫をするというまさに航空機開発のロジックで作られたという。
「スバルの技術者は何よりも安全性を重視する。コストを下げることよりも遙かに高い次元に安全追求がある」と、アイサイトに代表されるようなスバルの安全技術に対するこだわりも、中島飛行機から受け継いだものとした。
池田氏は「中島飛行機スピリッツを受け継いだ富士重工業が、いつの日か安全性、信頼性、操縦性、品質を最優先とした、新たなスバルブランドの航空機を飛ばすことを願ってやまない。必ず我々の後輩がその意志を受け継いで実現してくれることを信じている」など、将来への期待も語った。
最後に池田氏は「技術者はパイロットや乗員を守るため命をかけて開発をした。しかし、戦争とはいえ多くの若い命が失われたことも事実であり、過ちを繰り返すことはあってはならない」と語って講演を締めくくった。