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【鈴鹿ファン感】今年もイベントてんこ盛りだった「2017モータースポーツファン感謝デー」レポート

ミカ・ハッキネン氏が16年ぶりに来場。星野一義氏は「RC166」「RC164」で走行を披露

2017年3月4日~5日 開催

ホンダ RC164を走らせる星野一義氏

 2017年のモータースポーツシーズンが間もなく開幕する。シーズン開幕直前の恒例行事となった「2017モータースポーツファン感謝デー」が、3月4日~5日に三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキットで開催された。

 ゲストには1998年、1999年にF1でワールドチャンピオンを獲得したミカ・ハッキネン氏が、16年ぶりに鈴鹿サーキットに登場。また、星野一義氏が2輪のホンダ・グランプリマシンで走行するなどイベントも盛りだくさんで、サーキットを訪れた6万人近いファンを魅了した。例年にも増して“てんこ盛り”となったこのイベントの内容をたっぷりお届けしよう。

オープニングではミカ・ハッキネン氏が開会宣言

 鈴鹿サーキットに春の訪れとシーズン開幕を告げる2017年のモータースポーツファン感謝デーは天候にも恵まれ、3月4日は2万6500人、3月5日は3万2000人、2日間で延べ5万8500人が来場。約6万人と例年を上まわるモータースポーツファンが来場した。

モータースポーツシーズンの開幕に先駆けた鈴鹿サーキットのファン感謝イベントに2日で延べ5万8500人が来場

 2日間のイベントの開幕となるオープニングでは、総勢30人のドライバーやライダーがグランドスタンド前に整列。ドライバーの代表として2017年 SUPER GTチャンピオンである平手晃平選手、ライダーの代表として2017年 全日本ロードレースチャンピオンの中須賀克行選手、ゲストのミカ・ハッキネン氏の3人で開会宣言が行なわれた。

ドライバー、ライダーがスタンド前に整列し、平手晃平選手、中須賀克行選手、ミカ・ハッキネン氏の3人で開会宣言

ジュリアーノがまさかのコースアウト! アレジ親子のガチンコ対決

鈴鹿ファンにはおなじみとなったアレジ親子によるトークショー

 2017年も元F1ドライバーのジャン・アレジ氏と息子のジュリアーノ・アレジ選手がイベントに参加した。ジュリアーノは1999年生まれの17歳。2016年3月にフェラーリ・ドライバー・アカデミーの一員となり、2016年シーズンはGP3シリーズに参戦した。

益々イケメンになったジュリアーノ・アレジ選手
ご存じ元F1ドライバーのジャン・アレジ氏

 GP3での戦績は22位と振るわなかったが、今シーズンも引き続きGP3に参戦する。過去GP3ではエステバン・グティエレス、バルテリ・ボッタス、ダニール・クビアトなどがチャンピオンを獲得し、そのあとF1に参戦しているだけに今シーズンの活躍を期待したい。

 イベントではフェラーリのワンメイクレースで使用されている「フェラーリ 485 チャレンジ」2台が用意され、ジャン氏とジュリアーノ選手が乗りこんでガチンコ対決を披露した。初日は日本語で勝利宣言をしてからマシンに乗り込んだジュリアーノ選手が宣言どおりに逃げ切って勝利。2日目は最終ラップの逆バンクまではジュリアーノ選手が先行したが、東コースのショートカットでまさかのコースアウト。グラベルを突っ切ってシケイン立ち上がり~最終コーナーでコースに戻った。

フェラーリ 485 チャレンジに乗り込むジュリアーノ選手
初日はジュリアーノ選手が逃げ切って勝利

 背後を走行していた父ジャン氏は、普通にショートカットを抜けて加速すれば逆転勝利となるはずだが、目の前でコースアウトしたジュリアーノ選手がコースに復帰するのをスローダウンして確認。ジュリアーノ選手の無事を見とどけてから再加速したため、親子対決はジュリアーノ選手の2連勝となった。

2日目もジュリアーノ選手が先行するが……
勝利を喜ぶジュリアーノ選手(左)

