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行ったぞ、鈴鹿8耐! 高橋敏也、ついに憧れの「“コカ・コーラ ゼロ”鈴鹿8耐」を観戦!
「リミットを打ち破ってみました」
(2014/8/14 16:44)
- 2014年8月14日掲載
大変である。秋葉原でパソコン関連のイベントに登壇、お客さんにNAS(Network Attached Storage)の素晴らしさを語る。7月26日に開催されたそのイベントが終了したのは17時を過ぎたあたり。それから秋葉原の事務所に戻って後片付け、帰宅したのが19時ぐらい。さすがに出発前の準備は終えていたので、荷物などをもう一度確認して出発したのが20時半ぐらい。あとは今日の目的地である名古屋市内のホテルに向かえばいいだけだ。
比較的交通量の少ない夜間、しかもほとんどの行程が高速道路である。距離にして約300kmと少しだが、休憩をはさんでも「トラブル」さえなければ3時間から4時間半で到着するだろう。翌日、7月27日は大事な大事なイベントの取材なので、6時にホテルのロビーに集合しなくてはならない。0時にホテル入りすれば、シャワーを浴びたって5時間は寝られるはずだ。そう「トラブル」さえなければ。
ああ、やっぱりね。私の人生には順調とか、スムーズとか、計画どおりとか、そういったものは存在しない。しっかり待ち受けていたのである、「トラブル」が! それもかなり深刻かつ重大なもの、私は深夜の新東名高速道路、下り線の浜松SA(サービスエリア)で愛車Z1300を見ながら呆然としたのであった。
始まりはいつもパンク!
パンクした。ちなみにパンクのことを英語では「フラット・タイヤ」と言うらしい。関係ないか。とにかく深夜の高速、しかもバイク乗っててパンクした! これをトラブルと言わずに、何をトラブルというのか? いや、パンクは確かに不幸な出来事だが、それに気がついて対処できたというのは、むしろ幸運だったのかも知れない。
なぜ悲惨なことになる前に、後輪のパンクに気づけたのか? 実はこれがまったくの偶然だったのだ。我が愛車、カワサキZ1300は北海道札幌市でのカスタムを終え、帰京したばかりの車体。ホイールもタイヤも交換しており、タイヤの空気圧に関しては標準的なセッティングとなっていた。だが、バイクの場合は乗り手の体重や好みで空気圧を微妙に調整するものなのだ。帰京してから初の遠出、しかも高速道路走行。深夜ではあったが、空気圧を微妙に調整したくなったのだ(世間ではこれを“虫の知らせ”という)。
給油のために立ち寄った浜松SAのエネオスで、空気圧を調整させてもらおうと車体を移動させた。そしてエアバルブの位置を確認しようとしたその時、あってはならないものが後輪タイヤに刺さっているのを発見したのである。「細くて白い釘」が、タイヤの溝の間にあるのだ。
チューブレスラジアルタイヤのパンク。バイクの場合は空気の抜けがわずかなら、慎重に様子を見ながらバイクショップ、あるいはタイヤショップへ行って修理してもらう。バイクの場合、パンクしたタイヤは修理後、タイミングを見て交換するのが基本である。もし空気抜けが激しい場合は、一般道であってもその場で修理するのだが。
これが高速道路となると話は違ってくる。速度が違えば、刺さっている釘にかかる力も変わってくる。ギャップなど引っかかった場合は、どんな悲惨なことになるか分かったものではない。仮にバーストのような最悪の状況にならなくても、空気の抜けるペースが早くなるかも知れない。要するに高速道路でパンクしたら、速やかに修理しなさいということである。という訳でパンク修理キットを持っていなかった私は、会員になっているJAF様に電話をすることになった。
この場を借りて浜松SA、エネオスの皆さん、駆けつけてくれたJAFの方に心よりお礼申し上げます。エネオスの皆さんには親切にして頂いたし、JAFのパンク修理は適切で迅速でした。お陰で無事、目的地にたどり着くことができました。
とは言っても週末の高速道路、1時間弱、JAFの到着を待って修理が終わってからの出発。結局、名古屋のホテルに入ったのは午前1時を過ぎてから。明日の準備などを終えてベッドに入ったのは午前2時過ぎ。午前6時にはロビー集合というハードなスケジュール。しかし、私は疲れを覚えるどころか、むしろ気力をみなぎってくるのを感じていたのである。もちろんすぐ眠りに落ちたけど。
到着、鈴鹿サーキット!
