【メディア4耐】正式結果と次回への課題
Car Watchチームの完走13位は変わらず


 9月1日に、筑波サーキット(茨城県下妻市)において開催された「第23回 メディア対抗ロードスター4時間耐久レース」(以下、メディア4耐)。Car Watchチームは初参戦ながら、暫定完走13位と当初目標の完走を果たせた。正式結果においてもそれは変わらず、13位完走だった。

 トップは「ティーポデイトナロードスター」の188周(ベストタイム1分11秒149)、2位は「SYE ROADSTER」の188周(3秒567遅れ、ベストタイム1分11秒291)、3位は「ホリデーオートロードスター」の188周(34秒609遅れ、ベストタイム1分12秒252)となり、ここまでは同一周回。「CarWatchロードスター」は、9周遅れとなり、ベストタイムは1分12秒260。初参加のため、燃料切れのない完走を目標としていたが、トップクラスのチームとは大きな差が開いてしまっている。

Car Watchロードスター車内には燃費計などを装備したゼッケン番号は64。意味については、関連記事を参照のこと

 今回Car Watchチームは、ロードスターのパーティレース参加者にスタッフに加わっていただいた。ピットクルーには、小林大作氏、石川琢也氏、牛込竜樹氏、石田浩二氏の5人をメインにほか数名、ドライバーには石川和也氏に加わっていただいた。

 ドライバーは、編集部から谷川潔、瀬戸学、小林隆の3名、本誌でもおなじみのモータージャーナリスト岡本幸一郎氏、それに先ほどの石川氏の5名で構成。走行順は、谷川→瀬戸→石川→小林→岡本として、前半は燃費を第一にペースを抑え、後半は燃費の心配のなくなったところでスパートするというレース戦略だった。

 結果的にはこれがうまくはまり、小林まで21位で低迷した順位が、岡本氏に交代してからグングン上昇。岡本氏の1分12秒台連発のラップの速さもあったが、他チームの燃料切れの怖れによるラップダウンなども大きく影響し、最終的に13位を獲得できた。以下に、最終結果確定を受けての各ドライバーのコメントを記しておく。

スタート前風景

谷川潔(第1ドライバー)
 筑波サーキットは、観客として訪れたMFJ GP以来十数年ぶり。もちろんロードスターどころか、クルマで走るのも初めてという状態でレースに参加した。

 第1ドライバーから、第4ドライバーまでは燃費を稼ぐため、空気圧を高めにした状態で走行。自分の場合、どうしてもグリップ感を得た上での走行が好きなので、この空気圧の高い状態のクルマのコントロールが難しかった。

 石川氏から「目標タイムは、1分20秒以下でラップ」とされていたので、それを目標に走行。1分16秒~1分20秒を変動していたので、燃費を稼ぐ第1ドライバーとしての役目は果たせたと思っているし、何より事故やトラブルなく、次のドライバーにロードスターを渡せたのはうれしかった。

 自分の改善点としては、このような空気圧の高い状態のクルマをコントロールする方法を身に着けることだろう。燃費を稼ぎつつ、さらに安定してそこそこのタイムを出す運転ができればなと思う。

瀬戸学(第2ドライバー)
 筑波サーキットを走るのは7~8年ぶり。まわりはレースドライバーや元レース経験者の編集者など、そうそうたる顔ぶれ。一緒に走れば速度差がかなりのものになることは容易に想像できた。

 ということで、目標はとにかく燃費優先で遅くても安全な走り。練習走行では事前に教わった燃費重視の走り方を実践したが思うようにリズムがつかめない。結果、燃費はよくてもタイムがダメで、さらに速度差も大きいのでむしろ危険。

 そこで決勝ではひとまず燃費は無視して自分のペースで走ることに。45分も連続して走ったことはないが、走行会なら30分でも走り足りないと感じる。だったら走行会気分で楽しむ気持ちで走ろうと心に決めた。

 迎えた決勝、やはりまわりの速さに圧倒される。速いマシンにインを刺されるので理想のラインを走れない。結果、練習走行よりわるいタイムになってしまう。ミラーに太陽が映り込むと後ろから来るクルマがよく見えず、速い集団が団子になってくる時は生きた心地がしなかった。

 しかしながら、速い集団が抜けた後はとにかく自分のペースで走る。なにしろ45分もあるので、1周走るごとにコースには慣れてくる。結果練習走行より3秒程度速いタイムにはなった。走り始めはとにかく不安だったが、残り5分ともなると、むしろもっと走っていたいと思う自分がいた。走るのはやっぱり楽しい、来年も絶対走りたい、そんなことを考えながらラストの数周を終えた。

石川和也(第3ドライバー)
 私がメディア4耐へ参戦するのは今回で4戦目となる。これまではドライバーとして走ることが目的での参戦であったが、今回はCarWatchチームが初参戦とのことで、走るだけでなくピットまわりも担当をさせていただいた。