20周年を迎えたARTA

左から伊藤大輔氏、脇阪寿一氏、本山哲氏、金石勝智氏、土屋圭市、鈴木亜久里氏

 オートバックスと鈴木亜久里氏がタッグを組んで、日本のレース界の発展に貢献してきたARTA(AUTOBACS RACING TEAM AGURI)は、1997年の発足から今年で20周年を迎えた。そんなARTAのステージイベントには、鈴木亜久里氏とエグゼクティブ・アドバイザーの土屋圭市氏に加え、ARTAで参戦経験を持つ伊藤大輔氏、脇阪寿一氏、本山哲氏、金石勝智氏が登場した。

 また、コースイベントではGT500クラスに参戦する「NSX-GT」に野尻智紀選手、GT300クラスに参戦する「BMW M6 GT3」に高木真一選手が乗り込んでタイムハンデレースを実施。BMW M6 GT3が10秒先にスタートしてNSX-GTが追走。シケインでBMW M6 GT3の背後に迫ったNSX-GTが、最終コーナーで抜き去って逆転勝利を飾った。

BMW M6 GT3(左)が10秒先にスタートし、NSX-GT(右)が追うタイムハンデレースが開催された
デグナーの進入ではまだ差があった
シケインでBMW M6 GT3の背後に迫ったNSX-GT
NSX-GTが最終コーナーでBMW M6 GT3を抜き去り逆転勝利

グリッド&ピットウォーク

鈴鹿サーキットのグリッドとピットに多くのファンが集まった

 憧れのレースマシンやバイクを間近に見学できるのがグリッド&ピットウォークだ。グリッドもピットもファンで溢れかえるほどの盛況で、多くのファンが写真を撮るなどして楽しんでいた。

グリッド上のGTマシンを取り囲むファン
人気マシンは近付くことも困難なほど
ピットの並べられたF1マシンも大人気
8耐マシンもファンが集まり盛んに撮影していた

鈴木亜久里vs土屋圭市

 鈴木亜久里氏と土屋圭市氏によるARTA対決は、当初はBMW M6 GT3と、かつてGT300クラスに参戦していた「CR-Z GT」によるガチンコ対決が予定されていたが、CR-Z GTがマシントラブルで走行できず、BMW M6 GT3とNSX-GTによるデモ走行に変更された。NSX-GTを鈴木亜久里氏がドライブ、BMW M6 GT3を土屋圭市氏がドライブした。

 初日は「S字で目が回る」と語っていた鈴木亜久里氏だが、2日目には「楽しい」と発言。ピエール北川氏から「夏の1000kmに第3ドライバーでエントリーして下さい」と冷やかされていた。

鈴木亜久里氏と土屋圭市氏によるARTA対決は、BMW M6 GT3とNSX-GTによるデモ走行に変更された
NSX-GTを鈴木亜久里氏がドライブ
ARTAのレースクイーンも参加した
NSX-GTをBMW M6 GT3が追走
鈴木亜久里氏がドライブしたNSX-GT
BMW M6 GT3は土屋圭市氏がドライブ

鈴鹿8耐 ドリームラン

左から清成龍一選手、玉田誠氏、宇川徹氏、辻本聡氏、宮城光氏、伊藤真一氏

 夏の2輪レースの祭典、鈴鹿8時間耐久ロードレースは今年で40回の記念大会を迎える。イベントではレジェンドライダーと現役ライダーの2部構成で会場を盛り上げた。ステージに登場したレジェンドライダーは辻本聡氏、宮城光氏、伊藤真一氏、宇川徹氏、玉田誠氏と現役ライダーの清成龍一選手の6人。8耐で通算5勝を誇る宇川氏は10年ぶりのイベント参加となった。

伊藤真一氏
宮城光氏
辻本聡氏
宇川徹氏
玉田誠氏
清成龍一選手

 また、レジェンドライダーがスズキ「GSX-R750」、ホンダ「VTR1000SPW」「CBR1000RRW」「RVF/RC45」などに乗ってコースを周回。ラッキーストライク、キャビン、セブンスターなど、今では見ることができなくなった“タバコブランド”のマシンを走らせた。