鈴鹿8耐の取材、それが今回の目的だ! そりゃあなた、長年憧れてきた鈴鹿8耐ですがな、ハードなスケジュールなんて気にもしませんがな。ちなみに鈴鹿8耐、正式名称は「2014 FIM世界耐久選手権シリーズ第2戦“コカ・コーラ ゼロ”鈴鹿8時間耐久ロードレース 第37回大会(以下、8耐)」と大変長い。7月27日、鈴鹿サーキットにおいて、その決勝レースが行われたのである。
少し前には鈴鹿サーキットで開催された「BIKE!BIKE!BIKE!2014」というイベントにも参加した。だが、BIKE!BIKE!BIKE!2014の際にはクルマ、もう一つの愛車であるトヨタ ハチロクでの参戦だった。そしてその時、私は思ったのである。「もし8耐に来られるようなら、なんとしてもバイクで来よう。愛車Z1300で来よう」と。そのためにZ1300を引き取りに札幌まで飛んだのである。
夢は叶った。我がZ1300はバイク乗りの聖地である鈴鹿サーキットへ、ついにたどり着いたのだ。私は自らのバイクを駆り、8耐決勝レースへとたどり着いたのだ(取材という目的はすでに忘れ去られている)。これでテンション上がらないはずがない訳で、疲れたとか、辛いとか、そんなことを言っている場合ではない! 鈴鹿8耐、37回大会。バイクに乗り始めてから30年以上、台風の中、チェッカーフラッグではなくレッドフラッグが振られた1982年大会は、もう32年前の話になるのか。テレビで見た8耐、雑誌で読んだ8耐、そして最近ではネットで見る8耐が、今回はリアルなのである。
鈴鹿よ、私は帰ってきた(BIKE!BIKE!BIKE!2014で初来場は果たしているからね)! さあ、真夏の祭典、8耐決勝レースを見せてもらおうじゃないか! このあと、怒濤の展開が待ち受けていることなど、ハイになっている私には知るよしもなかった……。
注目ポイント、そしてピットウォーク
フライング・テキサン、空飛ぶテキサス人。言うまでもなく、ケビン・シュワンツ選手のニックネームである。このシュワンツ選手、ヨシムラの一時代を築いた、まさに伝説のライダー。全盛期を知っている私のような人間にとっては、まさに伝説の選手、ライダーと言っていいだろう。そのシュワンツ選手が昨年に引き続き出場するという。パートナーは辻本聡選手、青木宣篤選手、ナンバー12、Legend of ヨシムラスズキシェルアドバンスレーシングチームとしての参戦だ。中年ライダーとしては、その走りを見逃す訳には行かない。
そしてカワサキ好きによる、カワサキ好きのための、カワサキ直系チーム、Team GREEN。ナンバー87を引っさげて、13年ぶりの8耐参戦だ。カワサキの8耐と言えば、1980年のエディ・ローソン選手を忘れる訳には行かない。2位に入る走りを見せたローソン選手、というよりカワサキマニアにとっては「ローソン・レプリカ」(バイクのモデル名)と言った方がとおりもいいだろう。私も愛車であるカワサキZ1300に乗って、ここ鈴鹿サーキットまでやって来たのである。Team GREENを応援せずして、カワサキ好きは名乗れまい。
もちろん8耐の注目点は、ほかにも山ほど存在する。ホンダが3連覇するのか、60周年を迎えたヨシムラがそれを阻止できるのか、レースクイーンは何人ぐらいいるのか、ばくおん!!KTMのカウルに描かれたキャラは誰なのか?(いや、それは知ってる。モジャだって) まあ、ぶっちゃけた話、私にとっては初のリアル8耐な訳で、そのすべてが注目点なのである。
そんな訳で名古屋のホテルを出発、鈴鹿サーキットに入ったのが7時前後。6時30分にゲートはオープンするのだが、決勝レースのスタートは11時30分。ではなぜ、こんなに早い時刻に鈴鹿サーキットに入るのか? 実は鈴鹿サーキットで写真を撮って30数年という、鈴鹿を知り尽くしたカメラマン氏が同行してくれたのだが、どうも「決勝レース渋滞」が発生するらしいのだ。そのためなるべく早く動いて渋滞を避け、鈴鹿サーキットに入ってからゆっくり準備(観戦、あるいは取材)をするのだという。