 私がこれまでのメディア4耐参戦で感じていたことは、「このレースは4時間で終わりではなく、翌年にもつなげていく耐久レース」と言うこと。そこで無事に完走していただくことをチーム目標とするとともに、チームの皆さんにレースを楽しんでいただいて「来年につなげる」ことを私の個人目標として参加させていただいた。

 実際のレースでチームの皆さんは初レースのドライバーとは思えないほど落ち着いた走行でタイムと燃費を稼いでいただいたり、エースドライバーの岡本さんはチームベストを更新しての夜間走行でゴールに導いていただいた。そして結果は13位完走。初参戦としては満足できる内容、しかもレース後にチームの皆さんから「楽しかった!来年も参戦したい!」との声をいただき、私の目標は達成できたかなと思います。

 最後に、またとない機会を与えてくださった皆さんに感謝するとともに、自分のレース後で疲れているにも関わらず、ピットクルーを務めてくれたパーティレース仲間に感謝します。

小林隆(第4ドライバー)
 レースに出場するのが初めてなら、ロードスターで筑波サーキットを走るのも、夜間走行も初めてと、初物づくしとなったメディア4耐。

 最終出走者の岡本幸一郎氏にたすきをきっちり渡すべく、基本は安全第一と燃費を意識しながらの走行となったが、それほどストレスを感じることなくロードスターをほぼ全開で走らせることができた。

 しかし他車とのスピードは歴然で、インフィールドではある程度ついていけるものの、第2ヘアピン~バックストレッチ~最終コーナー~第1コーナーの高速区間で、特に差を感じることとなり、個人的には悔しい結果となった。

 そんな個人の思いはさておき、まずはチームとして掲げていた目標である「完走」を達成できた上、13位という成績で完走できたことは本当に嬉しい。メディア4耐を通じて耐久レースの難しさ、楽しさを大いに学ばさせてもらった。それもこれもドライバー、監督、ピットクルー、Car Watchチームを応援してくれた来場者の方々が一体となってレースに参加できた結果だと思う。

アンカーを務めた、岡本幸一郎氏

岡本幸一郎(第5ドライバー)
 予選アタックと決勝アンカーという大役を任せてもらって大変光栄でしたが、筑波を走るのは4年ぶり。ライバルの顔ぶれを見ると、これではちゃんと走っても予選は最下位かもしれないなと思っていたら、まあ、当たらずとも遠からず……(編集部注:予選は1分11秒623で21位)。

 気持ちとしては1分10秒台が目標だったけど、大部およばなかったですね。精進します……。

 決勝は、最終走者はツワモノ揃いだけど、みんなのおかげで燃料はタップリ残っていたので心置きなく全開! 最後までガス欠の不安はまったくなく、ライバルが次々と脱落してくれて、思ったよりもよい順位でレースを終えることができました。

 途中で競っていたときにスピンしてしまいましたが、スピンすると、せっかく稼いだ数周分の努力が一瞬で無駄になってしまいます。絶対にスピンしないように気をつけなくてはと、あらためて痛感した次第です。

 全体としては、初参戦でプロのレーシングドライバー不在のチームとしては、まずまずの結果ではないかと思います。来年は、予選は1分10秒台半ばを目標に努力するので、決勝もヒトケタ台を目標に、みんなで計画的に練習しましょうね!


来年へ向けて
 正式結果が出た後、反省会を実施。そこで挙げられたのは、ピット作業の遅さと、燃料が余ったこと。とくにピット作業については、石川氏の指摘によると、他チームより明らかに遅かったとのこと。ピット作業時間は、リスクなくタイムを稼げる部分でもあるため、改善(練習?)は必須だろう。

他チームより遅かったピット作業。ピットクルーの問題ではなく、不慣れなドライバー交代作業の遅れが原因。ドライバー同士の連携力のアップが必須か

 また、燃料が余ったということは、それだけラップタイムを上げるためにアクセルを踏み込むことが可能になる。Car Watchチームは、トップ3から9周遅れのため、1分12秒×9=648秒つめれば、同一周回へ持って行けることになる。これは、仮に188周で均等に負担した場合、約3.4秒。1分12秒平均で走行した岡本氏がこれだけつめるのは、現実的に不可能なため、谷川、瀬戸、小林の底上げが必要になる部分だと言える。

 机上の計算ですら、13位から上に上げていくのはつらい状況であるが、来年参加することが可能であれば、13位以上、できれば1桁順位での完走を目指したいところだ。

来年は、1度くらいここにゼッケン番号を掲示したい16時~20時という長丁場で、メディア対抗レースは行われた

(編集部:谷川 潔/編集部/Photo:高橋 学)
2012年 9月 10日