レジェンドライダーがレジェンドマシンをライディング
ラッキーストライク・ホンダ RVF/RC45
チーム・キャビン・ホンダ VTR1000SPW
セブンスター・ホンダ CBR1000RRW

 現役ライダーでは8耐2連勝中の中須賀選手や柳川明選手、加賀山就臣選手、高橋巧選手、津田拓也選手などおなじみのライダーが参加。ル・マン式スタートでデモ走行を披露した。

鈴鹿8耐の40回記念大会に参戦する現役ライダーも集合
デモレースはル・マン式スタートが行なわれた
東コースを疾走する現役ライダーとマシン

9年ぶりに鈴鹿8耐に参戦するモリワキ

 40回記念大会を迎える鈴鹿8耐の話題の1つが、9年ぶりに参戦するモリワキだ。ステージにはモリワキエンジニアリングの森脇護氏と清成龍一選手、高橋裕紀選手が登場。ホンダ CBR1000RR モリワキ改による走行も披露された。

左から高橋裕紀選手、清成龍一選手、森脇護氏
2台のホンダ CBR1000RR モリワキ改が走行した

SUPER GTデモレース

 4月8日~9日に開幕する「2017 AUTOBACS SUPER GT」は、8月26日~27日にSUZUKA 1000kmレースがこの鈴鹿サーキットで開催される。既報のとおり、2018年から「第47回サマーエンデュランス 鈴鹿10時間耐久レース(仮称)」が開催され、SUPER GTによる夏の鈴鹿1000kmレースは今年が最終開催となる。

 ステージにはGT300ドライバーの谷口信輝選手、高木真一選手、吉本大樹選手が登場し、続いてGT500ドライバーの平手晃平選手、山本尚貴選手、安田裕信選手、ヤン・マーデンボロー選手も登場して今シーズンに向けた意気込みなどを語った。

左から吉本大樹選手、谷口信輝選手、高木真一選手
左からヤン・マーデンボロー選手、安田裕信選手、山本尚貴選手、平手晃平選手

 続いてGT500車両3台(DENSO KOBELCO SARD LC500、RAYBRIG NSX-GT、カルソニック IMPUL GT-R)、GT300車両6台(グッドスマイル 初音ミク AMG、GULF NAC PORSCHE 911、マネパランボルギーニGT3、シンティアム・アップル・ロータス、ARTA BMW M6 GT3、エヴァRT初号機 Rn-s AMG GT)によるデモ走行が行なわれた。

DENSO KOBELCO SARD LC500
カルソニック IMPUL GT-R
RAYBRIG NSX-GT
3メーカーのGT500マシンが走行
GT300は6台が走行した

スーパーフォーミュラは全車登場

 ファン感謝デーの翌日からテストが行なわれるスーパーフォーミュラは、参戦する全車両、全ドライバーが参加して公開テストとデモレースが実施された。栄光のゼッケン1番は2016年にチャンピオンを獲得した国本雄資選手。KONDO RACINGはニック・キャシディ選手と山下健太選手、フェリックス・ローゼンクヴィスト選手はSUNOCO TEAM LEMANS、2016年のGP2でチャンピオンを獲得したピエール・ガスリー選手はTEAM MUGENから参戦する。小林可夢偉選手はKCMG、ヤン・マーデンボロー選手はITOCHU ENEX TEAM IMPUL、ベテランの小暮卓史選手はB-Max Racing teamから参戦する。

 スーパーフォーミュラの開幕戦は4月23日~24日の「NGKスパークプラグ 鈴鹿2&4レース」。シーズンは全7戦で争われ、既報のとおりBSフジによる全7戦の日曜日決勝レース生中継が予定されている。

国本雄資/P.MU/CERUMO・INGING
ニック・キャシディ/KONDO RACING
山下健太/KONDO RACING
フェリックス・ローゼンクヴィスト/SUNOCO TEAM LEMANS
ピエール・ガスリー/TEAM MUGEN
小林可夢偉/KCMG
ヤン・マーデンボロー/ITOCHU ENEX TEAM IMPUL
小暮卓史/B-Max Racing team