ちなみに8耐全体を見ると7月24日から、8耐フリー走行や4耐特別スポーツ走行が始まっている。公式予選は翌25日から始まり、26日に4耐決勝レースが行われ、27日に8耐の決勝レースとなる。こういった日程のため多くの8耐ファンが鈴鹿サーキットホテルに宿泊したり、8耐ファミリーキャンプというプランを活用してキャンプ泊を行い、数日に渡って8耐(そして4耐)を観戦する。もちろん私のように決勝レースのみを観戦という人も多い訳だが。
本当なら私も、ゆっくり時間を取って25日、いや26日から鈴鹿サーキットに貼り付きたかった。というのも25日には“コカ・コーラ ゼロ”サーキットクイーンフォトセッションが始まり、4耐決勝が開催される26日からは会場のあちらこちらでさまざまなイベントが行われるからだ。さらに26日夜には花火が打ち上げられる、前夜祭が開催される。しかしまあ、スケジュールの都合もあるし、8耐決勝が見られるだけでもラッキーといったところなのだろう。
さて、カメラを用意して見学(取材ですよー)の準備も整い、まず最初に向かったのは9時30分から始まるピットウォークである。文字どおりピットロードを歩いて各Teamのパドックを見学したり、レースクイーンを撮影したりすることの出来る貴重な時間だ。今年の8耐では7時から1時間、9時30分から50分の2回、ピットウォークが設けられていた。もちろん一般来場者も入れるのだが、別料金になっているので要注意。
決勝前のパドックを覗くと、そこでは実際に8耐を走るバイクが整備されていたり、メカとライダーが打ち合わせをしていたり。チーム側もピットウォークをちゃんと意識しており、パドック前に関連グッズを並べたり、写真などを展示したりしている。さらにレースクイーンたちにとって、このピットウォークも晴れ舞台の一つなのだ。
当然のごとく! 私の限りない探究心は各チームのバイクに向いており、華やかで可愛らしいレースクイーンたちを見ている暇はないっ!(本当は見たいけど) と、思っていたのだけど、後で写真を確認したらレースクイーンの写真が大量に出てきて、複雑な心境であったりする。
いずれしてもこのピットウォークはお勧め。レース前の緊張感(あるいはあえてリラックスしようとする雰囲気)、準備の慌ただしさと華やかさのカオスは是非体験してみるべきだ。
まさかの展開に度肝を抜かれる!
直射日光こそなかったが、それでも暑いピットウォークを終え、とりあえず11時30分の決勝スタートを待つ。別に私が緊張する必要はまったくないのだけど、それでもなぜか緊張するスタート前。ちなみに8耐はル・マン方式のスタートを伝統としている。もともとはル・マン24時間レースで採用されたスタート方式なのだが、現在では8耐も含めたバイクの耐久レースなどで使われ、本家本元のル・マンでは使用されなくなった。
このル・マン方式、ファーストライダーはコースを挟み、自分のバイクの前に立ってスタートを待つ。スタートと共にライダーはコースを渡ってバイクに乗り、エンジンをかけて走り出すのである。この時、エンジンスタートに失敗するとこもあるし、運悪くエンジンがかからない場合もある。そんなことを考えながら、コースに整列したバイクとライダーを見つめていたその時、雨が降ってきたではないか!
いったいどうなることかとスタート地点を見ていると、ウォーミングアップラップが始まった。ところが、ところが。雨脚はどんどん強くなってくる。どうやら各チーム、ドライタイヤを諦めてレインタイヤに交換する模様で、ピットロードは大混乱。そしてオフィシャルが下した決断は、8耐史上初のスタートディレイ!! とりあえず入ってきた情報では、11時45分にウォーミングアップラップを再開し、正午にスタートということだった。ところがっ!
激しい雨が降り続き、なんと正午のスタートもディレイという判断。次に入ってきた情報では、12時35分にスタートとのこと。激しくなる雨の中、再びスタート地点に並べられたバイク、そしてその対面にファーストライダー。そして運命の午後12時35分、伝統ル・マン方式で第37回鈴鹿8耐はスタートした。レインタイヤが路面の雨を切り裂き、1000ccのエンジン達が咆哮をあげる。ちなみにレース終了時間、19時30分に変更はないので今回の8耐は実質「6時間55分耐久レース」となった。
何はともあれ波乱のスタート、雨の8耐。その迫力に圧倒されている中、さらに怒濤の出来事が発生してしまったのである。
青木転倒! シュワンツ走れず!
オー・マイ・ブッダ! 驚きと残念が混じり合い、理解できない衝動が沸き上がってくる。なんとスタートから間もなく、6週目の超高速コーナー130Rで、青木宣篤選手が転倒したのである。転倒した瞬間は見ていなかったのだが、ナンバー12をつけたスズキGSX-R1000L4は倒れているだけでなく、後輪タイヤが外れてしまっていた。しかも青木選手は負傷したように見えた(後に負傷していることが判明、ヘリで病院へ搬送された)ので、レース復帰は不可能なようだ。
ナンバー12、Legend of ヨシムラスズキシェルアドバンスレーシングチームが、わずか6週目にして8耐から姿を消したのである。ということは当然、ケビン・シュワンツ選手も辻本聡選手も走ることができないのだ。なんと表現したらいいか分からないのだが、Legend(伝説)チームがまさに伝説と化した瞬間である。シュワンツ選手の走りを楽しみにしていた人も多かっただろうが、これもレースということか。もちろん辻本選手や青木選手のファンも、複雑な心境だろう。
しかも! あなた! 青木選手が捲ろう(抜かそう)としたのは、同じヨシムラのナンバー34、ヨシムラスズキシェルアドバンスレーシングチームだったのだ! 先行するナンバー34を追いかける形でナンバー12が仕掛け、転倒してしまったということらしい。なぜ、同じヨシムラのバイクに仕掛けたのか? これも決してよいとは言えないコースコンディションの中、それも130Rで?
頭の中は疑問符で一杯なのだが、鈴鹿歴30数年のカメラマン氏が呟いた。「たぶんライダーの中では“抜けた”んですよ。だから仕掛けたんじゃないですかね」。さらに私は思う。もしかしたらプロのレーサーというものは、理屈を抜きにしてそういう生き物なのかも知れない。前を走るバイクがいたら「抜く」、後ろからバイクが追ってきたら「抜かさせない」。今度、機会があったら是非質問してみたい。
さて、公式サイトが「大荒れとなった第37回大会」と表現するとおり、今回の8耐は波乱続きである。ウェットコンディションとドライコンディションが交錯する中、セーフティーカーが計4回もコースイン。とにかく驚きの転倒、トラブルが多かったという印象だ。
個人的に残念無念だったのはナンバー87、Team GREENのカワサキZX-10Rがせっかく順位を上げていたのにヘアピンで転倒してしまったことだ。ドライからウェットへとコンディションが変化する中、無念の転倒。それでもTeam GREENは粘りを見せ、スタート後3時間経過した段階で25位だったポジションを、最終的には12位でフィニッシュ。一度は落胆したカワサキファンも、次第に上がっていくポジションを見て興奮再び状態に。
一方、上位陣も大変なことになっていた。レース序盤でトップを確保、順調に走行していたナンバー11、F.C.C. TSR Hondaの秋吉選手が100週目を過ぎたあたりで、あの130Rで転倒してしまったのだ。この瞬間、サーキットが驚きと悲鳴に包まれた。ピットに戻ることが難しいと思われるほどハードな転倒だったが、秋吉選手はなんとか復帰し、バイクをピットへ持ち込むことに成功! 最終的に40位でレースを終えた。感動的だったのは秋吉選手がピットへたどり着いた瞬間、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ、応援するメーカーやチームに関わらず大きな歓声が起きたこと。
転倒で悲鳴が上がったと言えばナンバー01、エヴァRT初号機シナジーフォースTRICK STAR、カワサキZX-10Rの悲劇。終盤に向けて順を上げつつ快走していたナンバー01が、S字コーナーで謎の転倒。しかも同じ場所でさらに転倒が発生する。この時、レース終了まで約40分。にも関わらずセーフティカーが入るという、想像を超えた事態に。どうやらS字コーナーにオイル、もしくはそのほかの液体が浮いていたらしい(マーシャルが処理をしていた)。
ナンバー01の損傷は激しかったし、ライダーも痛みに耐えているように見える。観客も私もハラハラしながら見守ったが、グレゴリー選手はなんとか復帰し、ピットにバイクを持ち帰る。そしてギリギリのところでエヴァ再起動! レースへの復帰を果たし、24位でフィニッシュ。ナンバー01がコースに復帰した際も、観客から惜しみない拍手が送られていた。
コンディションがめまぐるしく変化し、アクシデントで上位が入れ替わる。そんな目まぐるしいレースを最終的に制したのはナンバー634(ムサシですね)、MuSASHi RT HARC-PROのホンダCBR1000RR。ナンバー11、F.C.C. TSR Hondaの転倒後、トップに立ったナンバー11はそのポジションを最後まで譲らず、チェッカーフラッグを受けた。