星野一義氏が2輪のグランプリマシンで走行。ホンダ「RC142」「RC164」「RC166」がデモラン

満面の笑みで少年時代の想い出を語る星野一義氏(左)

 日本のモータースポーツの原点とも言えるのが、1959年のホンダによるマン島TTレースへの参戦だ。1960年には高橋国光氏、北野元氏がホンダワークスに入って世界への挑戦を開始。北野氏は1961年のUSグランプリ(デイトナ)で優勝、高橋氏も同じ年に西ドイツGPで優勝している。

 当時中学生だった星野一義氏にとって、ホンダワークスと世界で活躍する高橋氏、北野氏は憧れであり夢だった。星野氏はカワサキのモトクロスチームのワークスライダーとなり、1968年にチャンピオンを獲得。その後は4輪に転向し、1975年に全日本F2000選手権でチャンピオンを獲得。翌1976年にはF1世界選手権イン・ジャパンにスポット参戦。以後、F2、GCシリーズなどで活躍して「日本一速い男」と呼ばれるようになった。

星野氏は大先輩の後方をキープして走行

 今回用意されたマシンは3台。高橋氏が乗るホンダ「RC142」は、1959年にホンダがマン島TTレースに初参戦するために開発された125cc 2気筒マシン。北野氏が乗るホンダ「RC164」は、1963年に投入された250cc 4気筒マシン。もう1台はホンダ「RC166」。1966年のマン島TTレースから参戦した250cc 6気筒マシンで、このRC166に星野氏が乗ることになった。少年時代の夢が叶う瞬間だ。

 前出のSUPER GTのデモレースでステージに登場した安田選手は「星野監督のカレンダーには2輪のスケジュールだけ書かれていて、当時のホンダワークスのライディングスーツを着てはしゃいでいた」と語る。実際にそのライディングスーツを着てステージに登場した星野氏は、満面の笑みで少年時代の想い出を語っていた。

 星野氏は初日の走行では大先輩2人を抜かないように最後尾をキープして走行。走行後も喜びが溢れるほど感動した様子だった。

ホンダ RC164は北野氏がライディング
ホンダ RC142は高橋氏がライディング
ホンダ RC166に乗りストレートを駆け抜ける星野氏

 2日目も同様のプログラムが組まれていたが、星野氏にとって悲しい知らせがあった。ホンダ RC166にマシントラブルが発生して走行できなくなったのだ。高橋氏と北野氏の走行を見守ることとなったが、走行を終えた北野氏が自分のマシンに乗るように星野氏を誘い、星野氏のサプライズ走行が実現した。

 走り出した星野氏は驚くほど速い。さすがに現役の8耐マシンほどではないが、デモレースとは思えない速度でS字を通過。グランドスタンド前に戻った星野氏は「最高」と叫んだ。

2日目もホンダ RC164は北野氏がライディング
高橋氏が乗ったホンダ RC142は1周目にトラブルが出てスロー走行したが、その後ペースアップ
ホンダ RC164に乗り、驚くほどハイペースで走行した星野氏

ミカ・ハッキネントークショー

ステージの登場したミカ・ハッキネン氏と川井一仁氏

 1998年、1999年と2年連続でF1ワールドチャンピオンを獲得したミカ・ハッキネン氏が16年ぶりに鈴鹿サーキットに登場した。F1の解説でおなじみの川井一仁氏とトークショーを行ない、バルセロナテストの感想など今シーズンのF1の展望についても語った。

ミカ・ハッキネン氏は16年ぶりの鈴鹿サーキット
F1解説でおなじみの川井一仁氏

フェラーリ F1 LAP

アレジ親子とハッキネン氏によるトークショー

 アレジ親子が2回目の登場。ハッキネン氏も加わってトークショーが行なわれたほか、その後に2006年のフェラーリ 248 F1をジャン氏、1987年に鈴鹿サーキットで初めて開催されたF1日本グランプリで優勝したフェラーリ F187をジュリアーノ選手がドライブしている。