2位に入ったのは、同じヨシムラのLegendチームに仕掛けられたヨシムラスズキシェルアドバンスレーシングチーム。レースに「if」は存在しないのだが、もし、Legendチームが130Rで転倒せず、走り切っていたら何位に入ったのか? レースの女神が考えることは、まったくもって謎である。なお、3位に入ったのはナンバー17、Team KAGAYAMA with VerityのスズキGSX-R1000だった。
長丁場だからこそ楽しめる鈴鹿8耐
6時間55分という長時間、各チームは2人、もしくは3人のライダーで走り切る。実際のレースを見るとイヤというほど分かるのだが、とにかく速い! ウェットコンディションの中、水煙をあげながら弾丸のように走り去るバイクを見ていると、とりあえず全員集めて説教したくなるほど速い。「危ないですから! 路面濡れてるんですよ!」とかなんとか。ウェットでそんな具合なのだから、ドライの状況も推して知るべし。あれですわ、走っているバイクに羽根をつけたら確実に飛んで行きますわ。
私にとって初の8耐は、主催者が「大荒れ」と表現するぐらい波乱に富んだものであった。私は初めての観戦なので判断しようがないのだが、これがいつもの8耐なのか、それとも今回の8耐は特別だったのか? では「面白かったか?」と尋ねられたら、私はどう答えるだろう? とりあえず「興奮した、来てよかった、感動した」と答えたい。そして表彰台に上がった3チームを心から祝福し、彼らを背景に夜空を飾った花火に感動する。それが私の初8耐となった。
テレビで見た、雑誌で読んだ、ネットで結果を知るだけだった8耐。それが私の眼前でリアルに展開したのである。嘘偽りなしに本心から言いたい。「機会があれば是非とも、リアルな8耐を“体感”してほしい」と。チューンされたバイクが走り抜ける時、その排気音は振動して観客に伝わってくる。注目のチームが転倒した時、観客の間で共有される驚き。そして転倒したバイクが復帰した時の安堵、歓声。リアルなサーキットでしか味わえないレースの醍醐味がある。だから何度でも言おう、来てよかったと。
ちなみに8耐は長丁場のレースである。私も途中、サーキット西コース側をぐるっと歩いてみたのだが、それもまた楽しい経験だった。カーブを見渡せる要所要所に観客席があり、暑そうにしながらもコースから目を離さない人々。キャンプエリアでは連日の疲れからか、のんびり寝ている人も多い。チェッカーの時にはちゃんと起きるのだろうけど、熟睡している人を見ると、ちょっと心配になった。
また、さまざまな場所で展示ブースや催し物があり、個人的に嬉しかったのは出店のような軽食の売店がそこかしこにあったことだ。串焼きから唐揚、ラーメン、その他もろもろ。長丁場のレースだからこそ、楽しめる要素が鈴鹿サーキットには豊富に用意されていた。もちろん「暑い! 我慢できないほど暑い!」というなら、鈴鹿サーキットに併設さているモートピアのプールへどうぞ。
初体験ということで、すっかりレースに注目してしまったが、8耐にはレースを彩る楽しみがいろいろと用意されている。残念だったのは「BASE8耐」という新しいイベントエリアを見学し損なったことだ。このBASE8耐にはさまざまな体験・参加型のイベントが用意されていて、その中に「ニューマシン・オールドマシン試乗会」というのがあったのだ。もう名称からも分かるとおり、古いバイク、新しいバイクを試乗できるスペースなのだが、その存在に気づいた時はもう終了していたという悲しさ。もう少し早く気づいていたら、久々にスズキRG250Γに乗れたかも知れないのに。ああ、悔しいと言えばもう一つ。ヨシムラのロゴ入りTシャツを買いそびれたこと。
そんなことを考えながら鈴鹿サーキットを後にした我がZ1300の先には、東京までの道が続いていた。その距離、約400km。のんびり走っても、6時間かかるか、かからないか。まあ、後輪はパンクを仮修理した状態なので、それぐらいがちょうどいい。さて、“コカ・コーラ ゼロ”鈴鹿8耐の余韻に浸りながら、東京へ帰ろう(いや、最後に格好つけたかっただけで、実際にはいったん名古屋に入って一泊しました。ハードスケジュールだったもんですからね、体力が保たないだろうとということで。なので東京へ向けて出発したのは、翌28日だったんですよ、ええ)。
【お詫びと訂正】記事初出時、名古屋までの距離を約400kmと少しとしておりましたが、正しくは約300kmと少しになります。