ジャン氏が2006年のフェラーリ 248 F1をドライブ
ジュリアーノ選手が1987年のフェラーリ F187をドライブ
先行するジュリアーノ選手はミラーで後方のジャン氏を確認しながら走行
ジャン氏は後方からジュリアーノ選手を追走

 2日目はマシンを入れ替え、ジャン氏がフェラーリ F187をドライブ、ジュリアーノ選手がフェラーリ 248 F1をドライブした。

ジュリアーノ選手がフェラーリ 248 F1をドライブ
ジャン氏がフェラーリ F187をドライブ

新たな対決、中嶋一貴vs小林可夢偉

中嶋一貴選手(左)と小林可夢偉選手(右)

 新たなライバル対決として、今年から中嶋一貴vs小林可夢偉が初開催された。ともにF1に参戦経験があり、ル・マン24時間レースなどが行なわれるWEC(FIA世界耐久選手権)では同じトヨタチームから参戦。今シーズンもスーパーフォーミュラを戦う2人による対決だ。

 トークショーでは子供のころのエピソードや、F1で接触したときのことなどを「笑っちゃいますよね」などと語って会場を盛り上げた。スーパーフォーミュラのマシンに乗り込むと、スタートでは可夢偉選手が先行。2周目の1コーナーで一貴選手が逆転し、3周目に可夢偉選手が抜き返してチェッカーを受けた。

F1での接触を「笑っちゃいますよね」と語った中嶋一貴選手
今シーズンはKCMGでスーパーフォーミュラを戦う小林可夢偉選手
一貴選手が抜き
可夢偉選手が抜き返す展開に

星野一義vs中嶋悟はマシントラブルが発生

ファン感謝デーの定番イベントとなった星野一義vs中嶋悟

 星野一義氏と中嶋悟氏という日本を代表するレジェンドドライバーによる対決は、2012年の鈴鹿サーキット50周年記念イベントから始まり、回数を重ねてファン感謝デーの定番イベントとなった。これまでの戦績は星野氏が4勝、中嶋氏が5勝。今回使用するマシンは2台の「ティレル 019」。イコールコンディションの対決だったが、星野氏のマシンにシフトチェンジできなくなるミッショントラブルが発生。星野氏のスロー走行を尻目に、ぶっちぎりの走りを見せた中嶋氏が勝利して通算6勝目を挙げた。2日目もマシントラブルは修復されず、デモ走行となった。負けた星野氏は「次はバイクで勝負だ」と来年のリベンジを誓った。

ライディングスーツからレーシングスーツに着替えて再登場した星野一義氏
対戦の通算成績で1歩リードする中嶋悟氏
シフトトラブルで遅れる星野氏を置き去りにする中嶋氏
今回はマシントラブルで満足できる走りが見せられなかった星野氏
ティレル 019で快走した中嶋氏

 毎年てんこ盛りのイベントが行なわれるモータースポーツファン感謝デーは、イベント専用Webサイトに「特別ご招待券」が用意され、プリントしたりスマートフォンの画面に表示すると無料で入場できる。参加したことのない人は、ぜひ来年は参加していただきたい。

 最後に、今シーズンからパドックエリアとS字スタンドを結ぶ新たなルートができたので紹介しよう。これまで報道陣などが使用していたS字のトンネルが、F1日本グランプリ以外のレースで一般開放されることとなった。S字激感エリア脇とS字のD席スタンドが結ばれたことにより、パドックとS字観戦エリアが「S字ちかっ!」となった。このS字トンネルについては、後日詳細をお伝えしたい。

 この新たなルートは4月23日~24日の「NGKスパークプラグ 鈴鹿2&4レース」でも利用できるので、観戦に行った人はチェックしていただきたい。

パドックトンネル出口に設置された「S字ちかっ!」の看板
S字の激感エリアの脇からトンネルを利用できる
トンネルを抜けるとS字のD席スタンドに出ることが可能になった